日本全国にあるお城。
見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」その10です!
今回は、国宝の天守について書いていきますね。
昭和4年(1929)に公布・施行された「国宝保存法」により国宝に指定された城は、昭和20年頃にはなんと24城もありました。
しかしこの24城のなかには、現在は国宝である彦根城と水戸城が入っていませんでした。
まさかの彦根城ですね。
また、水戸城は当時、天守(御三階櫓 昭和20年の戦災で焼失)が残っていたにもかかわらずです。
また、このときの国宝指定は、天守だけを指定したものではありませんでした。
たとえば仙台城では、佐賀県にあった名護屋城から移築した大手門が国宝指定されています。
そして首里城は、正殿や守礼門、歓会門、瑞泉門などが国宝に指定されているのですね。
この点からみると、熊本城の宇土櫓(宇土城天守と伝わる)が旧の国宝指定を受けていないのも、私としては納得しがたいものがあります。ホンマ何でやねん。
戦後の昭和25年(1950)に、新たに「文化財保護法」が制定され、その時点で天守が残っていた12城はすべて重要文化財に指定されました。
さらに、その中から特に重要な天守建築を選び直して、改めて「国宝」として指定しています。
そのため、現在、国宝に指定されている天守はわずか5件のみです。
ちなみに二条城は世界遺産であり国宝ですが、国宝指定されているのは二の丸御殿のみ。
二条城には天守がありませんので、通常〈国宝の城〉のなかには含まれてはいません。
最も新しく国宝指定を受けた天守は、島根県にある松江城天守です。
国宝の天守のある城は、勿論すべて日本100名城に選ばれています。
これよりその5つの城址を紹介しますが、国宝天守の個別の詳しい説明はそれぞれの城の記事を参考にして下さいね。
国宝の天守―5城―
①松本城
右側の乾小天守(いぬいこてんしゅ)が文禄2年(1593)に石川数正によって建造され、慶長20年(1615)には大天守が増築されました。
その後、辰巳付櫓と月見櫓が附設されて現在の天守の姿となっていますよ。
正面右側に乾小天守を渡櫓で連結し、左側に辰巳付櫓、朱色の欄干をもつ月見櫓が複合された、五重六階層塔型複合連結式天守です。
二重目の屋根に大きな千鳥破風、三重目に千鳥破風と向唐破風を置いていますね。
黒い下見板張りと白壁が美しい姿をみせている、豪華な城址です。
松本城へは2001年9月14日に初登城しました。
②犬山城
犬山城は、天文6年(1537)に、織田信長の叔父信康が木曽川沿いの丘陵上に築いたのが始まりですが、天守が今の形になったのはいつか不明です。
天守は、付櫓を向かって右側に付け、二重の大屋根に向唐破風と望楼部を載せた古風な姿を見せる典型的な望楼型。
三重四階地下二階の複合式天守ですね。
こじんまりしていますが、四階に華頭窓と巡欄干を置いていて、天守らしい姿をみせています。
平成16年3月までは、尾張徳川家の付家老だった城主である成瀬家の子孫が所有する国宝の城として有名でした。
現在は、公益財団法人犬山城白帝文庫の所有となっています。
理事長は、成瀬淳子氏です。
世が世なら、女城主ですよね。
犬山城への初登城は1999年5月4日でした。
③彦根城
彦根城は、関ヶ原の戦いで戦功を挙げた井伊直政(なおまさ)が上州高崎城から移封してきて、新たに築城した井伊家の居城です。
家康の命により天下普請で築城され、また近隣の城郭から移築されたものが多いのが特色ですね。
天守は、付櫓、多聞櫓とともに大津城から、本丸入口の天秤櫓は長浜城から、太鼓門は佐和山城から、そして西の丸三重櫓は小谷城からの移築といわれています。
三重三階地下一階望楼型の複合式天守です。
切妻破風、入母屋破風、軒唐破風など多くの破風が巧みに組み合わされた変化に富んだ姿で、華頭窓、高欄の廻縁が置かれた白亜の華麗な天守ですよ。
彦根城に初登城したのは、1997年8月5日でした。
④姫路城
姫路城は鎌倉時代末期に、播磨の守護職の赤松則弘が姫山に砦を築いたのが始まりといわれています。
その後、黒田孝高(如水)が城主の時代は姫山城と呼ばれ、如水から譲られた羽柴秀吉が三重の天守を建てて姫路城と改名しました。
関ヶ原の戦いの後に、家康の次女・督姫と再婚した池田輝政が入城。
9年の歳月をかけて改修し、今日見られる姫路城が完成しました。
姫路城の天守は、五重六階地下一階の大天守に乾小天守、東、西の小天守を二重の渡櫓で結んだ望楼型連立式天守です。
2009年(平成21年)からの大規模な「平成の大修理」を終えた天守は、「白鷺(はくろ)城」という別称のとおり、白漆喰総塗籠の白亜の天守に生まれ変わりました。
軒唐破風、大きな入母屋破風、比翼入母屋破風、千鳥破風が組み合わされた名城の名にふさわしい美しい姿で、私たちを楽しませてくれています。
私は1995年11月5日に初登城しました。
⑤松江城
松江城は、加藤清正と並び称される築城の名手・堀尾吉晴が、徳川幕府の許可を得て慶長12年(1607)に築城しました。
松江城天守は山陰地方に唯一現存している天守で、慶長15年に築かれています。
外からは見えませんが、板張り部分に石落としや狭間が設けられている大変実践的な天守ですよ。
全面板張りで同じ大きさの二重の大入母屋造りの建物の上に、三、四、五重目の望楼部が載る「桃山時代初期天守の特徴」である望楼型天守です。
入口となっている付櫓をもつ五重五階地下一階複合式で、古武士のようなどっしりした姿をしていますよね。
私は松江城への初登城は1995年2月26日でした。
【現存天守以外の旧国宝の城の顛末】
昭和4年(1929)の「国宝保存法」により国宝に指定された城は、既述したように昭和20年頃には24城もありました。
現在、天守が現存して国宝や重要文化財に指定されている12城以外の城はどうなったかを紹介しますね。
【戦災焼失】
1 名古屋城 昭和20年空襲により国宝天守ほか焼失
2 仙台城 昭和20年空襲により国宝大手門ほか焼失
3 岡山城 昭和20年空襲により国宝天守ほか焼失
4 福山城 昭和20年空襲により国宝天守ほか焼失
5 広島城 昭和20年原爆により国宝天守倒壊
6 首里城 昭和20年空襲により国宝正殿や守礼門ほか焼失
7 和歌山城 昭和20年空襲により国宝天守ほか焼失
8 大垣城 昭和20年空襲により国宝天守ほか焼失
【戦後火災で焼失】
松前城 昭和24年火災により焼失
【重要文化財指定】
1 熊本城 天守が残っていなかったため
2 金沢城 天守が残っていなかったため
3 高松城 天守が残っていなかったため
以上の12城の内、大垣城だけが続日本100名城に選定されていますが、それ以外の城はすべて日本100名城に選定されています。
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【参考文献】
日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、公益財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)他
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