コロナ禍のなかで城巡り旅行は難しい状況ですが、自由に城巡りが出来る日は必ず戻ってきます。
その日を楽しみにしつつ、今回は北九州の6名城(城址)を訪ねるプランを紹介します。
・福岡城
・佐賀城
・平戸城
・唐津城
・名護屋城
ですね。
一応福岡出発としていますが、このプランは途中のどこから出発してもよいかと思います。
どうぞご自分の好きなところから旅を始めてください。
鉄道や少し不便なバスの運行状況、運賃については、ご計画の前にご確認をお願いいたします。(2021年5月現在)
なお、個別のお城についての詳しい説明はここでは省略しておりますので、ご了承ください。
1日目
朝いちばんに福岡城を探訪しましょう。
福岡城址は広大な城域ですので、ルートをあらかじめ考えておくのがおすすめ。
ここでは90分の探訪時間を予定しています。
私の好きな黒田如水が、中津城、そして総奉行を務めた秀吉の名護屋城の後、息子長政とともに築いた名城です。
福岡城(「日本100名城」第85番)
2004年2月14日に登城しました。以後、福岡に行く度毎に訪れる場所ですね。
関ケ原の戦い後、筑前一国52万石に封ぜられた黒田長政が築城。
慶長12年(1607)九州一の壮大な城郭が完成します。
海路をにらみ、東の商人町・博多を牽制して、政治・経済の中心となるべく築いた城郭です。
天守台はありますが、父如水の遺言により、天守を築かなかったと伝えられていますが、天守は建てられた私は思っています。
多分、一度は建造したが、徳川幕府への慮りから自ら破却したのだと思っています。
打込接のみごとな石垣、広大な城域に大小47基もの櫓が立ち並ぶ大城郭でした。
10:03 赤坂駅発
↓ 市営地下鉄 福岡空港行き 260円
10:11 博多駅着
↓ 鹿児島本線快速・荒木行き
11:03 鳥栖駅着
11:22 鳥栖駅発
11:36 吉野ヶ里公園駅着
徒歩約15分
吉野ヶ里(「日本100名城」第88番)
2005年12月8日に登城しました。
吉野ヶ里は弥生時代前期から後期にかけての環濠集落で、背振(せぶり)山地から筑紫平野に舌状に伸びた台地上にあります。
日本の城郭の起源の形と考えられている遺跡ですね。
二重三重に周囲に堀をめぐらし、土塁を築き、物見櫓を建て、逆茂木や城柵で防御しています。
どのようにして外敵からの攻撃を防ぐかなど、城の原初の形が良く理解できる〈城跡〉です。
吉野ヶ里遺跡が発見された時は、『魏志倭人伝』に記載された卑弥呼の邪馬台国ではないかと随分騒がれました。
主祭殿や住居などの建物なども復元されて見ごたえのある遺跡です。
神埼駅まで徒歩約15分
13:31 神埼駅発 (→230円)
13:39 佐賀駅着
(昼食)
市営バスで約10分 「佐賀城跡」下車すぐ
佐賀城(「日本100名城」第89番)
2002年10月20日に登城しました。
2007年6月8日、復元された本丸御殿を再探訪しています。
龍造寺(りゅぞうじ)氏の居城を重臣の鍋島直茂(なおしげ)が受け取って改修、その子勝成(かつしげ)が五重の天守を持つ壮大な城郭を完成しました。
下の写真は、青銅の鯱を両端にのせた入母屋造りの、二重二階の堂々とした渡櫓門である「鯱の門」。
そして左は、鯱の門に付属する一重二階の続櫓(重要文化財)です。
佐賀城で唯一の遺構建造物ですね。
門扉には、佐賀の乱で受けた無数の銃痕が残っています。
平成16年(2003)、本丸御殿の一部が木造復元され、佐賀城歴史館として開館しています。
佐賀駅まで市営バスで約10分
↓ 長崎本線 長崎行き
16:35 肥前山口駅着
16:45 肥前山口駅発
17:35 早岐駅着
17:42 早岐駅発
17:58 佐世保駅着(JR最西端駅)
【佐世保 泊】
2日目
↓ 松浦鉄道西九州線快速・佐々行き
8:56 佐々駅着
9:03 佐々駅発
9:40 たびら平戸口駅着
たびら平戸口駅は、沖縄のゆいレール那覇空港駅が出来るまでは日本最西端駅でした。
現在は、モノレールなどの駅を除く普通鉄道駅日本最西端駅です。
西肥バス「平戸行き」で約10分「平戸市役所前」下車、徒歩約5分
平戸城(「日本100名城」第90番)
2003年12月20日に登城しました。
享保3年(1718)に、松浦棟(たかし)が日之獄(ひのだけ)城跡に平戸城を新たに築城。
平戸瀬戸が見える亀岡山山上部に本丸、二の丸を建て、海岸に面した山麓部には海城ならではの船着き場小舟入・御舟入などが設けられた平山城です。
昭和37年(1962)に模擬天守が建造されました。
本丸二重櫓跡に、層塔型白漆喰総塗籠、付櫓のある複合式三重五階の模擬天守です。
櫓門であり、そして搦手口に相当する北虎口門と狸櫓が、築地土塀とともに貴重な遺構です。
乾三重櫓・地蔵坂櫓・見奏櫓・懐柔櫓も再建されています。見ごたえのある城です。
天守からは、眼下に平戸瀬戸の急潮や壱岐の島を一望できますよ。
近くで昼食をとり、松浦史料博物館も見学しましょう。
もし時間があれば、ぜひぜひぜーひ平戸観光を。
12:57 伊万里駅着
14:23 唐津駅着
松浦鉄道西九州線は、佐世保駅からたびら平戸口駅を経て有田駅まで、北松浦半島をぐるりと周回する路線です。
国鉄から第3セクターに転換してから駅を新しく設置することで、集客を図りました。
ローカル線にもかかわらず、駅間は短く、また運行本数を大増発しています。
この逆転の発想での取り組みによって、バス路線や自家用車と対抗できるように利便性の向上を図っています。
ローカル線のモデルですね。
徒歩約25分
唐津城(「続日本100名城第185番)
2002年11月9日に登城。以後何回か訪れています。
唐津城は、玄界灘を望む半島上の標高43mの小高い満島(まんとう)山にある平山城です。
海に浮かぶ要塞のように築かれていて、浮城とも言われていますね。
寺沢広高(ひろたか)が、慶長13~17年(1608~1612)に名護屋城の用材で築城したと言われています。8万石の居城です。
寺沢氏は、信長、秀吉、家康と3人の天下人に仕えることによって、着実に出世街道を歩んでいました。
しかし、2代目の堅高(かたたか)の時、飛び地領地の天草で島原の乱が起きたことを咎められ、断絶しています。
本丸の高石垣の上に望楼型白漆喰総塗籠で最上階に朱塗りの高欄が廻らされた五重五階の天守が建てられています。
天守の外観は肥前名護屋城の絵図に描かれた天守をイメージして建てられたようです。
しかし、本丸石垣上には本来天守はなかったので、昭和41年(1966)に建てられた現在の天守は模擬天守です。
内部は歴史資料展示室になっていますよ。
五階の展望室から東には虹の松原、南には眼下に広がる城下町の眺望が素晴らしいです。
ぜひご覧ください!
【唐津 泊】
3日目
3日目はいよいよ名護屋城です。
朝早く出発してゆっくり探訪しましょう。
7:29 唐津駅発(→170円)
7:32 西唐津着
8:00 西唐津駅前発(→790円)
↓ 昭和バス 呼子行き
8:30 名護屋城博物館前着
名護屋城(「日本100名城第87番)
2002年11月9日に登城しています。
名護屋城は、名護屋湾を見下ろす小高い丘陵上に築かれた平山城です。
天下統一を果たした豊臣秀吉が、朝鮮出兵の前線基地として築城を開始。
黒田如水が総奉行をしています。
翌年には秀吉の御座所(陣城)にふさわしい規模の、大坂城や聚楽第に匹敵する壮麗さを兼ね備えた五重の天守をもつ巨城が完成。
朝鮮に出兵する諸大名の陣屋も周囲に造られました。
小さな一漁村がわずかの間に大都市に変貌したわけです。
昔からそこに住んでいた人々は仰天したでしょうね…。
現在名護屋城址と23を数える陣屋址は、国の史跡に指定され、発掘調査と整備がされています。
訪問した日は大変天気の良い日でした。
本丸からの360度の眺望があまりにも素晴らしく、しばらくは動くことができなかったものです。
秀吉も同じ景色を見て悦に入っていたんだろうと、感慨深いものがありました。
近くにある佐賀県立名護屋城博物館では、肥前名護屋城復元模型や「肥前名護屋城図屏風」などが展示されていて、名護屋城の当時の姿が理解できます。
必見です!
ゆっくり見学してください。
13:09 名護屋城博物館前発(→790円)
↓ 昭和バス 西唐津行き
13:29 西唐津駅前着
14:55 筑前前原駅着
14:58 筑前前原駅発
15:41 博多駅着
以上、2泊3日で福岡から城を訪ねながら、北松浦半島をぐるっと回って6つの城と鉄道を楽しむ旅のプランでした。
JR佐世保線を完乗し、JR最西端の佐世保駅に降り立ち、乗り鉄にはたまらない松浦鉄道をほぼ完乗しました。
そして沖縄のゆいレールが出来るまでは、日本最西端であったたびら平戸口駅にも降り立ちました。
私はいつもビジネスホテルに泊まり、地元の人に人気の居酒屋で一人酒を楽しみます。
しかし経済的に余裕があれば、佐世保、唐津で有名旅館に宿泊して、おいしい料理を味わうという贅沢な旅をどうぞ。
素敵な命の洗濯になるでしょう。
【参考文献】
小和田哲男監修『ビジュアルワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)他