135回目になりました!
今回は、島根県の浜田城を見ていきましょう。
浜田城は、「日本100名城」「続日本100名城」にも選定されていませんし、建物遺構は移築された城門だけですが、石垣が良好な形で残っている平山城です。
かつて浜田は、古代石見(いわみ)の国府が置かれた地でした。
海外交易船が出入りした天然の良港が多く、石見の政治・経済・文化の中心地として栄えた町だったのですね。
本丸への入り口の城門は、津和野藩邸から移築されたものです。
別称は、亀山城。
浜田城へ私は、2004年9月5日に登城しました。
*********************************
関ヶ原の戦いのあと、毛利家の所領だった石見国全域は、徳川の直轄地となりました。
石見国は、石見銀山領・津和野藩・浜田藩に三分割されることに。
慶長6年(1601)には坂崎直盛が3万石で津和野に入封、元和5年(1619)には茶人で有名な古田重治(しげはる)が、伊勢松坂から5万4000石で浜田に入ります。
浜田城は、元和6年にその古田重治によって築かれました。
松原湾に望む浜田川河口にある標高70mの亀山山上に築かれ、三重の天守(櫓)が聳えていたようです。
ちなみに亀山は、石見国の役人として来ていた柿本人麻呂の終焉の地とも伝えられていますよ。
重治は「鴨山」から縁起の良い「亀山」に改めています。
重治は、同年に兄の子・重恒(しげつね)に家督を譲りましたが、慶安元年(1648)に重恒は子供が無いままに亡くなり、古田家は断絶となります。
慶安2年に播磨国山崎から松平康映(やすてる)が入封しますが、以後本多家を経て、天保7年(1836)の「竹島事件」のあとには、上野(こうずけ)国の舘林(たてばやし)から松平斎厚(なりあつ)が入封してきます。
3代目の松平武成(たけしげ)に子供がなかったので、水戸藩9代藩主水戸斉昭(なりあき)の十男を養子に。
それが4代目藩主の、松平武聡(たけあきら)です。
話はそれますが、武聡の兄弟は、五男・慶徳(よしのり)が鳥取藩主、九男・茂政(もちまさ)は岡山藩主、七男・慶喜(よしのぶ)は15代将軍になっています。
斉昭の子供たちはすごいですね。
松平武聡は、弘化4年(1847)、わずか6歳のときに藩主になり、17歳で初めて浜田に国入りをしています。
浜田藩は、松平武聡で明治を迎えました。
幕末の慶応2年(1866)第2次長州征伐戦争のとき、近代装備をした大村益次郎率いる5千の長州軍が浜田を攻撃してきました。
病弱で伏していた城主の松平武聡は城中から脱出、藩士は城に火を放って逃げてしまいます。
武聡の父である水戸斉昭は有名な尊王攘夷の考えの人で、たびたび徳川幕府から謹慎を命ぜられているほどの勤王の藩主でした。
尊王攘夷を旗印に、徳川幕府に戦いを挑んだ長州藩に攻められ、城を脱出しなければならなかった武聡の気持ちはどんなだったろうと思いますね。
運命の皮肉です。
*********************************
浜田城は、北・東側は日本海、西側は浜田川の流れを付け替えて自然の濠としています。
平山城ですが、海城ともいえる浜田城は、軍師・滝川一学(いちがく)と古市久馬の二人が、攻防両面から検討を重ねて築城されたと伝わっています。
山頂に石垣が築かれた本丸を置き、西隅に天守に相当する望楼型三重櫓が、中腹の二の丸の北側に櫓台・硝煙蔵が、南側に本丸常番所・時打番所がありました。
二の丸の北側は、その先にある本丸を防衛するため、階段状に石垣が配置されています。
上の写真に写っている石段は、明治後期に城跡が公園として整備されたさいに新たに造れられたものです。
打込接の石垣は江戸時代のものですが、隅部は完全な算木積みにはなっていません。
山麓の三の丸の中央に大手門、前面に濠があり、北側は海に通じていました。
三の丸には藩主の居館があり、それは大手門南側に置かれていたそうです。
浜田城は、明治5年(1872)の浜田大地震により本丸の建物や石垣が崩壊してしまいました。
昭和36年(1961)以降、城跡を都市公園とすることになり、城地の整備工事や石垣の復旧工事がおこなわれました。
現在、城跡は城山公園となっていて、松原湾を望む桜や紅葉の名所として市民の憩いの場となっています。
YouTubeに島根県浜田市教育委員会が制作した「復元CGに見る浜田城の姿」という作品がありました。ぜひご覧ください!
*浜田城詳細
・アクセス:JR浜田駅より徒歩20分
・営業時間:24時間
・休業日:なし
▼PR
【参考文献】
平井 聖監修『城 6 中国 甍きらめく西国の城塞』(毎日新聞社 平成8年11月25日発行)、『城 其の三』及び『同 解説編』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)他
▼PR さあ、心の洗濯へ