日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第83回 静岡県 山中城

山中城の障子堀     by:photo-ac

83回目は、静岡県山中城を紹介しましょう。

山中城は箱根外輪山最大の山城で、秀吉による後北条氏小田原城攻め最大の激戦場となった城です。

石垣や建物などの遺構はありません。

しかし、障子堀(しょうじぼり)や畝堀(うねぼり)と呼ばれる後北条氏独特の空堀を駆使した、土造りの築城法の到達点を示す有名な城址です

岱崎出丸(だいさきでまる)や西櫓と西の丸の間に残っている障子堀が延々と並んでいる様子は圧巻で、ほかの城址では見ること出来ない景色ですよ。

日本100名城」(第40番)に選定されています。

私はここに、2003年11月12日に登城しました。

 

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 by:photo-ac

北条早雲以来、100年の間関東を支配していたのは「関東の覇者」と呼ばれた後北条(ごほうじょう)氏。

彼の本城は小田原城でした。

背後の箱根山周辺にはいくつもの支城を造り、支城網を巡らせていました。

その中心の最大の山城が山中城です。

山中城は箱根外輪山の西側、海抜585mの地にあり、北側と南側にある極めて深い急峻な谷地形を巧みに取り入れ、尾根筋を利用して曲輪を配していました。

城郭内には東海道が通っています。

ここは後北条氏領国の、伊豆や駿河と小田原を結ぶ中継地点でもあったからですね。

この地に本格的な山城が築城されたのは、甲斐の武田信玄に備えた永禄年間(1558~70)の頃だといわれています。

山中城址に設置されている案内図   by:photo-ac

武田氏滅亡後も、山中城は城の防御力強化の普請が繰り返されます。

天正16年(1588)からは羽柴秀吉の来襲を予想して、障子堀や畝堀という特殊な空堀や塁壁に犬走りを設けました。

また要所に井楼(せいろう)櫓を置くなど、随所に工夫を凝らした城に大改修しています。

小田原城西方の防衛拠点の城として、後北条氏が総力を結集して築城。

高い石垣もない城郭ですが、優れた縄張りをもつ土の城です。

大正18年に秀吉は、羽柴秀次を総大将にして35,000余の軍勢で山中城を攻撃しています。

松田康長(やすなが)や間宮康俊が立て籠もる山中城には4千人の城兵が守っていましたが、秀吉軍の兵力と火器の圧倒的な差を前にしてはなす術もなく、わずか2時間ほどで落城したそうです。

山中城側は城兵1000人余が討ち死にしました。

これが、小田原合戦最初の戦闘だったといわれています。

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by:photo-ac

西の丸障子堀    by:photo-ac

障子堀では桟(さん)の上は一人しか歩くことが出来ないし、凹部はいったん落ちたら簡単にはよじ登れない深さでした。

自由な動きが取れない敵兵を、上部から矢や鉄砲で狙い撃ちができます。

守るには硬く、攻めるには難しい形の空堀です。

土塁上に植えられているツツジなどの樹木は、築城当時はもちろんありませんでしたので、念のため注記しておきます。

障子堀とツツジが植樹された土塁  by:photo-ac

畝堀(岱崎出丸一の堀)  by:photo-ac

岱崎出丸は城内でも最も西にある曲輪です。

細長く突き出すような形をした曲輪ですね。

長さ160m深さ10mの長大な畝掘りと言われる空堀で、堀に直交する形で田の畝のような形の土塁を設けています。

この畝によって空堀の中を自由に動くことが出来ないようにしているのですね。

防御側は、自由に動けにない敵兵を狙い撃ち出来ます。

写真では畝を簡単に超えられるように見えますが、上の鳥観図で分かるように、当時はよじ登ることができない深さと細い畝でした。

山中城址からみた景色    by:photo-ac

城址からは三島市街を眼下に、伊豆半島駿河湾、富士山、御殿場の裾野が一望でき、絶景を楽しめます。

城址から富士山を望む   by:photo-ac

山中城址は、当時の遺構がよく分かるように復元・保存されています。

城址には芝生が貼られ、ツツジなどが植えられていて形よく剪定されていますよ。

天気の良い日にお弁当などをもって、ハイキングのつもりで城址を巡ることをお勧めします。

とても気持ちが良いですよ。

山中城入り口付近の旧東海道の石畳道   by:photo-ac

 by:photo-ac

 

【2003年11月12日静岡県3城址巡り】

2003年11月12日に、駆け足で静岡県の3城址を探訪しました。

小田原城攻めで豊臣秀吉軍に攻撃され落城した、障子堀などで有名な山中城をまず攻城。

次に沼津城址へ。

本丸跡の中央公園に立派な「沼津城本丸址」の石碑がポツンと建てられており、他に見るべき遺構は何もありませんでした。

最後に田中城址を訪れました。

ここは武田氏築城の城址です。

城跡は学校の敷地になっていて、小学校の校庭には城の模型が置いてありました。

三日月濠の一部が遺構として残っています。

史跡田中城下屋敷として開園されているところに、二重の本丸櫓が移築復元されていました。

田中城は、同心円状に曲輪と堀を配した輪郭式の縄張りだったようです。

大変珍しい縄張りですが、今は想像するしかない城跡です。

史跡田中城下屋敷の二重櫓    by:photo-ac

 

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三島市が作った動画がありましたので、よろしければどうぞ。

空から見た様子がよくわかりますよ。


www.youtube.com

 

山中城詳細

・住所:三島市山中新田字下ノ沢

・アクセス:JR東海道線東海道新幹線伊豆箱根鉄道三島駅から「元箱根方面行き」バスに乗り約30分、「山中城跡」バス停下車、徒歩約8分

・営業時間:24時間 売店は10:00~16:00

・休業日:なし 売店は月曜日、年末年始

 

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【参考文献】

平井 聖監修『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中井均監修『超雑学 読んだら話したくなる日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日初版発行)、『別冊歴史読本 城の見方・歩き方』(新人物往来社 2007年6月1日5刷発行)他

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