日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

1996年の思い出:沖縄グスク(城)巡りの旅

世界遺産・中グスク   by:photo-ac

私が沖縄のグスク(城)を初めて見たのは、30年ほど前のことです。

どうして、当時観光地でもなかった中グスクに小学生にもならない二人の娘を連れて家族と一緒に行ったのか、いまでは不思議です。下の娘であるは管理人は覚えておりません。

当時は、首里城守礼門があるだけでした。

中グスク駐車場から登っていくと広場に出て、正面に屏風を立てたような城壁が、圧倒的な力強さで迫ってきたのです。

それが、中グスク三の郭の城壁で、中央が凹んだ美しい形をしていました。

沖縄のグスク(城)の特徴を簡単に述べると以下のようになります。

  1. 水堀や土塁がない。
  2. 城壁(石垣)は地形そって緩やかな曲線を描き、隅部は算木積みとなっていない。
  3.  城門はアーチ状を描いた拱門(アーチ門)。
  4. グスク内に信仰の対象となる御嶽(うたき)や拝所がある。
  5. 天守建築に相当するような建築物がない。

 

一般的に「グスク」または「グシク」と呼ばれる沖縄の城は、13世紀頃を中心に、按司あじ)と呼ばれる地方の支配者の根拠地(城塞)として築かれています。

2000年に選ばれた沖縄の世界遺産は9カ所の遺産で構成されているのですが、そのうち首里城を含む5カ所がグスク〈城〉址です。

首里城と中(なか)グスク、勝連(かつれん)グスク、座喜味(ざきみ)グスク、今帰仁(なきじん)グスクの5つです。

いずれのグスクもこのブログですでに紹介していますので、それぞれの詳しい紹介はそちらでご覧下さい。

【沖縄の城 過去記事】

お城大好き雑記 第2回 沖縄・中グスク - 日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

お城大好き雑記 第11回 勝連グスク - 日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

お城大好き雑記 第29回 今帰仁グスク - 日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

お城大好き雑記 第34回 首里城 - 日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

お城大好き雑記 第52回 座喜味グスク - 日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

 

今回は、世界遺産に登録される前のことで、随分昔の話で恐縮ですが、1996年6月28日から1泊で探訪した沖縄の五つのグスクを紹介します。

 

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沖縄南部史跡地図(『沖縄の文化財Ⅱ』より)

 

*1996年(平成8年)の初夏にしたグスク巡り

6月28日

糸数(いとかず)グスク

糸数グスク    by:photo-ac

糸数グスクの周辺には、玉(たま)グスク、垣花(かきのはな)グスク、ミントングスクなど、琉球開闢(かいびゃく)神アマミキヨの神話などを秘めた、重要なグスクが並び築かれています。

「グスク・ロード」と呼ばれていますよ。

糸数グスクは、知念半島から西にのびる琉球石灰岩台地の西の端、標高180m前後の丘陵上に築かれている山城で、国の指定史跡です。

沖縄本島内では、もっとも高い所に築城されたグスクですね。

伝説によると、糸数グスクは玉グスク按司(玉城王)が13、4世紀ごろに三男に築かせたグスクだそうです。

東側の平地部分では高さ3~8mの石積みにし、西側部分は自然の断崖を巧みに利用して高さ1m前後の城壁をめぐらせています。

城壁上には、戦いの時用の武者走りがありますよ。

正面は東側にあり櫓門だったようですが、現在は切石積みの石門が遺構として残っています。

門の両側には物見台(アザナ)があったようです。

石垣は野面積みと立派な相方積み(あいかたづみ、本土の切込接ぎに相当)の混合になっており、これは、時代を経ながらグスクが整備されていったため、と考えられています。

糸数グスクは、いつのころかは不明ですが、真和志(まわし)の上間(うえま)按司に火攻めにされて滅びたようです。

糸数グスクの石垣    by:photo-ac

 

玉グスク

玉グスク城門   by:photo-ac

玉グスクは、琉球開闢神アマミキヨの神話と結びついた「神のグスク」として語られる琉球古代の城のひとつで、国の指定史跡です。

南部地域を見下ろす岩山の山頂に築かれた山城で、玉グスク王の居城でした。

天につながるという意味から、別称は天頂城(あまつづくグスク)と呼ばれています。

自然の岩をくり抜いた城門が宝珠のように〈玉の穴〉が空いていて、麓からも見上げられます。

これが、玉グスクの名前の由来かもしれないそうです。

世界遺産斎場御嶽(せーふぁーうたき)などともに、アマミキヨが築いた“琉球七獄”のひとつとされており、琉球時代の最高神女である聞得大君(きこえおおきみ)が、ゆかりの聖地を巡幸する「東御廻り(あがいうまーい)」のコース終点地がこの玉グスクでした。

重要なグスクが多く築城されていて「グスク・ロード」と呼ばれているこの地は、按司時代から三山時代にかけて知念半島の政治的文化的な中心で、その中心地が玉グスクです。

天へ登るような気持ちにさせる急勾配の石段は崩れてしまっており、今は写真のような階段が設置されています。

城門をくぐり、中に入るとそこは一の郭で、聖域です。

拝所があり、殿舎跡の切石積みの石段も残っています。

発掘調査で、鎧の断片なども発見されてそうですよ。

雑木の中に野面積みの石垣が岩場を巡って築かれており、そこから下を覗くと絶壁でした。

そこからの眺望は絶景です。

玉グスク一の郭の図(『世界遺産 グスク紀行』より)

玉グスク城門へ行く階段    by:photo-ac

 

知念グスク

知念グスク城門(拱門)   by:photo-ac

知念山山中にあり、別称が知念森(ちねんもり)グスクで、国の指定史跡です。

このグスクも、玉グスクと同じでアマミキヨ神話にかかわる古城ですね。

築城年代は不明となっています。

沖縄の有名な神歌「おもろさうし」に「神降れ(かみおれ)はじめのグスク」と歌われている、古い時代のグスクと思われます。

知念按司の、代々の居城でした。

城内に友利御嶽があり、琉球王やアマミキヨの「東御廻り」の聖地のひとつとして存在しています。

うっそうと繁った林のなかに、アーチ型の城門と城壁が遺構として残っていました。

訪れる人もあんまりいないのか、私が探訪した1996年の時には、まるでほっぽらかしにされた城址の姿でした。

雑草が生え、城壁には蔦などが絡みついていたのを覚えています。

知念グスクは、下の図で分かるように二つの郭から構成されている連郭式の城郭です。

グスクの門の前は平坦地ですが、東・南・西側は絶壁に。

天然の要害の上に築かれたグスクですね。

正門を入ったところがミーグスク(新城)、その左上にある岩山がクーグスク(古城)と呼ばれる郭です。

本来の知念森グスクがあった場所と推定されています。

岩山の頂上に拝所がありますが、そこはアマミキヨゆかりの「神の島」といわれる久高島への遙拝所です。

かつては男子禁制の場所でした。

尚真王時代にグスクが拡大され、ミーグスクが築かれたとのことです。

知念グスク図   (『世界遺産 グスク紀行』より)

知念グスク城門    by:photo-ac

 

6月29日

座喜味グスク(世界遺産・続日本100名城

正面の拱門が座喜味グスク入口  by:photo-ac

座喜味グスクは、15世紀の初頭、琉球一の武将で名築城家としても名高い読谷山按司(よみたんざんあじ)の護佐丸(ごさまる)によって築かれました。

詳しい歴史は、当ブログの記事をどうぞ。

▶ お城大好き雑記 第52回 座喜味グスク - 日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

座喜味グスクは標高125mの丘の上に築城されています。

西海岸や慶良間諸島渡名喜島伊江島などの周辺の島々が、グスク址から眺望できる絶景の場所です。

本来の名前は読谷山(よみたんざん)グスク。

「続日本100名城」(第199番)に選定されており、国の指定史跡です。

一の郭と右が二の郭の城壁  by:photo-ac

座喜味城パンフレット

上のパンフレットの写真で分かるように、座喜味グスクは手前の一の郭と上の二の郭からなり、それぞれに拱門がひとつずつあります。

沖縄県では中規模のグスクです。

城壁は、琉球石灰岩の相方積みがほとんどですが、拱門とその両脇は布積みとなっています。

座喜味グスクの城壁は、石造建築技術の粋を凝らした曲線美の美しさが有名です。

当時の築城の到達点を示しているといわれています。

どっしりとしたアーチ状の拱門は、棟石の中央にクサビ石が打ち込まれています。

これは、座喜味グスク独自のものとのこと。

しかし、曲線を描く城壁は単に地形に沿って築かれているだけでなく、本土の城の石垣でいう横矢が掛けられるように工夫されています。

一の郭の拱門は右側から、二の郭の拱門は左から横矢が掛けられるようになっていて、防御力を高めているのですね。

また、それぞれの郭の城壁はいたるところで横矢が掛けられるように、よく考えられた形となっていることに気づかなければならないと思います。

 

勝連グスク(世界遺産・続日本100名城

勝連グスク    by:photo-ac

勝連グスクは、世界文化遺産のなかでは最古のグスクで、私の一番のおすすめです。

国の指定史跡であり、「続日本100名城」(第200番)に選定されています。

沖縄中部の東海岸に突き出た勝連半島の付け根、標高約97mの小高い山の上に築かれたグスクです。

現在は、麓の駐車場に案内所があり、パンフレットが置かれ土産物も販売しています。

中にはトイレもあり、前には勝連グスクの模型も設置されていて、勝連グスクの全体像が分かりますよ。

世界遺産になったことで、整備され観光客もたくさん訪れるようになりました。

入場料は無料です。

私が行ったこの時は、トイレも何もなく、観光客も私一人で、発掘調査をしていました。

こちらも歴史については当ブログの記事をどうぞ。

▶ お城大好き雑記 第11回 勝連グスク - 日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

勝連グスク全体想像図(勝連グスクパンフレットより)

城は、11、12世紀頃、四方に眺望のきく比較的傾斜の急な孤立丘を取り込んで築城され、15世紀頃に修築されたと考えられています。

グスクからは攻めてくる外敵をいち早く確認できること、そして南側に良港を控えていることなど、極めて良好な立地条件です。

一の曲輪からは360度の眺望を楽しめます。

西の中城湾、東の金武湾の両方を見られますが、本当に絶景ですよ。

城は五つの曲輪からなり、各曲輪は琉球石灰岩の切石を使い、地形に合わせて曲線状に築かれています。

最高所に一の曲輪があり、そこには首里城首里以前の中山王城だったとされる浦添グスク以外にはない、珍しい瓦葺の建物があったと伝えられています。

二の曲輪には大きな殿舎跡がありますが、覆土によって遺構が保存されていました。

三の曲輪は儀式などを行う広場(御庭 うなー)で、三の曲輪の門は木造の櫓門があったようです。

四の曲輪の南東部の一段と高くなった個所は別名「東の曲輪」と呼ばれ城壁が巡り、水場を確保するうえで軍事的に重要な場所でした。

本土でいう連郭式の縄張りですね。

東シナ海を望む  by:photo-ac

四の曲輪から眺めた三の曲輪の城壁  by:photo-ac

▼関連記

 

大好きな沖縄で存分にグスクを巡った、よい思い出です。

 

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【参考文献】
文・岡田輝雄 写真・国吉和夫『世界遺産 グスク紀行』(琉球新報社城 2003年5月20日第2刷)、名嘉正八郎『グスク探訪ガイド』(ボーダーインク 2010年7月31日第五刷発行)、沖縄県教育委員会『沖縄の文化財 ⅱ 史跡・名勝編』(沖縄県立博物館友の会 平成12年3月3版)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、他

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