日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

かるーいお城の雑学(その3)「受難の天守」

f:id:sekimeitiko:20211029141703p:plain

松山城  by:photo-ac

日本全国にあるお城。

見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」その3です!

今回は受難の天守について書いていきますね。

お城の雑学1と2はこちらをどうぞ。

 

城は、築城当時から現在まで長い年月にわたって様々な災害を受け、貴重な遺構の大半を失ってきました。

こうした災禍を潜り抜けて現存する城の遺構は貴重な文化財

わたしたちはこの文化遺産を大切にし、永く後世に伝えていく努力を怠ってはいけません。

城は戦いのための施設でしたから、築城後戦いの結果落城し天守がなくなってしまうのは仕方がないこと。

ところが戦いの結果以外で天守を失ってしまうことが、とても多かったのですね。

今回はさまざまな理由でなくなってしまった受難の天守について紹介します。

 

*城としての正しい運命? 落城による天守消失

f:id:sekimeitiko:20211029142624p:plain

徳川大坂城天守台の上に再建された豊臣大坂城天守  by:photo-ac

大坂城天守は慶長20年(1615)に大坂夏の陣で落城焼失しました。

また安土城は信長が本能寺で亡くなったあと焼失、関ヶ原の戦いの関係では、佐和山城伏見城が焼失、熊本城西南戦争時に城内から出火し炎上しています。

しかし、安土城の後の時代に築城された近世の城郭のうち、戦いによって焼失した天守はそれほど多くないと思います。

 

*運がなかった! 廃城による天守喪失

役目を終え廃城となり、破却されたお城は以下の6城。

長浜城名護屋城門司城原城伏見城高山城です。

 

*ちょっと悔しい! 戦い以外が原因でなくなった天守

残念ながら、城としての本望を遂げて戦争で天守を失ったお城よりも、戦いによる焼失以外の原因で天守がなくなることのほうが多数ありました。

江戸時代の天守は他の建物に比べてひときわ高い建築物だったため、雷が落ちやすかったのですね。

多くの城が、落雷による火災で焼失しています。

また、他の建物の火災による類焼も散見されました。

城はぶ厚い塗籠の土壁で守られていましたが、城下町の火災や、城郭内の他の火災の飛び火が窓などから入り、あえなく焼失してしまうのですね。

 

・二度も焼失した天守

火災等で江戸時代に二度天守が焼失したのは、有名な江戸城です。

1回目は寛永15年(1639)、2回目は有名な明暦3年(1657)の大火で焼失します。

この後江戸城天守は再建されませんでした。

f:id:sekimeitiko:20211029144022p:plain

江戸城天守台    by:photo-ac

他に二度焼失した天守はやはり徳川家の駿府城(失火、類焼)で、江戸城と同じく三度目の天守は再建されませんでした。

他には大坂城(落城、落雷)と和歌山城(落雷、空襲)ぐらいしかありません。

大阪城和歌山城天守は昭和になって再建されています。

 

元和元年(1615)に、本城以外の城の破却を命じた一国一城令と居城の補修の届け出制と許可なく築城することを禁止した武家諸法度が出されます。

各大名は城を築くことが制限されただけなく、将軍家の江戸城天守が明暦の大火後再建されなかったこともあり、諸大名の城でも天守が焼失しても再建しないのが当たり前となりました。

三重櫓を天守代用とした弘前城の例もありますが、多くの場合は天守台のみがむなしく残されたのですね。

 

・火災で天守を失った城

戦後の昭和24年に町役場から出火した火災の飛び火が旧国宝の松前城天守に移り火事になりました。

町民たちのバケツリレーによる必死の消火活動も空しく、松前城天守は最上階から下に燃え移り、焼け落ちたそうです。

 

江戸時代に天守が焼失した主な城は、以下の通り。

・新庄城

・富山城

白石城

大野城

佐倉城

水戸城

江戸城

駿府城

加納城

高知城

松山城

小倉城

・府内城

柳川城

中津城

平戸城

・熊本城

などです。

江戸時代に天守が焼失し、それを江戸時代に再建した例は、現存する高知城松山城天守だけ。

大変珍しい例ですね。

f:id:sekimeitiko:20211029144443p:plain

高知城天守と本丸御殿   by:photo-ac

高知城享保12年(1727)に起こった城下の大火により、天守をはじめ本丸や二の丸などほとんど全焼しました。

しかし藩祖・山内一豊が創建した天守が忘れられず、寛延2年(1749)に現存天守を含めた本丸を再建しています。

天守は古い天守の姿を忠実に再現している、大変特異な例です。

 

・落雷で天守を失った城

避雷針もない高層建築の天守に雷が落ちるのは、当たり前といえば当たり前ですよね。

多くの天守が落雷により焼失しています。

そのおもな城は、次の通りです。

弘前城

盛岡城

相馬中村城

金沢城

小諸城

村上城

金沢城

・福井城

鳥取

津和野城

大坂城

岸和田城

和歌山城

・二条城

・淀城

松山城

・佐賀城

・八代城

・佐伯城

など。

 

地震によって天守が崩壊した城

地震大国日本ですから、地震が原因のところもあります。

地震によって倒壊した例として掛川城天守が有名。

掛川城は幕末の大地震で被害を受け、修理が大変であるという理由で天守は破却されました。

その他では、小田原城長岡城丸岡城原城犬山城岡城などがありますが、小田原城丸岡城犬山城などはその後修復されています。

 

一国一城令で取り壊された城

一国一城令で取り壊された城は数多くあり、約90城ぐらいあったようです。

しかしその中で、新宮城明石城丸亀城杵築城は後日再建されています。

 

*明治時代までは生き残った!現存天守12城と空襲で天守を失った城

江戸時代に建造された天守で、現存している天守(もちろん修復はしていますが)はわずかに12城しかありません。

以下のお城ですね。

【国宝の5城】

松江城

・姫路城

彦根城

犬山城

松本城

 

重要文化財の7城】

高知城

宇和島城

松山城

丸亀城

備中松山城

丸岡城

弘前城

 

明治維新によって多くの城は廃城となり、天守などの建造物は売却されました。

それでも残った20の天守ですね。

ただし、高松城天守老巧化のため明治17年(1884)に解体されています。

 

明治時代まで生き残った城は、昭和22年(1947)までに24城が旧国宝に指定されました。

これは昭和4年(1929)に公布された「国宝保存法」にもとづいて、名古屋城が城郭建築として初めて指定されたことがきっかけです。

現存天守の12城に加えて、以下の12城が旧国宝に指定されています。

仙台城天守なし)

岡山城

福山城

広島城

・熊本城

首里城天守なし)

金沢城天守なし)

和歌山城

大垣城

・二条城天守なし)

松前城

高松城天守なし)

 

・空襲によって天守焼失した城

せっかく昭和の時代まで存続していた天守ですが、第2次世界大戦下の空襲で、名古屋城をはじめ広島城福山城岡山城和歌山城大垣城水戸城の七つの天守(内旧国宝天守が6つ)が焼失・倒壊しました。

残念ながら徳川御三家の居城・水戸城のシンボルだった天守(御三階櫓)は再建されていません。

しかし、他の城はすべて戦後に再建済みです。

f:id:sekimeitiko:20211029163518p:plain

昭和34年復元された名古屋城天守  by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20211029163543p:plain

昭和33年復元された和歌山城天守  by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20211029163611p:plain

昭和41年復元された岡山城天守   by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20211029163633p:plain

昭和41年復元された福山城天守   by:photo-ac

広島城は原爆により天守が倒壊しています。

このとき炎上はしなかったのですが、倒壊した天守の部材が周辺の住民によりことごとく持ち去られました。

とは言え、持ち去られた部材はバラック小屋などの建材になるなどで広島の復興の一助となったそうなので、悲劇だけではないですね。

f:id:sekimeitiko:20211029163655p:plain

昭和33年復元された広島城天守  by:photo-ac

姫路城も爆撃を受けましたが、天守や西の丸に着弾した焼夷弾はことごとく不発に終わり、天守をはじめ建造物は奇跡的に無事でした。

f:id:sekimeitiko:20211029163356p:plain

世界文化遺産・国宝姫路城天守  by:photo-ac

姫路空襲によって市街地の40%が焼失し焼け野原となったことを思えば、本当に奇跡です

焼土のなか空襲を耐えしのいだ姫路城天守を見て、多くの姫路市民が涙したと伝わっています。

 

・戦時中、そして近年に焼失した城・首里城

元々天守はありませんが、沖縄の首里城も戦火で焼失しています。

首里城は特に戦時中にひどい被害を受けた城ですね。

空襲ではなく海上の戦艦からの艦砲射撃で、正殿や守礼門をはじめとするほぼすべての建物や城門が破壊されたのです。

それは、わずかに石垣だけが少し残るほどのすさまじい砲撃でした。

こうなったのは、日本軍が首里城の下に地下壕を築いて司令部を置いていたため。

日本のせいで沖縄は散々な目に合わせられました。

戦後、数十年を費やして琉球王朝時代の首里城が再建され、その全容を私たちの前に表そうとしていましたね。

しかしその矢先、令和元年(2019)10月31日未明に火災が発生、正殿をはじめ多くの建物が焼け落ちています。

まさに痛恨の極み。

首里城は、今までに1453年、1660年、1709年、1945年と4回の焼失にあっています。

2019年の火事で、歴史上5回目の焼失となりました。

日本の城郭史上これほど焼失し、その都度再建されてきた城はありません。

しかし、首里城はまた近い将来に不死鳥のごとくよみがえり、その美しい姿を再び見せてくれるはずです。

f:id:sekimeitiko:20211029162746p:plain

原因不明の失火で焼失した首里城  by:photo-ac

 

一休高級ホテル・旅館が最大60%OFF!

【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!  

 

【参考文献】

三浦正幸監修『【決定版】図説・城造りのすべて』(学習研究社 2006年12月1日第1刷発行)、井上宗和『日本の城の基礎知識』(雄山閣 平成3年7月5日再版)、『日本城郭大事典』(新人物往来社 1997年6月27日発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害台場事典』(東京棠出版 2002年7月15日初版発行)