日本全国にあるお城。
見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」です!
天守の形式には、大きく分けて望楼型天守と層塔型天守があります。
一般的にいって望楼型は古い形式の天守ですね。
前回の「かるーいお城の雑学(その12)」で紹介しました。
そして層塔型天守は、関ヶ原の戦いのあとに生まれた新しい形式の天守です。
築城の名手藤堂高虎が考案したものといわれ、今治城が最初の層塔型の天守でした。
しかし現在の今治城天守は、残念なことに模擬の望楼型天守なんですよね……。ホント残念。
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前置きが長くなりましたが、今回は層塔型天守の紹介をします。
層塔型天守の説明にはぴったりの建築物が、上の写真の島原城天守ですね。
層塔型天守はこの島原城天守のように、一重目から最上階まで規則的に面積を小さくして順番に積み上げていく形式の天守です。
各重の屋根は四方に均等にふき下ろされています。
三重の塔や五重の塔と同じですね。
それにしても島原城天守は、望楼型天守と違って破風などの飾りがまったくない天守ですね~。
層塔型天守は、技術的にも時間的にも効率的に築城が可能となったことにより、建てられるようになりました。
徳川将軍家は江戸城や大坂城、名古屋城などの巨大な層塔型の天守を建造して、その権力を見せつけます。
上の写真にあるように、名古屋城層塔型復元天守は、比翼千鳥破風、軒唐破風、千鳥破風を巧みに組み合わせた、巨大ですが美しく威厳のある天守ですよね。
では、以下代表的な層塔型の天守を7つ紹介していきましょう。
- 1、松前城天守(北海道 日本100名城)
- 2、会津若松城天守(福島県 日本100名城)
- 3、小田原城天守(神奈川県 日本100名城)
- 4、大垣城天守(岐阜県 続日本100名城)
- 5、福山城天守(広島県 日本100名城)
- 6、大洲城天守(愛媛県 日本100名城)
- 7、宇和島城天守(愛媛県 日本100名城)
- 【天守の用語】
1、松前城天守(北海道 日本100名城)
幕末最後の日本式で築かれた近世城郭で、ほぼ同時期に完成した西洋式城郭の五稜郭とは好対称の城ですね。
戦前まではこちらの天守、国宝に指定されていました。
しかし、昭和24年6月町役場火災の飛び火により、残念なことに焼失しています。
現在の天守は昭和36年に鉄筋コンクリート造りで復興された天守で、内部は松前城資料館となっています。
見ての通りに破風などの装飾は一切なく、明り取りの窓しかない三重三階建てのシンプルな層塔型独立天守です。
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2、会津若松城天守(福島県 日本100名城)
会津若松城は東北における代表的な近世城郭で、戊辰戦争の戦跡としても歴史上で有名ですね。
冬期には総塗籠の白壁と屋根に積もった雪とで全面が白一色となり、北国の天守の美しさを見せてくれます。
現在の天守は、古写真などをもとに昭和40年に鉄筋コンクリートで再建された五重五階の層塔型連結式復元天守です。
三重目に設けられた入母屋破風付きの張出が特徴的で、他の切妻破風とともに層塔型のシンプルな天守に変化をつけています。
また最上階には廻り縁が設けられていますね。
3、小田原城天守(神奈川県 日本100名城)
現在の天守は、宝永3年(1706)に再建された天守の雛型や絵図を基にして、昭和35年(1960)に小田原市制20周年を記念して復興されました。
三重四階の天守に、多聞櫓、続櫓、最上階に廻縁をつけた層塔型複合式天守です。
白漆喰総塗籠の天守、いわゆる「白い城」ですね。
一重目に入母屋破風と入母屋破風の出窓、二重目に比翼千鳥破風と軒唐破風、二重目、三重目に軒唐破風が付いた美しい姿をみせています。
丸岡城と同じように入口へと真直ぐ登る石段が付いていますよ。
4、大垣城天守(岐阜県 続日本100名城)
大垣城は、寛永12年(1635)戸田氏鉄(うじかね)が城郭を大きく修築、近世的な城郭へと体裁を整えた城郭です。
戸田氏は尼崎城から10万石で入城してきました。
天守は多聞櫓を2つ持つ白漆喰総塗籠の四重四階層塔型複合式天守で、大変珍しいものです。
四重目に突き抜ける大きな千鳥破風が四方に付けられ、二重目の小さな千鳥破風ときれいな姿を見せています。
現在の天守は、昭和34年鉄筋コンクリート造りで外観復元されました。
内部は歴史資料館です。
平成22年の天守改修では、天守屋根瓦(鯱瓦、鬼瓦、軒瓦など)を古写真などの検証により旧国宝時の姿に戻していますよ。
四重目の窓の形も元の形に近づけ、再建時に付け加えられていた破風の飾りなども取り外され、旧国宝時代の天守の姿により近く改修されました。
本当に良かったです、大垣市の取組は素晴らしいですね。
5、福山城天守(広島県 日本100名城)
五重六階地下1階の層塔型で、二重三階の付櫓をもつ複合式天守ですね。
天守の外壁は白漆喰の総塗籠ですが、江戸時代の天守(天守の古写真でも確認可能)では、縄張りの弱点と考えられていた北側の1階から4階までの外壁には鉄板がびっしりと貼られていました。
鉄板張りの天守は他にはありません。
福山城天守は、天守建築の最終到達点と言える随一の建造物と評価が高く、伏見櫓、御湯殿、筋鉄御門とともに旧国宝に指定されていました。
しかし残念なことに、昭和20年(1945)8月の空襲で焼失してしまいます。
現在の天守は、昭和41年に福山市市制50周年記念事業として鉄筋コンクリート造りで外観復元されたものです。
その後、2022年8月の福山城築城400年記念事業として、築城時と同じように天守北側に鉄板が貼られました。
天守再建時には鉄板は貼られていませんでしたが、しっかり再現しようとしたのでしょう。
千鳥破風と比翼千鳥破風を組み合わせて一重目と二重目に配しています。
そして三重目と四重目に軒唐破風と千鳥破風を、最上階には華頭窓を開き、周囲に朱塗りの高欄を設けた美しい天守ですね。
6、大洲城天守(愛媛県 日本100名城)
大洲城天守は平成16年(2004)に大洲市市制50周年記念として、古写真や天守雛型などを基に、本格的な完全木造で再建されました。
現在もっとも新しい木造の天守建築ですよ。
本丸に残っていた小天守の二重二階の台所櫓と高欄櫓を渡櫓で連結した、珍しい四重四階の層塔型連結式天守です。
本丸側から見ると、外壁は一重目は白漆喰塗籠。
二重目から上は下見板張りを施し、比翼千鳥破風と千鳥破風を交互に置き、三重目には向唐破風を置いています。
外部から見ると、天守と台所櫓のサイドの一重目の下の部分は下見板張りとなっていますね。
7、宇和島城天守(愛媛県 日本100名城)
現存の天守は、寛文(かんぶん)6年(1666)に再建されたものです。
御覧になってお分かりいただるように、本丸中央部にまったく防御が感じられない、平和の訪れを象徴するような層塔型独立式の、三重三階白漆喰総塗籠の小規模な天守ですね。
美しい切込み接ぎの天守台にちょこんと建てられた天守には、普通の天守にあるべきはずの石落しや狭間は全くありません。
逆に、一階平面が天守台上部より一回り小さくなっており、犬走り(いぬばしり)があります。
これは防御上死角ができて良くないため、大変珍しいですね。
天守は、天守の入り口と言うよりは御殿の玄関に近い形の唐破風造りの玄関を持っています。
そして一重目に比翼千鳥破風、二重目に千鳥破風、三重目に軒唐破風と連子窓を組み合わせた、装飾性に富んだ優美な姿です。
至る所に「九曜」紋、「竹に雀」紋、「竪三引両」紋と伊達家の家紋・裏紋を配しています。
【天守の用語】
ここで少々、天守の用語を再確認しましょう。
◎現存天守
江戸時代に建造され、修理などを経て今も残る天守のことです。12城あります。国宝天守が5つで、重要文化財天守が7つです。
◎復元天守
規模・外観ともに旧状のとおり設計され、再建されている天守のことです。コンクリート造りでも木造でも、実在した外観の旧形である再建天守をいいます。
◎復興天守
天守建物が絵図・古絵図・資料等で確認できますが、旧状の正確な数値が不明なため、想像で再築した天守のことです。
◎模擬天守
天守建物がそこに存在したことが、絵図・古絵図・資料等で確認できない、あるいは旧状を無視して新たな意匠で、観光のためや博物館などのために建造した天守のことです。
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【参考文献】
日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、公益財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)他
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