日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第26回 松山城

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松山城(伊予) by:photo-ac

26回目になりました、今回は愛媛県松山城ですね。

別称は勝山(かつやま)金亀(きんき)です。

2006年に「日本100名城」(第81番)に選定されました。

他にも「松山城」と呼ばれる城があるため区別のため伊予松山城と呼ばれることもありますが、一般的に「松山城」といえば愛媛県のこちらのお城をさします。

現存12天守のうちのひとつで、姫路城、和歌山城と並ぶ三大平山城・連立式天守です。

松山城へは1995年5月26日に登城しました。

伊予松山城は大好きな城です。

何回行ったか覚えていないぐらい行っています。

大事なことだからもう1回いっておこう、大好きなお城です!!

 

では落ち着いて、まずは歴史から。

 賤ケ岳七本槍として武名を轟かせた豊臣秀吉子飼いの加藤嘉明(よしあき)は、関ヶ原の戦いでは徳川方につき軍功を挙げ、伊予国松山20万石を与えられました。

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藩祖加藤嘉明像    by:photo-ac

彼は松山平野の中心にある勝山を城地に選び、同7年に築城を開始しました。

標高132mの山頂部に壮大な石垣の本丸を、麓に二の丸と三の丸を、北・東側に出曲輪を配置します。

本丸の天守曲輪(本壇)には小天守、南北隅櫓を従えた五重の大天守が聳え、櫓や門、塀が立ち並び重厚な姿を示すものだったようです。

地名も、このときに松山と変えました。

しかし、本丸の天守曲輪を構成する建物の多くは数度にわたる火災により焼失。

そのうえ加藤氏が寛永4年(1627)に転封となったので、移封してきた蒲生忠知(がもう ただとも)の寛永時代に松山城はやっと完成します。

その後、寛永12年(1635)に徳川家康の異父弟の松平定勝の息子・松平定行(さだゆき)が城主となり、寛永19年(1642)に五重の天守を三重に改修。

天明4年(1784)には落雷によって天守のほか多くの建物が焼失しますが、財政難で天守の再建が叶わず(つらい!)、70年後の安政元年(1854)にようやく天守が再建されました。

この再建された天守が現存の天守ですね。

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松山城天守   by:photo-ac

 

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松山城平山城で、二つの峰を削ってその間を埋めて平地にしたため、本丸は細長い瓢箪のような形をしています。

その北の峰の跡に本壇があります。

切込接の天守台のうえに三重三階地下一階の天守が二重二階の隅櫓を多門櫓で結んだ、層塔型連立式天守です。

江戸時代最末期に再建された天守で、現存天守の中では最も新しい天守です。

最上層には装飾を兼ねた廻縁が二重目の千鳥破風で分断されている、独特な外観をしていますね。

古式の押し上げ蔀(しとみ)戸を開き、一重目には四方に千鳥破風、二重目には千鳥破風と軒唐破風があります。

天守に連なる渡櫓、小天守、北隅櫓、南隅櫓は昭和8年(1933)に焼失し、同43年に木造で復元されています。

よく燃える城ですね…。

全体に低くずんぐりとした大天守ですが、下から見上げると格好良い!

それは小天守や櫓群との均整美がたもたれているからでしょう。

天守や小天守をはじめ戸無門、隠門、筒井門、太鼓門、馬具櫓、太鼓櫓や門などの重要建築物が21棟もあります。

城郭全体が下見板張りに覆われていまして茶色っぽい、武骨なたくましさを見せる名城です。

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筒井門は本丸南端に位置し、敵の本丸への侵入を食い止める重要な門です。

松山城築城にあたって、旧居城の正木(まさき)城から移築されたと伝っています。

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筒井門続多聞櫓  by:photo-ac

現在のものは昭和48年(1973)に復元された続櫓門で、右側の石垣の奥に隠門続櫓があります。

ここから本丸に攻め入りますが、狭い場所に入り込む上に隠門から出てきた兵に後ろからやられる、という構図ですね。

姫路城と同じく、松山城は大変防御に工夫を凝らしています。

ですので、本丸から本壇へ、そして天守へと攻め入ることが極めて難しい

これは松山城を訪れるとよくわかりますので、ぜひ実際に攻城を体験してみて下さい。

※このページの下部に、松山城のホームページのリンクを貼っておきます。

そこにアクセスし、「基本データ」のところから「松山城攻略のパンフレットはこちら」をクリックすると、実に詳しく写真と画像つきで攻略の難しさを説明してくれていますよ。

愛媛県は遠くていけないわ!! という方は、そちらから確認してみてください。

めっちゃおもろいホームページです。

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北隅櫓(左)と南隅櫓(右)を繋ぐ十間廊下と呼ばれる渡櫓  by:photo-ac

この写真を見るとなんとたくさんの石落としが備えられているかが、よくわかりますね。

石垣にどこから登ろうと完全に攻撃されます。

とてつもない防御力です。

写真はありませんが、松山城には山上から二之丸に向かって竪石垣(登り石垣)が伸びています。

竪石垣の規模としては国内最大のものです。

 

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by:photo-ac

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         本丸の桜並木    by:photo-ac

松山城はロープウエーやリフトで登って本丸に行き、天守から雄大な景観を楽しむのが一般的ですよね。

しかし実は、もう一つの楽しみ方があります。

おすすめなのはロープウエーとは反対側の二之丸史跡庭園を訪れ、そこから松山城の景観を楽しむこと。

 

二之丸は、松山市制100周年記念事業として平成3年度に、発掘調査と復原整備がされました。

その際にもとにしたのは、古絵図、記録、明治維新時の古写真です。

御殿跡をめぐる石垣上に展示室と休憩所を兼ねた多門櫓や庭園などが復原され、大井戸などを見ることができますよ。

この大井戸は、当時の土木技術としては特筆される深さ44m!

人々は仰天したでしょうね。

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二の丸の多門櫓 山上の左が天守     by:photo-ac

復原整備された二の丸史跡庭園に行ったのは2006年12月2日です。

前日は大洲城を探訪しました。

大洲城は平成16年(2004)の9月に大洲市制50周年記念として、高欄櫓と台所櫓を多門櫓で結んだ四重四階の木造天守が再建されています。

これも古写真や天守雛型などを基にしていますね。

大洲城天守は木造により再建された、最も新しい天守です。

その翌日、2006年に平成の大修理を終えた松山城をまた見たくなり探訪し、その時初めて二の丸史跡庭園を見学しました。

その見学が、この年最後の城の探訪です。

2006年は、20県70城と初めて外国(ドイツとスイス)の城を探訪した思い出深い年でした。 

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松山城天守から本丸太鼓門方面を望む  by:photo-ac

ちなみに、市内電車で道後温泉の一つ手前の「公園前」駅のすぐ前に、湯築(ゆづき)(「日本100名城」第80番 道後公園)があります。

近年発掘調査を終え、武家屋敷や土塁などが復元されていますし、湯築城史料館があります。

松山を訪れた際にはぜひこちらも訪問してみてくださいね。

 

松山城のホームページです。↓↓攻略地図など、見所満載!!

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松山城詳細

・住所:愛媛県松山市丸之内1

・アクセス:JR予讃線松山駅から「道後温泉行き」市内電車で約10分、「大街道」下車徒歩5分

・営業時間:9:00~17:00(季節により異なる)

・休業日:12月第3水曜日(大掃除)

 

【参考文献】

平井 聖監修『城 7 四国 黒潮寄せる南海の城』(毎日新聞社 平成9年1月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中井均監修『超雑学 読んだら話したくなる 日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)他

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