日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第107回 佐賀城

佐賀城鯱の門と続櫓    by:photo-ac

107回目になりました!

今回は、佐賀県の佐賀城です。

佐賀城は、佐賀平野の中央部に築かれた鍋島家35万石の居城。

広大な城地に四重の天守や大規模な御殿が建ち並ぶ豪勢な平城でした。

小運河に囲まれた低い土地にあり、有事の時は多布施川(たぶせがわ)の水を引き入れて、天守と本丸以外は城郭が城下もろとも水没するように仕組まれているといわれています。

「沈み城」の別称の由来ですね。

自然を最大限に利用した天然の要害だったようです。

日本100名城」(第89番)に選定されています。

別称は、佐嘉(さが)城、栄(さかえ)城、亀甲(かめのこ)城、沈(しず)み城です。

私は、2002年10月20日に初登城。

本丸御殿が復元された後にも、再登城しました。

 

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復元された本丸御殿    by:photo-ac

佐賀城は、龍造寺家が本城として築いた佐賀龍造寺城(村中城)を基礎にし、鍋島直茂(なおしげ)・勝茂(かつしげ)親子よって築かれた城です。

戦国時代末期に九州北部を支配していた龍造寺隆信(たかのぶ)は、天正12年(1584)に有馬・島津連合軍と戦い、戦死します。

病身の龍造寺正家は、子の高房が15歳になったら政権を返上するという約束のもとで、隆信の重臣であった鍋島直茂に龍造寺家の家督を譲るように、豊臣秀吉に強要されました。

しかしその約束は反故にされ、鍋島直茂が佐賀城の城主となったのですね。

鍋島直茂・勝茂親子は、佐賀龍造寺城(村中城)を肥前の府城にふさわしい城郭として、慶長6年(1601)頃から新たに石垣を築き、濠幅を拡張し、本丸普請、西の丸、天守造営と近世城郭に改修しました。

佐賀城天守は、小倉城天守を参考にして造られた、四重五階建ての南蛮造りだったようです。

城郭が完成したのは慶長16年でした。

鍋島直正像    by:photo-ac

佐賀城はたびたび火災にあっています。

享保11年(1726)に城外から出火し、強風により二の丸から天守まで炎上。

天保6年(1835)の2度目の火災でも、政庁の中心だった二の丸御殿が焼失。

10代目城主の鍋島直正は再建に取り掛かり、新たに本丸御殿を建造しました。

本丸側から見た鯱の門    by:photo-ac

上の写真の「鯱の門」は、本丸の再建にあたって天保9年に再建された続櫓が付属する二重渡櫓門形式の門です。

重要文化財に指定されていますよ。

入母屋の両端に青銅の鯱が置かれていることから、この名前が付けられました。

明治7年、明治政府の政策に反対する江藤新平を中心とした不平士族が蜂起し、佐賀城を戦場にして政府軍と戦いました。

佐賀の乱」と言われているこの戦いでは鯱の門などの一部の建物を除き、ほとんどの建物が焼失しました。

鯱の門の壁や扉には、この時に撃ち込まれた多数の弾痕が生々しく残っていますよ。

佐賀城では鍋島氏が11代まで藩主を務め、明治を迎えます。

 

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公園内に設置されている「佐賀城縄張図」    by:photo-ac

本丸の北西部に天守を、北部に鯱の門を置いて西と北側だけに石垣が築かれています。

二の丸、三の丸、西の丸のまわりはすべて土塁で、それぞれ水濠で囲まれていました。

四周を幅の広い水濠で囲んだ典型的な平城ですね。

戦国時代からの重臣たちの武家屋敷が、城地の大半を占めていました。

今残っている天守台に四重の天守がそびえていたとのことです。

その天守は残念ながら、享保11年(1726)の火災で、天守を含む本丸、二の丸、三の丸の建物とともに全焼してしまいました。

その後、本丸御殿などが再建されましたが、天守が再建されることはありませんでした。

打込接ぎの天守台      by:photo-ac

本丸御殿    by:photo-ac

佐賀城本丸歴史館が平成16年(2004)に建造されました。

これは天保6~9年(1835~38)に10代藩主・直正により再建された本丸御殿を忠実に

外観復元したものです。

館内は、「佐賀城の変遷と本丸」「幕末・維新期の佐賀」「鍋島直正と幕末佐賀

藩」という3つのテーマで、佐賀藩のいろいろなことが分かりやすく紹介されていますよ。

続櫓の石垣にあるハート  by:photo-ac

城址は佐賀城公園となり、市民の憩いの場となっています。

また、幅50m以上の水濠に囲まれた城跡には、佐賀県庁、美術館、博物館、学校などの多くの公共施設があります。

 

柳川城跡と佐賀県城址巡り】

2002年10月20日、私は佐賀市出張のついでに3城址巡りを楽しみました。

女城主に婿入りして関ヶ原の戦いで浪人となり、やがて再び11万9千石の城主として帰ってきた大名、立花宗茂をご存じでしょうか?

その立花宗茂で有名な柳川城を最初に探訪しました。

柳川は、船でのお堀りめぐりや北原白秋の生家跡、佐賀藩主・立花邸御花などが有名な観光地です。

城跡は中学校や高校の敷地になっていて、わたしが攻城した頃は天守台あとに柳川城跡と書かれた擬木が立てられているだけでした。

現在は天守跡などの一部が柳城公園として整備されているようです。

お掘りめぐり     by:photo-ac

柳川藩主立花邸御花   by:photo-ac

続いて佐賀城址を探訪しました。

私が訪れた頃は、鯱の門や天守台が遺構として残っているだけでした。

2004年には本丸御殿が佐賀県立佐賀城本丸歴史館として復元されたので、再度訪問。

そして最後に、鹿島城に登城です。

ここは重要文化財の大手門と赤門が遺構として残っていましたね。

赤門は、本丸の表門として文化5年(1808)に建造された藩主専用の丹塗りの門です。

現在は、本丸跡に造られた鹿島高校の正門となっています。

鹿島城大手門   by:photo-ac

 

*佐賀城詳細

・住所:佐賀県佐賀市城内2-18-1

・アクセス:JR長崎本線佐賀駅から徒歩30分 / JR長崎本線佐賀駅からタクシー利用で10分 / 佐賀駅バスセンターから佐賀市営バス佐賀城跡線に乗りバス停「佐賀城跡」下車、徒歩1分

・営業時間:佐賀城本丸歴史館9:30〜18:00 / 佐賀城公園7:30〜21:00

・定休日:佐賀城本丸歴史館 年末年始(12月29日〜1月1日) その他臨時休館日あり / 佐賀城公園は年中無休

 

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【参考文献】

平井 聖監修『城 8 九州 沖縄 火燃ゆる強者どもの城』(毎日新聞社 平成8年10月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ三』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、中山良昭編著『もう一度学びたい日本の城』(西東社 2007年7月15日発行)他

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