第131回目は千葉県の房総半島突端に聳え立つ館山城です。
館山城は、9代にわたって房総一円だけでなく、上総(かずさ)や三浦半島、浦賀水道を支配していた南総最大の戦国武将里見氏の居城です。
滝沢馬琴の戯作『南総里見八犬伝』の舞台となったところでもありますね。
別称は根小屋(ねごや)城です。
館山城へは、1998年3月7日に登城しました。
館山城は、天正18年(1590)に9代の里見義康(よしやす)が海抜70mほどの独立丘陵のうえに築城した平山城です。
この年に義康は、秀吉の小田原城攻めに遅れたことを咎められ、領国を安房1国に減封されました。
その結果、上総(かずさ)は関東支配を任された徳川家康の領地となります。
家康は、里見氏の勢力を封じるために、大多喜城と佐貫城を大改修し、譜代の重臣を送り込みます。
さらに慶長19年(1614)、10代目の里見忠義(ただよし)は大久保長安事件に連座したことと、城の無断拡張を理由に改易となりました。
11万2000石の里見氏は、暖かな房総から寒い伯耆国(鳥取県)倉吉へ2万石に改易。
家康は、残党の反乱を警戒して館山城を廃城とし、城郭は徹底的に破却されてしまいました。
幕府に翻弄され、里見忠義は寒村にてわずか29歳で憤死する最後を迎えます。
ここに里見家は断絶。
忠義の最後に準じた家臣たちをモデルにした話が、後に滝沢馬琴によって書かれた『南総里見八犬伝』の作品です。
寛政3年(1791)に、徳川幕府は稲葉正式を1万石で館山に入封させ、館山藩が立藩されました。
稲葉氏は旧館山城跡脇に陣屋を建造し、領地を支配します。
稲葉家は正己の時代に目覚ましい昇進をしたため、文久2年(1862)にはついに若年寄に着任。
わずか1万石の藩主でありながら、凄い出世ですよね。
稲葉家は、その後も若年寄、老中などの重職を務め、幕末には勝海舟が建言して作られ、坂本龍馬も関係していた神戸海軍操練所取立方や海軍総裁にもなっています。
館山城の跡地は、稲葉家で明治を迎えています。
*******************************
館山城天守は、昭和57年(1982)に館山市立博物館分館として建造されました。
場所は城山公園山頂の本丸跡にある、千畳敷と呼ばれていたところです。
現在は館山城(八犬伝博物館)という名前になっています。
「城郭研究の権威藤岡道夫工学博士(故人)の考証によるもので(中略)天正年間の天守の姿にしてあります」と説明板に書かれています。
天守内部には、里見氏を題材にした江戸時代の戯作者滝沢馬琴が書いた『南総里見八犬伝』に関する各種資料が展示され、夢とロマンにあふれる八犬伝の世界が紹介されているようです。
城跡は城山公園となり、空堀や大手口の土塁や桝形、井戸などが残っています。
麓には、当時の城下町の面影がよく残っていました。
城山公園には、椿や梅、桜、ツツジなどの花木がたくさん植えられていて、季節に合わせて咲き誇ります。
山頂には万葉集に詠まれた植物を小径に集めた万葉の径や、白砂利の枯山水、小流などを設けた日本庭園と茶室も建てられ、市民の憩いの場所となっていますよ。
天気の良い時には、遠く富士山も望めるそうです。
中腹には館山市立博物館があり、戦国大名里見氏をメイン展示しているほか、安房地方の歴史や民俗資料を収集展示しています。
【1998年3月7日から1泊2日の房総半島城巡りの旅】
1998年3月7日から1泊2日で春の房総半島を巡って、館山城や久留里城などの城と鉄道と花を存分に楽しみました。
その時の記事を書いていますので、よろしければどうぞ。
館山城・館山公園の公式ホームページです。
*館山城詳細
・住所:千葉県館山市館山351
・アクセス:JR内房線・館山駅東口からJRバスまたは日東バスに乗り「城山公園前」バス停下車、徒歩5分
・営業時間:9:00~16:45 最終入城時間:16:30
・休業日:毎週月曜日 / 月曜日が祝日、振替休日の時は開館し、翌日休館 / 火曜日が祝日の場合の月曜は開館し、その祝日の翌日休館 / 年末年始(12月29日~1月3日)
▼PR
【参考文献】
南條範夫監修『日本の城 名城ガイド』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)他
▼PR
▼PR