
「気ままにぶらっと城跡へ」の第31回目は、滋賀県の安土町にある観音寺城の紹介です。
10月14日(2024年)に再訪してきました。
こちらの訪問に当たって、JR安土駅から観音正寺駐車場まではタクシーで3,600円、途中から観音正寺駐車場までの五家荘林道は通行料が600円かかります。
そして観音正寺入山料は500円。
観音寺城址周辺は桑実寺(くわのみでら)の所有地のため探訪が終わって桑実寺に下山すれば、桑実寺で入山料300円取られます。仕方ないけどね。
攻城費用が結構高くつく山城でしたので、訪問の際には念のため、覚えておいてください。
また、観音寺城探訪の前には安土駅にある観光案内所でいろんなパンフレットを貰うこと、さらに一度説明を聞いてから攻城することをおすすめします。
*観音寺城とは?
観音寺城は、標高433mの繖山(きぬがさやま)山頂から、主に南山麓かけて多くの曲輪が置かれた戦国時代に築かれた最大級の山城で、五大山城のひとつです。
「日本100名城」第52番に選定され、国の指定史跡にもなっています。
別称は佐々木城。
私は、2006年5月14日に初攻城しています。
注)五大山城:中世の山城で、越後国(新潟県)春日山城、能登国(石川県)七尾城、近江国(滋賀県)観音寺城、小谷城(おだにじょう)、出雲国(島根県)月山富田城。
いずれもすでに個別にご紹介していますので、それをご覧いただけると幸甚です。
*観音寺城の歴史と見どころ

観音寺城は、下に載せた「縄張図」で分かるように、観音正寺の西側のところだけでなく、北側から東側にかけてのエリアにもたくさんの曲輪が置かれていました。

参道をまっすぐに進まずに右上にあがる道を行くと、下の縄張図の上の道を通っていくことになります。
上の道は、結構きついのぼり坂がありますよ。
途中「佐々木城址」の石碑や若干の石垣を見られますが、説明板がないうえにそれなりの時間も必要です。
そのため、城址の主郭部だけを見たい方はこの道をまっすぐ行き、観音正寺を通って行くことをお勧めします。

観音寺城の築城は定かではありませんが、建武2年(1335)頃に近江の守護佐々木氏頼(うじより)によって築かれたのではないかと伝わっています。
名門・佐々木(六角)氏の居城ですね。
文明3年(1471)頃から佐々木六角氏によって、繖山の南側山腹一帯に城域の拡張・改修を繰り返しながら、石垣、石塁による城づくりが進められていったようです。
背後にある琵琶湖の入江、大中の湖と東山道、南にある長光寺の集落から分岐する、伊勢へと抜ける八風街道を押さえる交通の要衝にあります。
永禄11年(1568)に、上洛する織田信長が近くにある支城の箕作(みつくり)城などを猛攻撃する様子を見て、時の城主であった六角義賢(よしかた)・義治父子は、情けなくも観音寺城を捨てて敗走。
その後観音寺城は廃城となりました。
観音寺城は、繖山の山頂部の本丸をはじめ、平井丸、池田丸、三井丸、沢田丸など多くの曲輪と家臣団や国人の屋敷などを全山に配するなど、中世城郭においては革新的な城で、日本最大級の壮大な規模の山城でした。
それらの曲輪のほとんどが石垣で囲繞されていたといわれています。

この石碑が建てられているところには何も標識がありませんでしたが、おそらく「大見付」か「伝伊庭丸」だと思われます。






「伝本丸」は、江戸時代の古絵図に「本城」と記述があることから、ここは本丸だったと考えられています。
他の曲輪の名前も同じです。
当時の城の多くは、山麓の居住施設と山上の戦闘施設の部分に分かれていました。
しかし山上の周囲を石垣で囲まれた観音寺城本丸には、発掘調査で大量の生活遺物が出土していることから、すでに御殿を築いて生活していたと考えられています。


石垣の隅部は、充分ではありませんが算木積みになっている、先駆的な石垣です。
ここの虎口だけが食い違いとなっていて、防御力を高めています。



佐々木六角氏の腹心といわれる、平井氏の屋敷跡(伝平井丸)の石垣です。
大きな石による高さ4m程の石垣が、約32mも築かれていたようですよ。
平井丸は、観音寺城の曲輪のなかでも石垣や石塁の規模が最大で、打ち込み接ぎのような石組みとなっています。
本格的に総石垣・高石垣が城郭に採り入れられたのは、一般的には織田信長の安土城が最初と言われています。
しかし、安土城に先立つこと40年余に、観音寺城にこれほどの石垣、そして高石垣が築かれていることは驚きですね。
城に本格的に築かれた石垣としては、恐らく初めてのものともいわれているようです。
また、これらの曲輪群も家臣や配下の国人領主たちの屋敷跡であり、この形も安土城の先駆をなしています。
歩いてみれば気がつくのですが、繖山は大きな石が至るところにごろごろある石の山でした。
豊富な石材が山上にあったことが、観音寺城に大きな石垣が築かれたことに影響していると思います。
もっとも、それを加工し、石垣として築く技術をもった寺社に所属する石工集団に命令をできる権力、そして財力を佐々木六角氏が持っていたことは、いうまでもないことですけれどね。
これらのことは、六角氏が単なる戦国武将ではなく、名門の守護大名であったからできたことだと考えられています。




伝池田丸(池田氏屋敷跡)は広かったです。
周囲には石垣が築かれていました。


大石垣の上には巨石がいくつもあり、そのひとつが「女郎岩」といわれる巨石です。
長い間樹木に覆われていたそうですが、地元の人たちの整備により、麓からもその姿が見られるそうですよ。
下山してから大石垣や女郎岩を探してみましたが、私には見つけられませんでした、残念!

伝池田丸から南側に延びる尾根筋から東へと築かれた「大石垣」と呼ばれる高石垣は、観音寺城の最高の見所です。
高石垣から西に行くと伝木村丸へ下りる道があり、その道を下りるとこの景色を見られます。
地元の有志の方がたが、樹木を伐採してくれています。
下から見上げると、威風堂々たる野面積みの高石垣が迫力ある姿で迫ってきます。

「大石垣」の上にある女郎岩から、安土町の景色が一望できます。
正面に新幹線の線路があり、ちょうど新幹線が通り過ぎて行きました。

桑実寺は、白鳳6年に天智天皇の勅願寺院として創建されました。
藤原定恵が中国から桑の木を持ち帰り、この地に日本で最初に養蚕技術を教えたことによって桑実寺の名前となったそうです。
桑実寺を参拝したあと、歩いて25分ほどのところにある県立安土城考古博物館と「信長の館」を見学してみてください。
ただし、安土城と観音寺城を同じ日に探訪することは、体力的に難しいと思います。
改めて安土城を攻城することにして、プランを組んでくださいね。
安土城攻城の際は、安土駅前にある安土城郭資料館を先に見学しておくことがおすすめです。
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(写真は、筆者撮影です。ブレや光で見にくくてすみません)
*観音寺城詳細
・アクセス:JR東海道本線、安土駅から徒歩40分 / タクシー利用で山頂付近の観音正寺まで約25分
・営業時間:入山だけなら24時間
・休業日:なし(冬季は凍結の恐れで閉鎖されていることもある)
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【参考文献】
財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社
2007年7月3日第1刷発行)、『関西の城あるき』(京阪神エルマガジン社 2019
年10月7日初版発行)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小
学館 2005年3月20日 第1版第1刷発行)、『築城から読み解く戦略と戦術 戦国の堅城』(学習研究社 2004年9月1日第1刷発行)、パンフレット「信長ゆかりの安土城下をあるく」、「繖山 桑実寺」チラシ他
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