日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第116回 湯築城

湯築城    by:photo-ac

第116回は、愛媛県道後公園内にある湯築(ゆづき)城です。

湯築城は、松山市内で運行されている伊予鉄道の「道後温泉駅」の一つ手前にある「公園前駅」のすぐ前にあります。

伊予の守護・河野通盛(みちもり)が、南北朝争乱のさなかの建武3年(1336)に築いたと伝わっている、伊予統治の中心の城でした。

湯築城は、「日本100名城」(第80番)に選定され、国の史跡としても指定されていますよ。

別称は湯月城、私は2001年6月23日に登城しました。

 

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湯築城      by:photo-ac

湯築城は、天文4年(1535)に河野弾正小弼道直(だんじょうしょうひつ みちなお)が、温付堀(ゆづきぼり 現在の外濠か)を築いて二重の濠を巡らせ、守りのより強固な城郭にしています。

約250年の間、河野氏の居城でした。

しかし、天正13年(1585)にあった羽柴秀吉の四国平定のおり、秀吉軍の小早川隆景(たかかげ)の説得により、城主・河野道直は降伏し開城します。

松山に入封した加藤嘉明(よしあき)は、松山城築城の時に、湯築城の石垣などすべて持ち去ったため、廃城となりました。

 

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湯築城内濠     by:photo-ac

湯築城は、比高約30mの低い丘の上に本丸(推定)を置き、周囲に二重の濠と土塁を巡らせていました。

さらに家臣の屋敷を城内に取り込んだ、先駆的な平山城です。

平地のところには、庭園を伴った上級武士とその他の武士が、区域を分けて住んでいたようです。

湯築城の縄張り全体がほぼ完全な形で残っていて、城跡は現在、道後公園として利用されています。

発掘調査に基づき、武家屋敷や土塀、道路、排水溝などが復元されていますよ。

また、平成14年(2002)に湯築城資料館、土塁展示室がオープンしました。

復元された武家屋敷   by:photo-ac

復元された武家屋敷   by:photo-ac

復元された土塀    by:photo-ac

現存する外濠側の土塁は、幅約20m、高さ5mもある立派なものです。

土塁内部      by:photo-ac

湯築城址内の道    by:photo-ac

土塁   by:photo-ac

内濠  by:photo-ac

一番広い所では幅約12m、深さが2.5mの規模の内濠が、丘陵部を取り巻いています。

土塁と濠   by:photo-ac

山頂から松山市内を見る   by:photo-ac

丘陵の上の展望台から松山平野が見渡せます。

右手遠くの小高い山の山頂にあるのは、松山城天守

元々湯築城を形成していた石垣などは、あそこで使われたのですね~。

 

 

湯築城詳細

・住所:愛媛県松山市道後町

・アクセス:伊予鉄道城南線道後公園駅から徒歩1分

・営業時間:24時間

・休業日:なし

 

 

 

【参考文献】
平井 聖監修『城 7 四国 黒潮寄せる南海の城』(毎日新聞社 平成9年1月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)他

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