日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第52回 座喜味グスク

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座喜味グスク  by:photo-ac

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私の好きな沖縄グスクの多分最後となる紹介は、座喜味(ざきみ)グスク。

座喜味グスクは、世界遺産琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つですね。

座喜味グスクは15世紀の初頭に築かれたグスクで、本来の名前は読谷山(よみたんざん)グスクです。

「続日本100名城」(第199番)に選定されています。

 

沖縄の世界遺産は9カ所の遺産で構成されていますが、そのうち首里城を含む5カ所がグスク〈城〉です。

 

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私が座喜味グスクに初めて登城したのは、1996年6月29日です。

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「座喜味城跡」パンフレット

座喜味グスクは15世紀の初頭、琉球一の名築城家として名高い読谷山按司あじ護佐丸(ごさまる)によって築かれています。

護佐丸は、座喜味の北東約4Kmのところにある山田グスクに居城していました。

1416年琉球統一を目指していた中山王尚巴志(しょうはし)は今帰仁グスク(北山グスク)を攻略、護佐丸はその家臣として一緒に戦います。

今帰仁グスクでの戦いに勝ったあと、しばらく護佐丸は北山監守として今帰仁グスクに滞在し、本島北部を治めていました。

その間に、海外貿易の拠点として栄えていた長浜という港が麓にある読谷に、座喜味グスクを築城。

1422年に座喜味グスクに入城した護佐丸ですが、1440年に中山王の命令で中グスクを築城し入城します。

これは、勝連グスクにいた阿麻和利(あまわり)の勢力が強くなり、それを牽制するためでした。

しかし阿麻和利の策略によって、中グスクにいた護佐丸は1458年に攻め滅ぼされます。

護佐丸が中グスクに移ったあと座喜味グスクは、伝承では座喜味按司に引き継がれて使われたようです。

 註)按司とは、琉球地方の各地で領国支配をしていた豪族や首長などのこと。

 

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 座喜味グスクは標高120m程の国頭(くにがみ)マージと呼ばれる赤土の丘陵に築城されました。

先ほど上にのせたパンフレットで分かるように、二つの郭からなる小さな城郭です。

それぞれの郭にはアーチ状の石門(拱門 きょうもん)が一つだけ造られています。

二の郭の石門は沖縄最古のアーチ門です。

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二の郭アーチ石門(正門)  by:photo-ac

写真ではわかりづらいのですが、二枚のアーチ石がかみ合う中央にくさび石が嵌められています。

ほかのグスクなどには見られない珍しいものです。

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二の郭と一の郭外壁(右)  by:photo-ac

城壁は高い所で約13m、低い所で約3mです。

城壁の石材は琉球石灰岩で、主に布積、部分的には相方積(あいかたづみ)や野面積も見られます。

布積は豆腐をそのまま積み上げたような積み方、相方積は、沖縄でもっとも技術的に進んだ積み方です。

城壁は重厚で他のグスクと同じように地形にそって美しい曲線を描いて築かれています。

地盤がなだらかで柔らかい赤土のため崩れないような曲線構造を取り、石造り技術の粋を凝らしたまとまりのある曲線美の城郭です。

当時の築城技術の到達点を示していると言われていますよ。

パンフレットを見ると良くわかりますが、石垣の曲線は防御上巧みに作られています。

一の郭の入り口は、右側の石垣の上から横矢が掛かるように。

二の郭の入り口は反対に左側から横矢が掛かっています。

また、外側の石垣も随所で横矢がかけられるように石垣を突出させています。

単に美しく見せるためではないのですね。

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左は二の郭の石垣 右は一の郭の石垣 布積み  by:photo-ac

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一の郭にある殿舎跡と礎石  by:photo-ac

発掘調査で一の郭に間口約16m、奥行約14mの方形石組みの建物跡が発見されました。

石組みの中に琉球石灰岩礫を敷き詰め、礎石を配置した建物が考えられています。

瓦が発見されていないので、屋根は茅葺か板葺と思われます。

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寄進灯篭  by:photo-ac

座喜味ノロが祭祀する城内の神としては、コバズカサノ御イベや城内火の神が伝えられています。

しかし現在では二の郭アーチ石門の近くの城外に香炉が移動。

座喜味地区の神として地域の人々に祀られています。

また、一の郭には1843年に設置された座喜味親方の寄進灯篭があります。

座喜味親方は護佐丸の子孫です。

座喜味親方が江戸参府で徳川12代将軍・家慶(いえよし)への慶賀使として無事任務を果せたお礼のために、領地である城内の神に灯篭を寄進したと伝わっています。

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高石垣  by:photo-ac

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一の郭の城壁と向こうに東シナ海が見える by:photo-ac

城壁に上がれば360度のパノラマが広がり、読谷村全域はもちろんのこと、北は本部半島を見一望出来ます。

西は東シナ海に臨んで慶良間諸島を眺めることができ、壮大な気分になれますよ。

 

座喜味グスクの入り口手前にあった読谷村立歴史民俗資料館・美術館が2018年世界遺産座喜味城跡ユンタンザミュージアムとしてリニューアルオープンしました。

読谷村の歴史や民族をテーマ別に展示、座喜味グスクの発掘調査で出土した貴重な遺物が展示されています。

また近くには「やちむんの里」があり、読谷山焼、読谷壺屋焼の産地となっています。

沖縄の焼物陶器が好きな方には魅力的な場所です。

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やちむんの里「登り窯」  by:photo-ac

 

 【1回目の沖縄グスク巡り(1996年6月)】

1996年6月28日に、沖縄南部のグスク巡りに初めて行きました。

背後が断崖絶壁の糸数(いとかず)グスク、石段を上がると自然石をくりぬいて造られた円形の城門が迎えてくれる(たま)グスク

そして石垣や拱門がきれいに残っている知念(ちねん)グスクを探訪しました。

首里城今帰仁グスクなどのように観光地にもなっていない、現地の人も滅多には行かない小さなグスク址に初めて行き、その素晴らしさに感動しました。

翌29日は、このあと何度も訪ねることになった座喜味グスク勝連グスクを探訪。

本州や四国などの城址とは違う沖縄のグスクに魅了された、初めてのグスク巡りの旅でした。

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玉グスク城門   by:photo-ac

この後、取り付かれたように何度も沖縄のグスク址を探訪しています。

・2回目2000年9月に3グスク

・3回目2003年夏休みに13グスク

・4回目2005年夏休みに9グスク

・5回目同冬休みに5グスク

6回目2007年5月に13グスク

7回目2008年11月に3グスク

8回目2010年5月に3グスク

9回目同12月に7グスク

2010年末までに離島の久米島を含め、9回も沖縄県のグスク探訪旅行をしました。

合計で52グスク探訪

これは私の県別の探訪城数ではトップです。

 

退職後、2010年9月から12月まで那覇の安里にマンスリーマンションを借りて住んでいました。

沖縄観光案内と称して世界遺産のグスクに家族や友人たちを何度も案内しました。

沖縄のグスクの素晴らしを吹聴したので、その人たちにとっては随分と迷惑だったことでしょう。

今となっては本当に懐かしい思い出です。

 

*座喜味グスク詳細

・住所:沖縄県中頭郡読谷村字座喜味2975

・アクセス:那覇空港からタクシーで約60分/沖縄自動車道・沖縄南ICから30分/沖縄自動車道那覇ICから約45分

・営業日:年中無休・無料開放

 

【参考文献】

文・岡田輝雄 写真・国吉和夫『世界遺産 グスク紀行 ―古琉球の光と影―』(琉球新報社 2003年5月20日発行)、名嘉正八郎『グスク探訪ガイド』(ボーダーインク 2010年㋆31日第5刷発行)、財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)、「座喜味城跡」パンフレット他

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