日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第147回 長崎県 福江城

福江城搦手門     by:photo-ac

全国のお城を紹介していく「お城大好き雑記」も147回目を迎えました。

めでたいことです!

いつも読んでくださっている皆様、ありがとうございます。

さて、今回の福江城は、北海道の松前城とともに、外国艦船の襲撃に備えて西洋式の砲台が設けられた、日本最後の和式築城法で造られた平城(海城)です。

海防の為、幕末に15年の歳月をかけて五島氏によって築城された、日本でもっとも新しい城ですよ。

「続日本100名城」(第187番)に選定されています。

別称は、石田城です。

私は2004年12月11日に登城しました。

 

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福江城搦手門(蹴出門)    by:photo-ac

松浦党の一族である宇久純玄(うく すみはる)は、豊臣秀吉に本領を安堵されて、文禄元年(1592)に名前を五島と改称、福江島の江川城を居城としていました。

その後は慶長19年(1614)に居城の江川城が放火によって焼失していますが、長年にわたって新たな築城は認められませんでした。

五島盛利は、寛永15年(1638)に石田浜へ石田陣屋を築いて居所とします。

五島氏は、その後3代にわたって幕府に築城の嘆願をしていましたが、許されることはありませんでした。

江戸時代後期になると、外国船が五島灘や日本の近海に頻繁に出没するようになってきます。

そこで30代目の五島盛成(もりあきら)は、海防のための築城を幕府に嘆願します。

結果、嘉永2年(1849)になってようやく築城が許され、念願の「城主」大名となりました。

同年から、石田浜に築かれていた陣屋を大改修する形で築城が進めていきます。

長州が外国船に砲撃し、薩英戦争が起きた文久3年(1863)の盛徳(もりのり)の時代にようやく城は完成、石田城と通称されます。

なんと14年もかかっています。

12,000石余の小さな藩にとっては、財政的にも、人的にも大変な事業だったでしょうね。

江戸時代最後の近世城郭ですが、築城後わずか5年で明治維新となり、解体されました。

代々の悲願が叶い、14年もかけてやっとこできたところだったのに!!

本当にもったいないことです。

 

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福江城は前述したように、長崎防御の前線基地として多数の砲台をもつ海城でした。

二の丸の石垣と濠     by:photo-ac

福江港に突き出した三角形の城地の、典型的な海城です。

方形の本丸を水濠で囲み、東側に二の丸が、そして南北に三の丸が輪郭式に置かれ、内濠、外濠を巡らせ、各曲輪には堅固な石垣が築かれていました。

北側に設置されていたのは、北の丸です。

三方が海に面し、異国船の攻撃に備えて隅々には砲台が築かれ、本丸東側に天守に代わる三重櫓が築かれました。

三の丸の東隅に船入れを設けて、城内から直接海に出られるようになっていました。

正木兵部(まさき ひょうぶ)という津山藩出身の兵学者が、長崎防御の前衛基地として、大砲主眼に縄張りをしたと伝わっています。

現在、二の丸跡には五島盛成が営んだ新屋敷庭園と数寄屋書院、中仕切り門、搦手虎口が完存しています。

搦手口は内桝形となっていますが、今は高麗門が土塀とともに残っていますよ。

高麗門左右の土塀には狭間が開かれており、石橋、濠や野面積みの堅牢な石垣も、遺構として残っています。

12,000石余の五島氏の居城としては破格ともいえる構えで、いかに外国艦船の到来に備えているかが伺える城郭といえるでしょう。

現在、城の周囲は埋め立てられ、海城の面影はまったくありません。

福江城の立派な正門は図書館の入口、さらに本丸跡は長崎県立五島高校となっていて、裏蹴出門は、五島高校の正門です。

二の丸の新屋敷庭園は、石田城五島氏庭園として国の名勝に指定されています。

     画像出典:長崎県立学校ホームページ「五島高等学校施設案内

内濠      by:photo-ac

 

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     画像出典:五島市ホームページまるごとう「五島観光歴史資料館

 

二の丸には、立派な城郭風の五島観光歴史資料館や福江文化会館がありますよ。

平成元年(1989)に、市制施行35周年の記念に建造された五島観光歴史資料館には、五島の歴史や文化に係る資料が展示されています。

三重三階建てで、一重目に石落とし風の意匠、二重目の屋根の中央に千鳥破風、それを挟む形で比翼千鳥破風、三重目に軒唐破風がつけられています。

どっしりとした重量感のある天守風建物ですね。

五島観光歴史資料館      by:photo-ac

五島武家屋敷通      by:photo-ac

武家屋敷通りには当時のたたずまいが残り、道の両側に300mにわたって石垣が続いています。

石垣の上部はかまぼこ型でした。

大分県の岡城の大手道の石垣と同じです。

城山神社      by:photo-ac

五島家の始祖である宇久家盛や藩祖の五島純玄などを祀る城山神社が、大正8年(1919)築山に遷祉祀されています。

 

*福江城詳細

・住所:長崎県五島市池田町1-2

・アクセス:福江港から徒歩約10分

・営業時間:24時間

・休業日:年中無休

 

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【参考文献】
平井 聖監修『城 8 九州 沖縄 火燃ゆる強者どもの城』(毎日新聞社 平成8年10月25日発行)、公益財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ三』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日 第1版第1刷発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、五島観光歴史資料館ホームページ他

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