日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第2回 沖縄・中グスク

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世界遺産・中グスク  by:photo-ac.com

2回目は沖縄の中城(なかグスク)といきましょう。

まずはどのようなお城なのかから紹介します。

中グスクは連郭式の山城ですが、いつ頃築城されたか詳しいことは不明です。

14世紀後半に先中城按司(さきなかグスクあじ)によって築かれたとか。

2006年に「日本100名城」(第99番)に選定されています。

現存するようなグスクに改修されたのは1440年のことです。

琉球第一の武将、築城の名人としてその名が轟いていた読谷山按司(よみたんざんあじ)の護佐丸(ごさまる)が、読谷の座喜味(ざきみ)グスクから移ってきた頃だと言われています。

沖縄本島の中城湾(太平洋)を眼下に見下ろし、西に東シナ海、東北に勝連半島、南に知念半島が望める標高160mの琉球石灰岩の台地上に壮大な城壁を構えています。

6つの郭からなる連郭式の山城で、沖縄のグスク址の中でも最も良く保存された沖縄屈指の名城です。

中グスクには、1995年8月6日に登城しました。

 

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私が沖縄のお城を初めて見たのは、30数年前のこと。

首里城守礼門しかない頃でした。

どういう訳で行ったのか今となっては分かりませんが、駐車場から坂を登って行くと大きな広場に出ました。

すると真正面に屏風を立てたような城壁が、圧倒的な力強さで迫ってきたのです。

三の郭東側の城壁  by:photo-ac.com

真正面の中央部の石垣が少し凹んだ美しい曲線を描いていますね。

石を五角形や六角形に加工して積み上げた「相方(あいかた)積み」の方法で築かれています。

それが、中グスク址の三の郭の城壁でした。

グスクの多くは海岸沿いの岸の上や小高い山の上に、周りを琉球石灰岩の石垣で築いた城壁で造られています。

地形の影響もあるでしょうが、石垣は本土のそれと異なって美しい曲線を描いており、直角に曲がるべき隅部は緩い曲線を描き、算木積みではありません。

しかし石造りの拱門(アーチ門)の隅部は算木積みになっています。

また、天守や三階櫓のような建物は建造されなかったようです。

 

ちなみに、一般的に「グスク」「グシク」と呼ばれる沖縄の城は、13世紀頃を中心に按司あじ)と呼ばれる地方の支配者の根拠地(城塞)として築かれています。

そして、城内に必ず信仰の対象である御嶽(うたき)と呼ばれる聖域があるのですね。

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観光客が駐車場から上がってきたところにある大きな広場には、世界遺産に認定された時作られたグスクの模型が設置されていて、全体像がよく分かります。 

上の入城チケットを見れば分かりますが、連郭式の縄張りです。

最も高いところに一の郭を置き、一段下に西の郭、北側の一段下に二の郭、続いて三の郭を置いています。

東側は断崖です。

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中城案内図 by:photo-ac.com

 広場から三の郭の城壁を左に見て行ったところにある拱門は、実は裏門です。

正門はずっと奥に行ったところにありますよ。

その門は正門にふさわしく首里城の瑞泉門のような櫓門だったようですね。

正門(櫓門)址  by:photo-ac.com

裏門から北の郭に入り、左側の石段を上がれば三の郭。

三の郭から二の郭には直接は行けません。

もう一度北の郭に戻り拱門を通って西の郭に行き、そこから石段を上がって二の郭に行きます。

北の郭にはウフガー(大井戸)があり、西の郭にもミートウガーと呼ばれる井戸があるのですね。

城郭内に水を確保していることが中グスクの特徴でもあります。

二の郭から見た一の郭の石垣と拱門  by:photo-ac.com

一の郭には二の郭から石造拱門(アーチ門)を通って行きます。

そこから一段下の南の郭に行くといくつかの御嶽があり、それが何のための御嶽なのかそれぞれ説明版が設置されています。

グスク内には、聖地久高島への遥拝所もあり、今も拝みに来る人が絶えないそうですよ。

 

中グスクでは、野面積み(南の郭)、布積み(本土では切込接、一の郭)相方積み(本土では打込接 北の郭)の琉球におけるすべての石積み技法が見られます

二の郭からの眺め  by:photo-ac.com

1458年、勝連グスクの按司・阿麻和利(あじ あまわり)は、護佐丸に謀反の動きがあると王に讒言し、王命による護佐丸討幕軍を率いて中グスクを攻撃します。

阿麻和利によって滅ぼされた後、中グスクは城としての機能は無くなりました。

その後、間切番所(まぎりばんしょ 区役所のようなもの)として使用され、戦後三の郭の前の大きな広場は遊園地になっていたそうです。

 

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 幕末の1853年、日本に開国を迫るため浦賀に行く前に、アメリカのペリー提督が来琉しました。

そのおり中グスクを訪れ現地調査を行い、提督はその築城技術の高さに驚き、『日本遠征記』に「その石造建築は賞賛すべきものであった。」と書いているとのことです。

 

また、正門を出て広場に出ると、正面に廃業したホテルのコンクリートの廃墟が見えます。

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廃墟ホテル by:photo-ac.com

一般の観光客はこの辺りまで来ないので気づく人は少ないと思いますが、景観を害していますので、かなり残念…。

早く撤去して欲しいものです。 

 

沖縄のその他のグスク記事はこちら。

▼勝連グスク

今帰仁グスク

首里城

▼座喜味グスク

 

 *中城詳細

住所:沖縄県中頭郡中城村泊1258番地

アクセス:那覇空港からは西原JCT沖縄自動車道に合流、「北中城IC」で下車して安谷屋交差点から道なり

見学時間:8:30~17:00(5月~9月は18:00まで)

入場料:大人400円/中・高校生300円/小学生200円

 

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*本日のおすすめの本「グスク紀行~古琉球の光と影~」 

お城について書いている好きな本、おすすめの本を1冊ずつ紹介していきます。


『グスク紀行古琉球の光と影』2000年 文:岡田輝雄 写真:国吉和夫 出版社:琉球新報社

参考文献にも上げている本で、沖縄のグスクについて知るには、おすすめの本です。18のグスクについて、歴史やポイントなどを紹介、詳しくかいています。 

 

 

 

【参考文献】

世界遺産グスク紀行』(琉球新聞社 2003年5月20日第2刷発行)、「中城城跡」パンフレット、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本教育連盟)他 

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