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53回目になりました。
今治城は三重の濠に海水を引き入れ鉄壁の守りを固めた平城で、瀬戸内海の要衝に築かれた巨大な城郭。
別称は吹揚(ふきあげ)城、美須賀(みすか)城です。
「日本100名城」(第79番)に選定されています。
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これは関ヶ原の戦いの戦功によるもので、家康の命によって宇和島城から伊予半国の20万石を領することになったためですね。
写真の藤堂高虎像は平成19年(2007)に建立されています。
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藤堂高虎は、それまでの領主が居城していた国分山(こくぶやま)城の代わりに、美須賀野の吹揚浜を新たな城地として選びました。
慶長7年(1602)から今治城の築城にかかります。
西国の外様大名の動向を探るうえでも軍事的にも重要な地でした。
今治平野を二分するように流れる蒼社(そうじゃ)川によって作られた三角州があります。
その先端部に海水を引き入れて三重の濠を廻らせ、高石垣の城を築城。
秀吉の朝鮮出兵の際に水軍の将として活躍した高虎は、水軍とのかかわりも深く、海に関する知識も豊富でした。
中央部に四角形の本丸を置き、その東北に隣接して二の丸、西北に隣接して三の丸を置きます。
さらに内濠で囲い、その周囲を侍町と中濠が取り巻き、その外側にも侍町と外濠が囲むという輪郭式の縄張り。
三重の濠で防御力を高めています。
中濠の北隅の海側に広い船溜まりを設け、水軍の基地を作っています。
これは瀬戸内一の難所といわれた来島(くるしま)海峡をおさえ、芸予諸島一帯の制海権を確保するため。
高石垣の上に本丸と四基の櫓、多聞櫓を建て、それを広い濠が護っています。
石垣は直線で横矢掛りはほとんどありません。
これは日本初でした。
慶長8年には城下町の町割りをおこなって、それまでの「今張」を「今治」に改めています。
今治城の一応の完成は慶長9年、すべての工事が終了したのは13年でした。
しかし、この年高虎は伊勢の津に転封となり、養子の藤堂高吉(たかよし)が3万石で城主となります。
その後、松山藩主の松平(久松)定行の弟・定房(さだふさ)が松山藩の支城として3万石で入城。
以後明治維新までの230年間、松平氏10代が城主として続きました。
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私は1996年5月26日、今治城に登城しました。
高虎は築いたばかりの五重の天守を天下普請の丹波亀山城へ移築しています。
そのため幻の天守と言われていました。
現在の天守は昭和55年(1980)に、市政60周年を記念して再建されたものです。
白漆喰総塗籠の五重六階の天守は、丹波亀山城の古写真をもとに建てられたとのこと。
しかし古写真を見ると、亀山城天守は層塔型天守で破風もない島原城そっくりの天守です。
今治城に再建された天守は望楼型で、観光用に大きな入母屋破風や出窓入母屋破風、最上階には高欄が廻らされています。
その姿は全く異なるため、模擬天守と言わざるをえません。
高虎が建てたと言われる天守とはずいぶん違います。
また、平成になって建てられたシンプルな外観の櫓などとも違っていて、今治城全体の雰囲気からも外れています。
今ではこんなことは許されないと思います。(# ゚Д゚)どないなっとんねーん
天守は歴史資料館となっていて、今治藩ゆかりの武具や甲冑、藩主の書画や徳川将軍の朱印状、今治城絵図などが展示されています。
本丸には築城者の藤堂高虎や、藩祖の松平定房などを祀った吹揚神社が鎮座しています。
この神社は近郊の神明社や厳島神社などを合祀して、今治城の別称吹揚城にちなんで名づけられました。
今治城跡は吹揚公園になっています。
平成19年(2007)には可能なかぎり江戸時代の史実に基づき、三の丸表門の鉄御門(くろがねごもん)が石垣や多聞櫓5棟とともに復元されました。
内側が桝形になっていて、侵入してきた敵兵を三方から攻撃できるようになっています。
縄張築城奉行の渡辺勘兵衛の功績を記念して、高虎が設置した「勘兵衛石」です。
幅60mもの水濠に囲まれて、どっしりとした直線的でそりのない石垣が築かれています。
今治城石垣の特徴は、安定感のある石垣の下のところに通路状の犬走(いぬばしり)が取り巻いていること。
高虎の得意とする石垣の築き方です。
脆弱な地盤を強固にして、石垣の崩壊を防ぐのです。
石垣は野面積みで花崗岩や石灰岩など多様な大石が用いられ、それらが見せる色とりどりの姿もなかなかのものです。
左側が平成2年(1990)に外観復元された山里(やまざと)櫓と櫓門の山里門。
手前に見える土橋は、もともとは木の橋でした。
現在模擬天守が建っているところには、天守の代用とされていた二重の本丸北隅櫓が建っていたそうです。
山里櫓のなかには武具や古美術品が展示されていますよ。
ここは濠と石垣と櫓と天守が一望できる、今治城きっての絶景スポットです。
しかし残念ながら他の城址と同じように、今治城の三重の濠も内濠を除いてすべて埋められています。
昭和60年(1985)に外観復元された御金(おかね)櫓。
破風や出窓などが全くないシンプルな外観です。
なんだかオモチャみたいですよね……。
内部は郷土出身作家による現代美術館になっています。
上の写真は三の丸の入り口。
桝形の鉄御門と左の隅櫓は、昭和55年(1980)に再建された武具(ぶぐ)櫓です。
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天守最上階の展望台からの景色です。
今治の市街や瀬戸の島々、しまなみ海道の来島海峡大橋、また西日本一の高峰である石鎚連峰も眺められますよ。
海水の濠は潮の干満によって水位がかわり、鯛やヒラメが泳ぐ姿やボラが跳ねる姿をまじかに見ることが出来ます。
今治城は、毎日日没30分後から午後10時までライトアップされます。
昼間とは違う幻想的な姿を楽しめますよ。
訪れるさいにはぜひ夕刻のライトアップもご覧くださいね。
今治城の公式サイトです。イベントや展覧会の予定などが確認できます。
*今治城詳細
・アクセス:予讃線「今治駅」からせとうちバス「今治営業所行き」で約9分「今治城前」下車
・営業時間:9:00~17:00
・休業日:12月29日~12月31日
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【参考文献】
平井 聖監修『7 四国 黒潮寄せる南海の城』(毎日新聞社 平成9年1月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、全国城郭管理者協議会監修『復元イラストと古地図で見る日本の名城』(碧水社 1995年4月18日発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城其ノ三』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)他
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