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福山城は、「日本100名城」(第71番)に選定されている平山城。
別称は久松(ひさまつ)城、葦陽(いよう)城です。
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明治24年(1891)山陽鉄道敷設に際して福山城三の丸に福山駅が造られました。
駅から見えている石垣は本丸のもの。
右から天守、月見櫓、御湯殿(おゆどの)、筋鉄(すじがね)御門、伏見櫓が見えます。
秀麗でかつ威風に満ちた迫力で目の前に迫ってきますよ。
福山城へは、2002年11月30日に登城しました。
徳川幕府は元和元年(1615)に「武家諸法度」を公布し、大名の統制を進めていきます。
しかし広島城の無断修築がそれに背いたとして、元和5年(1619)に安芸・備後2国約50万石の外様大大名・福島正則(ふくしま まさのり)を改易します。
難癖をつけて秀吉恩顧の大名の作った名城・堅城を取りあげてしまう徳川幕府のいつものやり方です。
福島正則の所領が二つに分割され、現在の福山市周辺の10万石が、大和郡山城主だった水野勝成(かつなり)の所領となり入城しました。
三河(現在の愛知県東部)出身で、徳川家康と従兄弟であった重臣・水野勝成は、中国地方に配置された最初の譜代大名です。
福山城は、岡山の池田氏、広島の浅野氏の両外様大名の間に割り込み、さらに西の毛利氏や九州の諸大名に対する備えとして築城されます。
勝成は豊富な城攻めの体験をもとに、元和8年(1622)大城郭福山城を完成させます。
場所は瀬戸内海に面し山陽道の要衝の地である福山湾を一望する、芦田川河口に近い常興寺(じょうこうじ)山でした。
これは「武家諸法度」の例外措置として徳川幕府が命じた築城です。
城と城下町を一体にした綿密な都市計画のもと、城郭建築の円熟期にその粋を集めて築かれた福山城は、近世城郭として完成された形を示していたと言われています。
譜代大名の城郭としては最大規模で、徳川御三家の水戸城や和歌山城ですら許されなかった五重の天守建造さえ認められています。
築城にあたっては、幕府は水野氏に1万2600両の金と380貫目の銀を与え、さらに城大工棟梁の福井正次をはじめ多くの大工職人などを福山築城に派遣しました。
天下普請に準ずる扱いを受けています。
いかに福山城が、西国の外様大名に対する防衛のための築城であったかが分かるというものです。
旧領主福島正則の支城であった神辺城から多くの櫓を移築して、本丸石垣上に並べました。
さらにかつては豊臣政権のシンボルであった伏見城から、本丸御殿・伏見櫓・月見櫓・大手門・筋鉄御門・御湯殿・多聞・塀など多くのものが幕府の命により移築され、五重天守のまわりに並べられました。
まるで伏見城がまるごと引っ越してきたかのようです。
城内には三重櫓7基、二重櫓16基、延べ570mの多聞櫓、櫓門10基などが備えられた近世最後ともいうべき大規模の城で、当時の日本を代表する大城郭でした。
本丸南側と、二の丸の北側を除く三面に濠があり、外濠は運河によって海と繋がっている輪郭式の城です。
福山城は徳川の「白い城」として、岡山、広島など豊臣恩顧の外様大名の「黒い城」よりは大きくて立派でなくてはならなかったのです。
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これは新しい徳川政権の時代が来たことを告げ、徳川が豊臣をしのぐ実力をもつことを世に知らせるためでした。
以後、水野氏5代、松平氏、阿部氏10代で明治を迎えます。
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五重六階地下1階の層塔型で二重三階の付櫓をもつ複合式天守です。
天守の外壁は白漆喰の総塗籠ですが、北側の1階から4階までの外壁には鉄板をびっしりと貼っています。
その理由は、江戸時代の天守では陸側である北側は縄張りの弱点と考えられていたからですね。
天守の古写真でも確認できます。
江戸時代築城の天守は、天守建築の最終到達点と言える随一の建造物と評価が高く、伏見櫓、御湯殿、筋鉄御門とともに旧国宝に指定されていました。
しかし、残念なことに昭和20年(1945)8月の空襲で焼失。
現在の天守は、昭和41年に福山市市制50周年記念事業として鉄筋コンクリート造りで外観復元されました。
千鳥破風と比翼千鳥破風を組み合わせたものを一重目と二重目に配し、軒唐破風と千鳥破風を三重目と四重目に、最上階には華頭窓を開き、周囲に朱塗りの高欄を設けた美しい天守ですね。
現在は福山市立福山城博物館として藩主の書画や甲冑などを展示しています。
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【追記】(2022年8月13日)
2022年8月福山城築城400年記念事業として、江戸時代の天守北側の鉄板張りが完成しました。
8月27日に「天守北側鉄板張り完成セレモニー」が行われます。
福山市は「福山城400年博 オープンニグイベント 開幕祭」を8月に開催し、さまざまなイベントが予定されています。
築城400年記念事業として北面に鉄板張りが完成した福山城天守 by:photo-ac
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遺構として現存する伏見櫓は、伏見城から移築されたものです。
一重、二重が同じ大きさの平面を持つ大入母屋の屋上に小さな三階部分が乗る望楼型で、初期天守の姿を思わせます。
白漆喰総塗籠で、柱や長押(なげし)の形を外壁に見せる古式な櫓としても有名です。
三重目のちいさな千鳥破風がアクセントになっています。
またその両側にある窓で、なんとなく顔のように見えるのがおかしいですね。
昭和29年に解体修理した時、梁材に「松ノ丸東やぐら」と記す墨書が見つかり、伏見城にあったものと確認されました。
伏見城から移築した遺構の筋鉄御門。
その名のとおり鉄板張りの頑丈な渡櫓門です。
伏見櫓とともに重要文化財に指定されています。
天守などと一緒に昭和41年外観復元された月見櫓。
本丸の南東隅にあり、二重三階建てです。
伏見城からの移築と伝えられ、最上階に朱塗りの高欄を廻らせ、唐破風の出格子窓をもつ華やかな外観です。
鏡櫓は本丸の東部中央にある二重三階の櫓。
現在のものは昭和49年に復興されたものですが、外観は当時のものと変わらないようです。最上部だけが下見板張りで、屋根は杮葺きという独特の姿をしています。
本丸石垣上にせり出す掛け造りの御湯殿も伏見城から移築、昭和20年の空襲で焼失したものを昭和41年に復元しています。
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*福山城詳細
・アクセス:福山駅から徒歩で5分
・営業時間:9:00~17:00 入館は16:30まで ※湯殿・月見櫓・福寿会館は,9:00~22:00
・休業日:毎週月曜日・祝日の場合は翌日/12月28日~12月31日
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【参考文献】
平井 聖監『城 6 中国 甍きらめく西国の城塞』(毎日新聞社 平成8年11月25日発行)、日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、全国城郭管理者協議会監修『復元イラストと古地図で見る日本の名城』(碧水社 1995年4月18日発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)『城 其ノ参』及び『同 解説編』(日本通信教育連盟)森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日第1刷発行)他
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