上の写真は、いかにもな春の景色ですね。
手前に菜の花、向こう岸に桜に囲まれた天守。
待ちどおしい春の風景。
城と春の景色を求めて、遠くへ行きたーい。
2021年3月に公開した「城と桜」で、1月下旬日本で一番早い桜まつりが行われる沖縄の今帰仁グスクから、5月上旬に桜まつりが行われる北海道の五稜郭まで、桜前線とともに北上して17城を紹介しました。
今回は、その時とは違う「城と桜」15城を紹介しましょう。
とは言え、ここに紹介した城以外にも、桜がとても似合っている城・城址は日本中にきっとたくさんあるはずです。
ここもよいところ、とおすすめがありましたら、ぜひコメントから教えてくださいね。
それぞれの城の詳しい紹介は、それぞれの城の紹介を読んでいただけると幸いです。
- ①福岡県小倉城(続日本100名城 No181)
- ②島根県松江城(日本100名城 No64)
- ③広島県福山城(日本100名城 No71)
- ④愛媛県宇和島城(日本100名城 No83)
- ⑤愛媛県大洲城(日本100名城 No82)
- ⑥兵庫県龍野城
- ⑦滋賀県長浜城
- ⑧三重県伊賀上野城(日本100名城 No47)
- ⑨愛知県名古屋城(日本100名城 No44)
- ⑩岐阜県岩村城(日本100名城 No38)
- ⑪福井県丸岡城(日本100名城 No36)
- ⑫長野県松本城(日本100名城 No29)
- ⑬千葉県関宿城
- ⑭宮城県白石城 (続日本100名城No105)
- ⑮長野県上田城(日本100名城 No27)
- *終わりに
①福岡県小倉城(続日本100名城 No181)
細川忠興(ただおき)がそれまでの城郭を大改修して、慶長7年(1602)に、現在の小倉城が完成しました。
しかし、この復興天守は大きな入母屋破風、比翼千鳥破風、軒唐破風の置かれた望楼型天守になっています。
最上階が、下の階より張り出したいわゆる「南蛮造り」の天守ですね。
復興天守の設計を担当した東京工業大学の藤岡通夫教授の証言によると、資料考証に基づいて層塔型の破風のない元通りの天守案を提出したのですが、地元商工会から、現在の形のようなたくさんの破風のある望楼型天守の建造が要望されたということです。
観光用としては、この方が天守らしくて見栄えは良いが、史実に基づかないこういう天守建築は、現在ではあまり許されることではないと思います。
②島根県松江城(日本100名城 No64)
松江城は平成27年(2015)に国宝に指定された、最も新しい国宝天守ですね。
慶長15年(1610)に堀尾吉晴(ほりお よしはる)が築いた、山陰地方唯一の現存天守です。
二重の大屋根の上に三重の望楼部を乗せる古い望楼型で、付櫓をもつ複合式の天守。
どっしりとした風格のある、私が大好きな天守です。
一重目と二重目は黒い下見板張りとなっていて、いかにも「黒い城」ですね。
そこにはいたるところに狭間や石落としが隠されている大変防御力の高い天守となっていますよ。
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③広島県福山城(日本100名城 No71)
福山城は、徳川幕府が西国大名監視のために、重臣の水野勝成(かつなり)に築城させた城郭です。
京都の伏見城から伏見櫓や筋鉄御門(すじがねごもん)などを移築し、徳川幕府の絶大なバックアップのもとで元和5年(1619)に築城されました。
昭和20年(1945)の空襲で天守など多くの建物が焼失したが、天守は昭和41年に再建されています。
五重の層塔型天守で、真っ白ないわゆる徳川側の「白い城」です。
しかし、2023年に天守北面の外壁が、勝成の築城当時のように黒い鉄板で覆われました。
比翼入母屋破風や千鳥破風、軒唐破風などが置かれ、最上階には朱塗りの高欄が巡らされた美しい天守です。
④愛媛県宇和島城(日本100名城 No83)
白漆喰総塗籠の三重の小さな層塔型独立式天守です。
しかしこの天守は、寛文6年(1666)に仙台から伊達正宗の庶長子秀宗(ひでむね)が入封後、伊達氏によって建造されたものです。
比翼千鳥破風、千鳥破風、軒唐破風、天守の入口は御殿入口のような唐破風で、極めて装飾性の高い、防御の全くない天守です。
とても戦時に籠城するような天守ではありません。
本丸にポツンと建造された、いかにも平和な時代の天守という姿ですね。
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⑤愛媛県大洲城(日本100名城 No82)
大洲城天守は、平成16年(2004)に大洲市が市制50周年記念に木造で再建した、層塔型天守です。
元々、本丸に台所櫓と高欄櫓が遺構として残っていました。
古写真や天守雛形などを基にして、その二つの櫓をⅬ字型に多聞櫓で結び、連結式天守として再建しています。
比翼千鳥破風と千鳥破風を交互に置き、四重目には向唐破風が置かれていますよ。
肱川から見ると、下部が黒く塗られた板が張られていて、どっしりとした印象の天守です。
⑥兵庫県龍野城
龍野城は、もともとは標高200m余りの鶏籠山(けいろうざん)の山頂に築かれていました。
しかし寛文12年(1672)に脇坂安政が入封してから、山麓に御殿式の城として修復されています。
脇坂氏の初代安治は、秀吉配下の賤ケ岳七本槍の一人として有名な武将だったので、徳川幕府に遠慮して山麓に陣屋のように城を修復したのではないかと言われています。
現在、城址にある本丸御殿、多聞櫓、埋門、隅櫓、城壁などは、たつの市が昭和50年(1975)から5年をかけて再建したものです。
⑦滋賀県長浜城
長浜城は、羽柴秀吉が初めて城持ち大名となって築城した城です。
秀吉は、小谷城攻めの軍功で織田信長から浅井氏の領地の大半を与えられて、天正3年(1575)に長浜城を完成させました。
秀吉の長浜城がどのような城だったかは、ほとんどわかっていません。
現在の長浜城は長浜城歴史博物館として、昭和58年(1983)に犬山城や丸岡城を参考にして建造されました。
二重の大屋根の上に望楼部を乗せた望楼型三重五階の模擬天守です。
豊公園には桜がたくさん植えられており、春の桜の季節には多くの人で賑わいます。
⑧三重県伊賀上野城(日本100名城 No47)
伊賀上野城は、筒井定次(さだつぐ)が天正13年(1585)に築城しましたが、その縄張りを大きく改修して現在の伊賀上野城を造ったのは、前出の藤堂高虎です。
高虎は徳川家康の命を受けて、豊臣秀頼のいる大坂城との戦に備え、伊賀上野城に高石垣や水堀を築き大改修しています。
しかし、五重天守が建造途中で嵐により倒壊し、それ以後は再建されませんでした。
現在の三重三階の層塔型天守は、昭和10年(1935)に地元の個人の私財によって建造された模擬天守です。
唐破風の入口や切妻破風、千鳥破風、軒唐破風のある大変美しい天守の姿をしていますよね。
⑨愛知県名古屋城(日本100名城 No44)
名古屋城は、関ヶ原の戦いで勝利した徳川家康が大坂の豊臣方との戦いに備えるため、慶長15年(1610)に西国の外様大名を中心に、天下普請で築城した大城郭です。
しかし残念ながら名古屋城天守は、第二次世界大戦の空襲で焼失しています。
現在の天守は、昭和34年(1959)に、再建された復元天守ですね。
五重七階地下一階の層塔型天守で二重の小天守をもつ連結式天守。
比翼千鳥破風、大きな千鳥破風、軒唐破風がおかれています。
屋根の上には、もちろん金の鯱が。
姫路城の約3倍の大きさを誇っている大天守です。
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⑩岐阜県岩村城(日本100名城 No38)
岩村城は、高取城、備中松山城とともに日本三大山城の一つで、日本一高い所に築かれた近世の山城です。
また、織田信長の叔母で絶世の美人といわれた女城主で有名な城ですね。
城郭は標高717mの山頂に築かれた山城の部分と、麓に造られた居館群とで構成されています。
山頂の曲輪には何段にも積み上げられた石垣が残っていて、本丸にある雛壇状の6段の石垣はすごい、の一言です。
必見の石垣ですよ。
山麓の太鼓櫓と表御門などは、平成2年(1990)に再建されました。
⑪福井県丸岡城(日本100名城 No36)
丸岡城は、現存天守のなかで最も古い天守であるといわれています。
野面積みの高石垣の上に建造され、大きな入母屋屋根の上に比較的大きな望楼部を載せた二重三階の望楼型独立式天守で、最も古い形の天守ですね。
天守の入口へは石段を登っていく形で、これは小田原城と同様です。
寒いこの地方で凍結のために瓦が破損しないように、屋根瓦は笏谷石(しゃくだにいし)の石瓦で造られています。
⑫長野県松本城(日本100名城 No29)
松本城は、五重の「白い城」の姫路城とともに、五重の「黒い城」として日本を代表する巨大天守です。
松本城は、石川数正(かずまさ)康長(やすなが)親子が、文禄2、3年(1593、94)頃に、それまであった深志城を改修し完成させた城です。
五重六階層塔型で、乾小天守、辰巳付櫓、月見櫓を持つ連結式と複合式が組み合わされた珍しい形式の天守ですね。
各重の黒い下見板張りと上部のわずかな白漆喰の部分が、どっしりとした構えのなかに美しい姿をみせています。
本丸側から見る姿も、水堀側から見る姿も、それぞれとても美しくて見惚れてしまいますよ。
⑬千葉県関宿城
美しい、まさしく春爛漫そのものの景色です。
手前は菜の花の黄色、真ん中に桜の薄いピンク、その向こうに白亜の天守。
関宿城は千葉県の北端にあり、利根川、江戸川に接する船運の重要拠点に築城されています。
関東に入った徳川家康は、江戸の喉元を押さえる要の城として、異父弟の松平康元(やすもと)を入城させました。
現在の天守は千葉県立関宿城博物館として、平成7年(1995)に開館しています。
三重三階の層塔型模擬天守で、唐破風の出窓、切妻破風、軒唐破風をもった美しい天守ですね。
⑭宮城県白石城 (続日本100名城No105)
白石城は、仙台伊達藩の支城です。
伊達家の重臣・片倉家の居城で、一国一城令の後も例外的に江戸幕府に認められた城でした。
なんと明治維新まで存続します。
片倉家は本城の仙台城には天守が建造されていないので、遠慮して「御三階櫓」とか「大櫓」と称していました。
城主である片倉家は1万8千石の伊達家の家臣ですが、土佐藩24万2千石の高知城天守に匹敵する規模の天守です。
現在の天守は、平成7年(1995)に日本古来の建築様式に基づき、木造で復元された白漆喰総塗籠三重三階層塔型複合式天守です。
飾り破風がないなど新しい様式もありますが、三重目に高欄を廻らし、出入り口に華灯窓風の装飾をつけるなどの古式なところもあります。
どっしりして、シンプルな天守ですね。
⑮長野県上田城(日本100名城 No27)
真田昌幸(まさゆき)が天正11年(1583)に築城した上田城は、徳川軍に2度も攻められながら落城しなかった「堅城」として有名ですね。
特に2度目の戦いは、関ヶ原の戦いの時でした。
3万余の軍勢を引き連れ関ヶ原に向かう徳川秀忠軍を、わずか2,500名ほどの城兵で応戦します。
上田城は落城することもなく、徳川軍を8日間も足止めにし、結局徳川軍に攻略を諦めさせました。
その結果、秀忠は、戦いが終わって5日ほど後になってようやく関ヶ原に到着。
父家康に叱責され、面会さえも許されませんでした。
本丸表門にあたる渡櫓門は、平成6年(1994)に再建されています。
両脇の二つの櫓は、仙石忠政(ただまさ)が城主の時代に建てられたもので、維新後民間に払い下げされていたものを、昭和18年(1943)から24年にかけて移築した櫓です。
*終わりに
いかがでしたか?
好きなお城はあったでしょうか。
当ブログでは季節に合わせ、他にも記事を投稿しています。
お時間あれば、お付き合いください。
【参考文献】
公益財団法人 日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、同『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)、『城 其の一、二、三』、『同 解説編』(日本通信教育連盟発行)、南條範夫監修『名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編著『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)他
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