日本全国にあるお城。
見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」その3です!
今回は受難の天守について書いていきますね。
お城の雑学1と2はこちらをどうぞ。
城は、築城当時から現在まで長い年月にわたって様々な災害を受け、貴重な遺構の大半を失ってきました。
こうした災禍を潜り抜けて現存する城の遺構は、貴重な文化財です。
わたしたちはこの文化遺産を大切にし、永く後世に伝えていく努力を怠ってはいけません。
城は戦いのための施設でしたから、築城後戦いの結果落城し天守がなくなってしまうのは仕方がないこと。
ところが戦いの結果以外で天守を失ってしまうことが、とても多かったのですね。
今回はさまざまな理由でなくなってしまった受難の天守について紹介します。
- *城としての正しい運命? 落城による天守消失
- *運がなかった! 廃城による天守喪失
- *ちょっと悔しい! 戦い以外が原因でなくなった天守
- *明治時代までは生き残った! 現存天守12城と空襲で天守を失った城
*城としての正しい運命? 落城による天守消失
大坂城の天守は慶長20年(1615)に大坂夏の陣で落城焼失しました。
また安土城は信長が本能寺で亡くなったあと焼失、関ヶ原の戦いの関係では、佐和山城、伏見城が焼失、熊本城は西南戦争時に城内から出火し炎上しています。
しかし、安土城の後の時代に築城された近世の城郭のうち、戦いによって焼失した天守はそれほど多くないと思います。
*運がなかった! 廃城による天守喪失
役目を終え廃城となり、破却されたお城は以下の6城。
*ちょっと悔しい! 戦い以外が原因でなくなった天守
残念ながら、城としての本望を遂げて戦争で天守を失ったお城よりも、戦いによる焼失以外の原因で天守がなくなることのほうが多数ありました。
江戸時代の天守は他の建物に比べてひときわ高い建築物だったため、雷が落ちやすかったのですね。
多くの城が、落雷による火災で焼失しています。
また、他の建物の火災による類焼も散見されました。
城はぶ厚い塗籠の土壁で守られていましたが、城下町の火災や、城郭内の他の火災の飛び火が窓などから入り、あえなく焼失してしまうのですね。
・二度も焼失した天守
火災等で江戸時代に二度天守が焼失したのは、有名な江戸城です。
1回目は寛永15年(1639)、2回目は有名な明暦3年(1657)の大火で焼失します。
他に二度焼失した天守はやはり徳川家の駿府城(失火、類焼)で、焼失した後江戸城と同じく天守は再建されませんでした。
他には大坂城(落城、落雷)と和歌山城(落雷、空襲)ぐらいしかありません。
元和元年(1615)に、本城以外の城の破却を命じた「一国一城令」と、居城の補修の届け出制と許可なく築城することを禁止した「武家諸法度」が出されます。
各大名は城を築くことが制限されただけなく、将軍家の江戸城天守が明暦の大火後再建されなかったこともあり、諸大名の城でも天守が焼失しても再建しないのが当たり前となりました。
三重櫓を天守代用とした弘前城の例もありますが、多くの場合は天守台のみがむなしく残されたのですね。
・火災で天守を失った城
戦後の昭和24年に町役場から出火した火災の飛び火が、旧国宝の松前城天守に移り火事になりました。
町民たちのバケツリレーによる必死の消火活動も空しく、松前城天守は最上階から下に燃え移り、焼け落ちたそうです。
江戸時代に天守が焼失した主な城は、以下の通り。
・新庄城
・富山城
・白石城
・大野城
・佐倉城
・水戸城
・江戸城
・駿府城
・加納城
・高知城
・松山城
・小倉城
・府内城
・柳川城
・中津城
・平戸城
・熊本城
など。
江戸時代に天守が焼失し、それを江戸時代に再建した例は、現存する高知城、松山城の天守だけ。
大変珍しい例ですね。
高知城は享保12年(1727)に起こった城下の大火により、天守をはじめ本丸や二の丸などほとんど全焼しました。
しかし藩祖・山内一豊が創建した天守が忘れられず、寛延2年(1749)に現存天守を含めた本丸を再建しています。
・落雷で天守を失った城
避雷針もない高層建築の天守に雷が落ちるのは、当たり前といえば当たり前ですよね。
多くの天守が落雷により焼失しています。
そのおもな城は、次の通りです。
・弘前城
・盛岡城
・金沢城
・小諸城
・村上城
・金沢城
・福井城
・鳥取城
・津和野城
・大坂城
・岸和田城
・和歌山城
・二条城
・淀城
・松山城
・佐賀城
・八代城
・佐伯城
など。
・地震によって天守が崩壊した城
掛川城は幕末の大地震で被害を受け、修理が大変であるという理由で天守は破却されました。
その他では、小田原城、長岡城、丸岡城、田原城、犬山城、岡城などがありますが、小田原城や丸岡城、犬山城などはその後修復されています。
・一国一城令で取り壊された城
一国一城令で取り壊された城は数多くあり、約90城ぐらいあったようです。
しかしその中で、新宮城、明石城、丸亀城、杵築城は後日再建されています。
*明治時代までは生き残った! 現存天守12城と空襲で天守を失った城
江戸時代に建造された天守で、現存している天守(もちろん修復はしていますが)はわずかに12城しかありません。
以下のお城ですね。
【国宝の5城】
・松江城
・姫路城
・彦根城
・犬山城
・松本城
【重要文化財の7城】
・高知城
・宇和島城
・松山城
・丸亀城
・丸岡城
・弘前城
明治維新によって多くの城は廃城となり、天守などの建造物は売却されました。
それでも残った20の天守ですね。
ただし、高松城の天守は老巧化のため明治17年(1884)に解体されています。
明治時代まで生き残った城は、昭和22年(1947)までに24城が旧国宝に指定されました。
これは昭和4年(1929)に公布された「国宝保存法」にもとづいて、名古屋城が城郭建築として初めて指定されたことがきっかけです。
現存天守の12城に加えて、以下の12城が旧国宝に指定されています。
・岡山城
・福山城
・広島城
・熊本城
・和歌山城
・大垣城
・二条城(天守なし)
・松前城
・空襲によって天守焼失した城
せっかく昭和の時代まで存続していた天守ですが、第2次世界大戦下の空襲で、名古屋城をはじめ広島城、福山城、岡山城、和歌山城、大垣城、水戸城の七つの天守(内旧国宝天守が6つ)が焼失・倒壊しました。
残念ながら徳川御三家の居城・水戸城のシンボルだった天守(御三階櫓)は再建されていません。
しかし、他の城はすべて戦後に再建済みです。
このとき炎上はしなかったのですが、倒壊した天守の部材が周辺の住民によりことごとく持ち去られました。
とは言え、持ち去られた部材はバラック小屋などの建材になるなどで広島の復興の一助となったそうなので、悲劇だけではないですね。
姫路城も爆撃を受けましたが、天守や西の丸に着弾した焼夷弾はことごとく不発に終わり、天守をはじめ建造物は奇跡的に無事でした。
姫路空襲によって市街地の40%が焼失し焼け野原となったことを思えば、本当に奇跡です。
焼土のなか空襲を耐えしのいだ姫路城天守を見て、多くの姫路市民が涙したと伝わっています。
・戦時中、そして近年に焼失した城・首里城
元々天守はありませんが、沖縄の首里城も戦火で焼失しています。
首里城は特に戦時中にひどい被害を受けた城ですね。
空襲ではなく海上の戦艦からの艦砲射撃で、正殿や守礼門をはじめとするほぼすべての建物や城門が破壊されたのです。
それは、わずかに石垣だけが少し残るほどのすさまじい砲撃でした。
こうなったのは、日本軍が首里城の下に地下壕を築いて司令部を置いていたため。
日本のせいで沖縄は散々な目に合わせられました。
戦後、数十年を費やして琉球王朝時代の首里城が再建され、その全容を私たちの前に表そうとしていましたね。
しかしその矢先、令和元年(2019)10月31日未明に火災が発生、正殿をはじめ多くの建物が焼け落ちています。
まさに痛恨の極み。
首里城は、今までに1453年、1660年、1709年、1945年と4回の焼失にあっています。
2019年の火事で、歴史上5回目の焼失となりました。
日本の城郭史上これほど焼失し、その都度再建されてきた城はありません。
しかし、首里城はまた近い将来に不死鳥のごとくよみがえり、その美しい姿を再び見せてくれるはずです。
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【参考文献】
三浦正幸監修『【決定版】図説・城造りのすべて』(学習研究社 2006年12月1日第1刷発行)、井上宗和『日本の城の基礎知識』(雄山閣 平成3年7月5日再版)、『日本城郭大事典』(新人物往来社 1997年6月27日発行)、西ヶ谷恭弘編著『国別 城郭・陣屋・要害台場事典』(東京棠出版 2002年7月15日初版発行)
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