日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第132回 鉢形城

鉢形城址碑     by:photo-ac

2024年、最初のお城紹介は、埼玉県の鉢形(はちがた)城です。

鉢形城は昔の縄張りの形状がよく残っている平山城で、近年の発掘調査により曲輪や土塁などが整備されました。

また、豊臣秀吉小田原城攻めに際し、北条氏側の鉢形城はその堅城ぶりを示してなかなか落城しなかったと知られています。

鉢形城日本100名城の第18番に選定されており、戦国時代の代表的な城郭跡として学術的価値が高いと国の史跡にも指定されていますよ。

別称は岡城です。

私は、2007年9月27日に登城しました。

 

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鉢形城歴史館     by:photo-ac

鉢形城を攻城するにあたって、まずは駐車場から入ってすぐのところにある鉢形城歴史館に行きましょう。

鉢形城は広大な城跡です。

歴史館で鉢形城地形模型や復元展示されて中世の櫓門などを見学し、鉢形城の歴史と連格式縄張りを理解してからの方が、断然面白いはず。

大まかに知識やイメージを手にしてから攻城することをおすすめします。

鉢形城は、荒川と深沢川に挟まれた断崖絶壁の上に築かれた天然の要害です。

荒川の対岸から城跡を見ると良く分かりますよ。

鉢形城が築城された武蔵国鉢形は、上州や信州方面への交通の要衝でした。

鉢形城は、文明8年(1476)に、関東管領(かんとうかんれい)であった山内(やまのうち)上杉氏の家臣・長尾景春(かげはる)が築城したそうです。

その後、小田原の北条氏康(うじやす)の四男・氏邦(うじくに)が、永禄3年(1560)頃に整備・拡張し、現在の城郭の規模となりました。

北関東支配の拠点の城として、また甲斐や信濃からの侵攻への備えの城として、鉢形城は重要な役割を持つ城でした。

戦略上の重要な城であった鉢形城は、各地の戦国大名の戦いの場となります。

永禄12年(1569)には武田信玄の攻撃を受け、さらに天正2年(1574)には上杉謙信が攻めてきていますが、鉢形城はそれらの攻撃を防衛したのです。

まさしく難攻不落の堅城でした。

天正18年(1590)になると、豊臣秀吉による小田原城の攻撃が始まります。

鉢形城小田原城の重要な支城として、前田利家上杉景勝浅野長政本多忠勝などの連合軍3万5千人に包囲されました。

この攻撃に対し、氏邦の家臣・黒澤上野介ら城兵3,000人が籠城。

約1ヵ月におよぶ籠城戦のあと、城兵の助命を条件に鉢形城を開城、廃城となります。

徳川家康の関東入国にともない、家康配下の成瀬正一(まさかず)・日下部定好(くさかべ さだよし)が代官となり領地支配を行いました。

 

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鉢形城跡曲輪配置図(鉢形城現地説明板)

鉢形城は、荒川と深沢川が合流する(地図の右側)ところの断崖上の要害の上に造られています。

南西側の平地部に大手、外曲輪を置き、両河川の合流地点に向かって三の曲輪(三の丸)、二の曲輪(二の丸)、本曲輪(本丸)と曲輪が連なる連郭式の縄張りです。

搦手、本丸、二の丸、三の丸、諏訪神社が建てられている諏訪曲輪には、塹壕が造られていました。

北西部の荒川沿岸は断崖です。

まさしく堅城の縄張りですよね。

復元四脚門    by:photo-ac

戦国時代の建物のイメージで造られた四阿  by:photo-ac

鉢形城址は堀や土塁が良く残っており、堀や土塁によって区切られた本曲輪跡や二の曲輪跡などの形状がよくわかります。

昭和59年(1984)から寄居町による保存事業が開始され、平成9年度からは発掘調査が二の曲輪、三の曲輪で行われました。

平成16年(2004)に鉢形城公園として一般公開されています。

発掘調査の成果をもとに、平成16年三の曲輪に四脚門や四阿(あずまや)、池、土塁、馬出などが復元整備されました。

しかしながら、鉢形城の見どころは何と言っても空堀です。

特に二の曲輪と三の曲輪の間の空堀は、巨大で圧巻!

鉢形城空堀     by:photo-ac

復元石垣土塁     by:photo-ac

戦国時代の築城技術を今に伝える石積み土塁が三の曲輪に復元されていますが、土塁としては珍しいものだと思います。

広い二の曲輪跡     by:photo-ac

三の曲輪跡    by:photo-ac

鉢形城空堀     by:photo-ac

鉢形城井戸     by:photo-ac

鉢形城諏訪曲輪跡にある諏訪神社   by:photo-ac

鉢形城内にある氏邦桜    by:photo-ac

鉢形城公園内の遊歩道は、深沢川の渓谷やカタクリ群生地、「氏邦桜」という愛称で呼ばれている寄居町指定天然記念物エドヒガンなど、四季折々の景観が楽しめる公園となっています。

 

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【1泊2日の群馬県・埼玉県5城址巡り】

2007年9月26日から1泊2日で、鉢形城をはじめ埼玉県と群馬県の5の城跡巡りの旅を楽しみました。

日本100名城に選定されている3城址を中心に、その近くにある城址巡りをしてたときの記録を記載します。

 

26日

まず、埼玉県の騎西城を探訪しました。

町立博物館として三重の層塔型複合式模擬天守が建造されていますが、残念ながら何故か閉館中でしたので、外観だけを楽しみました。

騎西城模擬天守    by:photo-ac

金山城群馬県 日本100名城 第17番)

次に探訪したのは、この城址めぐりの旅で一番楽しみにしていた金山城です。

思った以上の立派な石垣と石敷道に驚きました。

そして月ノ池と日ノ池は、これまで他の城址では見たことのない、初めて見る丸い立派な石垣で造られた池でした。

 

27日

箕輪城群馬県 日本100名城 第16番)

徳川家康から箕輪城を与えられた井伊直政が、天正18年(1590)に近世城郭へと改築したと伝わっている広大な城址です。

戦国期最大級とも言われている山上の多数の曲輪跡や、堀切、土塁など山城を存分に楽しみました。

箕輪城石碑      by:photo-ac

 

高崎城(群馬県

この城も井伊直政の城です。

直政は、箕輪城があまりにも山地に寄り過ぎているため交通の要衝だった和田に拠点を移し、中世の城郭を慶長3年(1598)に改築して、名前も高崎城と改めました。

三の丸の、元は土塁だったところにあらたに模擬石垣を築き、二重の乾櫓が移築されていました。

高崎城乾櫓     by:photo-ac

 

鉢形城(埼玉県 日本100名城 第18番)

鉢形城は、上述のように荒川の海岸段丘にある城で、秀吉の小田原攻めの際に落城しています。

北武蔵を代表する戦国時代の平山城でした。

発掘調査により曲輪や土塁が復元整備されています。

 

わずか2日間でしたが、関東の城址を存分に楽しんで大阪に帰りました。

 

鉢形城詳細

・住所:埼玉県大里郡寄居町鉢形2496-2

・アクセス:JR八高線秩父鉄道線/東武東上線寄居駅下車、徒歩約25分

・営業時間:24時間

・休業日:なし

 

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【参考文献】
財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、埼玉県寄居町ホームページ他

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