新年 あけましておめでとうございます。
今年もどうか「日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記」を、よろしくお願いいたします°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
- *ブログを書くことになった経緯とご挨拶
- *1月 沖縄県今帰仁グスク城(第98番)
- *2月 熊本県熊本城(第92番)
- *3月 (春休み)島根県松江城(第64番)、岡山県備中松山城(第68番)
- *4月 青森県弘前城(第4番)
- *5月 兵庫県姫路城(第59番)
- *6月 高知県高知城(第84番)
- *7月(夏休み) 石川県金沢城(同第35番)長野県松本城(同第29番)
- *8月(夏休み) 兵庫県竹田城(第56番)、北海道五稜郭(第2番)
- *9月 愛知県犬山城(第43番)
- *10月 東京都江戸城(第21番)
- *11月 滋賀県彦根城(第50番)
- *12月 福島県会津若松城(第12番)
- *おわりに
*ブログを書くことになった経緯とご挨拶
(太字の小文字は、編集者・管理人である次女の心の声がダダ漏れになったものです)
思い返せば、コロナが蔓延し、外出が基本的に禁じられた2020年の春。
Webライターとブロガーをしている次女から
「家族をほっぽらかしにして、これまでさんざん一人で自由に城巡りをしてきたんだから、せめて罪滅ぼしに城の話を書け」
といわれ、コロナ禍で外出もできないので、時間潰しと思って書き始めました。時間潰しかよ、罪滅ぼしちゃうんかよ!( ゚Д゚)
私は1995年2月5日、出張のついでに攻城した佐賀県の唐津城から、2009年12月7日に攻城した島根県の松江城まで、15年間にすべての都道府県の486城・陣屋跡を攻城しました。
城マニアからすれば、まだまだの攻城数なのだろうとは思っています。
とは言え結構な数であることは間違いないですし、2010年3月に58歳で早期退職するにあたり、その486城の覚え書でも残しておこうと思ったのですね。
そして『はなちゃんの城跡探訪覚書』(花田書房 非売品)を出しました。父はそれを友人・知人・親戚に押しつけました。
その覚え書とその間に読んだ数々の城郭関連本や資料を使い、城の紹介記事を書くことにしたのです。
第1回目はわが故郷の高知城から。
記念すべき1記事目は、2020年4月16日に公開しました。
そして昨年12月23日に出した、第131回千葉県の館山城の紹介まで、城とその周辺のことと鉄道旅のことを含めて、4年間で202本の記事を書きました。
よくも書いたものだとわれながら思います。ホンマ娘のお陰やな。
この先、いつまで続くかわかりませんが、いましばらくお付き合いの程よろしくお願いいたします。
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それでは、2024年にぜひ皆様に攻城していただきたい城を、順番に紹介していきますね。
なお、詳細はそれぞれの城の紹介記事をご覧になってください。
見出しの城の名称の後の番号は、日本100名城の番号です。
1月 世界遺産「今帰仁グスク」
2月 「熊本城」
3月 (春休み) 国宝天守「松江城」、重要文化財天守「備中松山城」
4月 重要文化財天守「弘前城」
5月 世界遺産・国宝天守「姫路城」
6月 重要文化財天守「高知城」
7月 (夏休み)「金沢城」、国宝天守「松本城」
8月 (夏休み)「竹田城」、「五稜郭」
9月 国宝天守「犬山城」
10月 「江戸城」
11月 国宝天守「彦根城」
12月 「会津若松城」
*1月 沖縄県今帰仁グスク城(第98番)
2024年の最初に攻城する城は、沖縄県の北部にある世界遺産・今帰仁(なきじん)グスクです。
沖縄地方では「城」をグスクまたはグシクといいます。
沖縄県で世界遺産に登録されている「城(グスク)」は、首里城や今帰仁グスクを含めて五ケ所ありますよ。凄いことですね。
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今帰仁グスクは、14世紀前半頃に創建されたようです。
沖縄三山時代の北山王の居城で、城跡には、万里の長城のような1.5kmにもおよぶ壮大な石垣が残っています。
1月下旬に行われる日本一早い桜まつりを見に温かい沖縄に行きましょう。
2024年1月20日(土)~28日(日)に「第17回今帰仁グスク桜まつり」が開催されます。
世界遺産の今帰仁グスクと桜が、青や緑などの光で幻想的にライトアップされますよ。
歴史とロマンただよう、今帰仁グスクならではの「桜まつり」を楽しんでください。
*2月 熊本県熊本城(第92番)
熊本城は、戦国きっての猛将かつ希代の名築城家と謳われた加藤清正(きよまさ)が、持てる技術を駆使して築いた火の国の名城・難攻不落の堅城です。
姫路城や大坂城にも匹敵する堂々たる大城郭の威容を伝える城、三大名城の一つですね。
平成28年(2016)の熊本地震で大きな被害を受けたことは、皆さんご承知のとおりです。
現在、熊本城天守は修復されましたが、崩れた石垣などまだ随所に被害の跡が見られます。
熊本城完全復活の為にも、ぜひ訪れてほしい城です。
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*3月 (春休み)島根県松江城(第64番)、岡山県備中松山城(第68番)
・松江城
加藤清正と並び称される築城の名手・堀尾吉晴が、慶長12年(1607)に築城した松江城です。
山陰地方に唯一現存する天守で、2015年に指定された一番新しい国宝天守でもありますよ。
松江城天守は、全面板張りで同じ大きさの二重の大入母屋造りの建物のうえに、三、四、五重目の望楼部が載る、桃山時代初期天守の特徴のある望楼型。
入り口のある付櫓を備えた、複合式天守です。
外観五重内部六階で、極めて実践重視の軍事的配慮が強い城ですね。
黒く塗られた下見板張りに覆われていて、そのどっしりとした重量感のある姿は、戦国武将の姿を思わせるものがあります。
・備中松山城
備中松山城は、全国一高い所にある山城です。
また、現存する近世屈指の山城としても、三大山城のひとつで「天空の城」と呼ばれていることでも有名ですね。
臥牛山中腹の小さな駐車場から歩いて登ります。
結構な山道を息を切らしながら25分ほど登って行くと、やっと大手門跡に到着。
正面に高く聳えた巨岩や天然の岩盤を巧みに利用した石垣が「天然の要塞」であることを印象づけ、迫力ある姿で迫ってきますよ。
重要文化財である天守は、現存天守のなかでは最も低く、二重二階の小さなものです。
複合式天守で、入口の付櫓を含めると内部は三階まであります。
一階には天守のものとしては日本で唯一残っている「囲炉裏の間」があり、二階には一段高く区切られた「御社壇」があります。
正面にだけ唐破風付出格子窓を大きく取った威風堂々たる姿です。
天守の他、後にある二重櫓、土塀が重要文化財で、城址は国指定史跡となっています。
1997(平成9)年に、高梁市教育員会によって文献資料や古写真を基に大規模復元工事が施されました。
その際、五の平櫓や六の平櫓、本丸南御門、路地門、土塀が再建され、往時の姿を完全に取り戻していますよ。
*4月 青森県弘前城(第4番)
弘前城は、東北だけでなく東日本で唯一現存する天守で、重要文化財に指定されています。
天守は、下乗橋から北と西の外面を見ると一重目に石垣面から張り出した石落しの付いた切妻造りの出窓があり、二重目にも同じような切妻造りの出窓があります。
白漆喰総塗籠造りです。
縦長の狭間(小窓)が付けられた、曲線のない質素で小柄な天守ですね。
江戸時代は「御三重櫓(ごさんがいやぐら)」と呼ばれていたようです。
層塔型独立天守で、現在は弘前城史料館として、藩政時代の史資料を展示しています。
屋根瓦は防寒対策として銅瓦が使われていますね。
弘前城天守は現在石垣の修理のため、本丸に移動して置かれています。
弘前城には、二重櫓の追手門ほか同じ二重櫓門形式の城門が五棟、装飾のないシンプルで一、二階が同じ大きさの隅櫓が三基現存しておりますが、いずれも重要文化財です。
三基の櫓は現存するものとしては最小のものですが、これだけの多くの遺構があるのはとても珍しいもの。
間違いなく、本州最北の名城です。
「弘前桜まつり」は2024年4月19日(金)~5月5日(日)に開催されます。
*5月 兵庫県姫路城(第59番)
世界遺産の姫路城は、播磨の守護職の赤松則弘が、鎌倉時代末期に姫山に砦を築いたのが始まりといわれています。
その後、黒田孝高(如水)が城主の時代は姫山城と呼ばれ、如水から譲られた羽柴秀吉は三重の天守を建てて姫路城と改名。
関ヶ原の戦いの後に、家康の次女督姫と再婚した池田輝政が入城、9年の歳月をかけて改修し、今日見られる姫路城が完成しました。
姫路城の天守は、五重六階地下一階の大天守に乾小天守、東、西の小天守を二重の渡櫓で結んだ望楼型連立式天守です。
2009年(平成21年)からの大規模な「平成の大修理」を終えた天守は、「白鷺(はくろ)城」という別称のとおり、白漆喰総塗籠の白亜の天守に生まれ変わりました。
軒唐破風、大きな入母屋破風、比翼入母屋破風、千鳥破風が組み合わされた名城の名にふさわしい美しい姿で、私たちを楽しませてくれています。
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*6月 高知県高知城(第84番)
高知城は、山内一豊が、掛川城天守と同じような形に築かせた平山城です。
山内一豊は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで居城の掛川城を家康に差し出し、その功績により掛川6万石から土佐24万石の領主となった武将ですね。
本丸には、四重六階の重要文化財天守と現在「懐徳館」と名付けられた本丸書院があります。
天守は望楼型の古式で、千鳥破風、唐破風、入母屋破風を取り入れた風格のある姿。
狭い階段を最上階まで登ると、江戸幕府の許可を受けて作られた擬宝珠をつけた高欄が巡らされていますよ。
そこからは360度、高知の城下町が見渡され、感嘆の声が上がるほどです。
本丸には、廊下門の左右に多門櫓があり、柱や門扉に多数の小鉄板を打ちつけてある黒鉄門と名付けられた裏櫓門(二層)があります。
高知城は、本丸の遺構がすべて残っている日本で唯一の城で、貴重な遺構です。
高知市は、高知城天守だけでなく本丸全体を国宝に認定してもらう取り組みをはじめました。
ようやく重い腰をあげてくれました! もっと早く取り組んで欲しかった、と思っている人はわたしだけではないと思いますよ。
近いうちに国宝認定がなされることを祈っています。
*7月(夏休み) 石川県金沢城(同第35番)長野県松本城(同第29番)
・金沢城
名武将の前田利家(としいえ)は、加賀だけでなく能登、越中に及ぶ広大な領地の120万石に相応しい城郭を築城しました。
前田利家は、当時明石6万石の領地を没収され流浪中だったキリシタン大名の高山右近(うこん)を、秀吉の許可を得て召し抱えます。
高山右近に縄張りのなど築城を任せ、金沢城を近世城郭として整備してゆきました。
完成するのは慶長15年(1610)頃、利家の子利長(としなが)の時代でした。
前田の居城となった尾山城は金沢城と呼ばれ、五重の大天守が築かれたが、慶長7年の雷火により天守や本丸の建物も大半が焼失します。
天守は再建されず、三階櫓を建てて代用とします。
海鼠(なまこ)壁と唐破風付き出格子窓の優美なデザインの中に、徳川との戦いを想定した実戦への万全な備えを秘めた天下の名城です。
現在、橋爪一の門や五十間長屋、菱櫓、近年は木橋鼠多門橋及び鼠多門などが復元されており、じつに見ごたえのある美しい城址ですよ。
・松本城
松本城は、正面右側に乾小天守を渡櫓で連結し、左側に辰巳付櫓、朱色の欄干をもつ月見櫓が複合された五重六階建ての層塔型天守で、信濃国一の大城郭です。
黒く塗られた下見板張りとその上部の白漆喰が調和した美しい姿をみせています。
二重目の南面に大きめの千鳥破風、三重目の東・西面に千鳥破風、北・南面に唐破風が対で設けられていますが、装飾的破風は少ないですね。
石落しも露出型の古い形式のもので、一階の各隅のほか中間にも数多く設けられています。
また、狭間も初期的な開放型形式で正方形の鉄砲狭間のほか、短冊形の矢狭間や武者窓などもありますよ。
このように、軍事的性格を強く示している城です。
松本城天守は五重天守としては現存最古のもので、大規模な天守建造への転換期に造られたものです。
野面積みの天守台は天守の大きさに比べやや低く、勾配も緩やかでどっしりとした安定感があります。
外観は素朴でパワフル。
各重の外壁の上部は白漆喰で固め、下部は漆塗りの黒い下見板張りです。
別称烏城の由来ですね。
*8月(夏休み) 兵庫県竹田城(第56番)、北海道五稜郭(第2番)
・竹田城
8月は、思い切って山城を攻城しましょう。
「日本のマチュピチュ」「天空の城」と言われ、戦国時代の姿をとどめる雄大な竹田城址の探訪です。
JR播但線竹田駅裏にある法樹寺の横から約1㎞の急勾配の登山道を、息を切らせながら徒歩で60分ほどかけて登ると、ようやく竹田城址に着きます。
竹田駅から天空バスの利用もできますが、中腹にあるバス停からでも、城址までは徒歩約20分はかかりますよ。
竹田城は標高354mの虎臥(とらふす)山山頂に築かれているので、攻城するには覚悟のいる城です。
南北500m、東西100mの大規模な城郭で、山の北側には安井川、南から東側にかけては北上する丸山川があり、また西側眼下には、堀切の代わりをしている南北からの深い谷があります。
典型的な戦国の山城ですね。
本丸を中心に、二の丸、三の丸、北千畳、花屋敷、南千畳の各曲輪が放射線状・梯郭式に配置されており、今なお荒々しくも堅固な石垣が連なる壮大な城址です。
・五稜郭
函館の観光名所五稜郭(ごりょうかく)は奉行所として建造されていますが、戦闘を前提とした防御施設です。
そのため、2006年に日本100名城(2番)として選定された、幕末期の近世城郭最後の城といえます。
正式名称は亀田御役所土塁(かめだおやくしょどるい)ですが、一般的には五稜郭と言われておりますね。
五稜郭は、日米和親条約により開港となった箱館(函館)を、外国からの攻撃に備えること、そして蝦夷地経営の目的で、徳川幕府により函館市の北部亀田川の東側に築城されました。
西洋軍学や築城術に優れた伊予(松山)大洲出身の蘭学者・武田斐三郎(あやさぶろう)が設計を担当しています。
8年がかりで元治元年(1864)に完成された星形(稜堡式)をした、ヨーロッパ式城郭ですね。
周囲350mの星形の曲輪の上に石垣を築き、五つの稜に砲座を設けて(実際には火砲は設置されなかったようです)、周囲を濠で囲む形の城郭です。
曲輪の中央に望楼付きの庁舎と付属施設がつくられ、箱館奉行所として慶応3年(1867)まで徳川幕府が管理していました。
明治維新後新政府はここを箱館裁判所とし、後に「箱館府」と改称しています。
しかし明治元年(1868)の10月26日、軍艦八隻とともに江戸を脱走してきた榎本武揚(えのもと たけあき)ら旧幕臣が占領。
「蝦夷共和国」の樹立を宣言した榎本武揚と旧幕府脱走軍が籠城する事件が発生しました。
明治2年に長州藩兵を中心とした新政府軍は、元新選組の土方歳三(ひじかた としぞう)らの必死の抵抗をつづける五稜郭を攻撃。
苛烈な戦闘を繰り広げた「箱館戦争」と呼ばれる激戦の末、5月18日榎本は五稜郭を開城、官軍に下ります。
五稜郭は外国との戦いの為に築城されましたが、皮肉にも国内戦の戦場となりました。
*9月 愛知県犬山城(第43番)
犬山城は、天文6年(1537)に、織田信長の叔父・信康が木曽川沿いの丘陵上に築いたのが始まりです。
天守が今の形になったのがいつかは、はっきり分かっていません。
付櫓を向かって右側に付け、二重の入母屋造り大屋根に向唐破風と望楼部を載せた古風な形を見せる典型的な望楼型で、三重四階地下二階複合式天守です。
こじんまりしていますが、四階に華灯窓と巡欄干を置いていて、天守らしい姿をみせていますね。
平成16年3月までは、尾張徳川家の付家老(※つけがろう)だった城主の成瀬家の子孫が所有する国宝の城として有名でした。
成瀬氏は、尾張徳川家の家臣であって藩主ではありませんが、35,000石の犬山城城主でした。
また江戸城での詰所と定席をもつという、一国の大名に準じた付家老です。
現在は、公益財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています。
理事長は、成瀬淳子氏です。
世が世なら、女城主ですね。
※付家老とは、御三家が将軍に反抗して幕府の体制を揺るがすことを恐れ、目付け役として将軍が自らの側近を派遣した者のこと。
*10月 東京都江戸城(第21番)
「東京にはよく行くけれど江戸城には行ったことがない、そもそも江戸城は皇居になっていて、観光で入れないのではないか」という声をよく見聞きします。
確かに、かつての江戸城は現在皇居となっています。
しかし、江戸城の本丸・二の丸・三の丸という、言わば城の中心部分は皇居東御苑として一般に公開されており、簡単に見学できますよ。
ぜひ行ってみてください。
皇居新宮殿など天皇のお住まいなどの主要な建物は、江戸城から言えば、外れの西の丸や吹上お庭と言われる場所にあり、内濠で厳重に囲まれています。
東京駅から徒歩約15分で大手門に到着。
土橋を渡っていくと入口に皇宮護衛官がおられますので、ご挨拶して登城しましょう。
ただ、原則として月曜日と金曜日は公開されておりませんので、ご注意下さい。
徳川家康は慶長8年(1603)に征夷大将軍になると、江戸城を本格的な近世城郭にするべく改築に着手しました。
城全体の縄張りは藤堂高虎が担当しています。
工事には、初期は加藤清正・池田輝政・福島正則・加藤嘉明ら西国の大名たちが動員され、後半は東日本の大名たちに手伝わせたそうです。
江戸城は家康、秀忠、家光に至るまでの三代約50年近くにわたって全国の諸大名に命じた天下普請であり、壮大な城郭を築いてきた日本最大の城です。
天守は、3度建造されました。
徳川家康が慶長12年(1607)に建てた初代天守(慶長天守)、2代将軍秀忠が元和9年(1623)に建てた2代目天守(元和天守)、3代家光が寛永15年(1638)に建造した3代目天守(寛永天守)ですね。
家光の建造した寛永天守は、現存の姫路城の天守をはるかに凌ぐ巨大天守だったようですが、明暦3年(1657)の明暦大火で焼失しています。
それ以後、天守は再建されることはありませんでした。
富士見櫓が天守の代用でした。
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*11月 滋賀県彦根城(第50番)
彦根城は、関ヶ原の戦いで戦功を挙げた井伊直政(なおまさ)が上州高崎城から移封してきて、新たに築城した井伊家の居城です。
彦根城は、家康の命により天下普請で築城され、また近隣の城郭から移築されたものが多いのが特色です。
いわば、リサイクルの城郭ですね。だから、天守が戦前の国宝に指定されなかったのではないかと、わたしは思っています。
天守は、付櫓、多聞櫓とともに大津城、本丸入口の天秤櫓は長浜城、太鼓門は佐和山城、西の丸三重櫓は小谷城からの移築といわれています。
三重三階地下一階望楼型複合式天守です。
切妻破風、入母屋破風、軒唐破風など多くの破風が巧みに組み合わされた変化に富んだ姿で、華灯窓、高欄の廻縁が置かれた白亜の華麗な天守です。
*12月 福島県会津若松城(第12番)
東北屈指の名城であり、堅城である会津若松城。
戊辰戦争の戦いの場となった城ですね。
会津若松城は、天正18年(1590)に入封した蒲生氏郷が、92万石の大名に相応しい近世城郭に大改修しました。
のちに加藤氏が五重五階層塔型天守に改築、しかし幕末の戊辰戦争後に取り壊されてしまいます。
現在の天守は、昭和40年(1965)に鉄筋コンクリート造りで復元されたもの。
五重五階層塔型連結式天守で、一重目の切妻破風や三重目に設けられた千鳥破風付きの張出が特徴的です。
*おわりに
以上2024年にぜひ攻城して欲しい15城を、筆者の好みで選んで紹介しました。
時間を作って行ってみてくださいね。
それぞれ歴史がある名城ばかりですので、訪問前に軽くでも歴史を頭に入れていくと、より楽しめると思います。
では、今年も当ブログ「日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記」をどうぞよろしくお願いいたします!
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【参考文献】
公益財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年㋆15日初版発行)他
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