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お城大好き雑記も第50回目を迎えましたー!!イエーイ!
いつも読んでくださってありがとうございます。
お城の紹介記事50回記念として、今回は京都府の二条城を取り上げました。
二条城は、世界遺産であり国宝です。
正式名称は元離宮(もとりきゅう)二条城で、「日本100名城」(第53番)に選定されています。
別称は二条新御所、二条新屋敷です。
1998年4月3日に登城、2023年1月20日に再登城しました。
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二条城の遺構は大きな御殿が中心で、「城」と思わないで訪れる人が多いのではないでしょうか。
国宝の城(※)と言う時、何故か二条城は外されますよね。
その理由は国宝指定が天守でなく、二の丸御殿だからでしょう。
二条城の天守は焼失して現存していません。
しかし個人的には二の丸御殿も城郭建築物ですから、国宝の城と言ってよいと思うのです。
天下を取った武将は、天皇が住む京都の中心に雅な城を築きます。
・織田信長が将軍足利義昭(あしかがよしあき)のため永禄12年(1569)に築いた二条城
・秀吉の「聚楽第」
・徳川家康が築いた二条城
すべてそうですよね。
家康は徳川家の権力を誇示するために、天皇や公家衆、外様の諸大名を威圧する豪華絢爛な、それまでにはないような二条城を築城します。
慶長7年(1602)に築城が開始され、三代将軍家光によって完成しました。
二条城は京都における徳川将軍家の宿、また名目は京都御所警護のための城です。
その後徳川幕府の力が強大になると、京都の天皇や西国大名などを気にする必要がなくなります。
結果、徳川家将軍が京都に赴くこともなくなり、230年余り城主不在の城となりました。
天皇家をしのぐ権力の象徴の城郭でしたが、もはや城と言えない城となって幕末を迎えます。
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家康が築いた当時の二条城は、現在の二の丸御殿まわりの方形の部分に相当する場所にありました。
周囲に水濠をめぐらせ、北西部(現在の清流園の付近)に五重の天守、小天守を建築。
二の丸御殿の原型となる殿舎を建造し、二条新屋敷などと呼ばれていました。
寛永元年(1624)に三代将軍家光の命令で、大々的な拡張・改修工事が行われます。
これは御水尾(ごみずのお)天皇を迎えるために、将軍の権威にふさわしい城郭にするための大改修でした。
まずそれまでの城地を三方に広げ、二の丸としました。そして西側に本丸を置きます。
輪郭式の平城ですね。
この二条城の大改修によって、京都の伏見城はその役割を終わると判断。
伏見城天守などを移築、石垣なども転用されたと言われています。
南西隅に天守、北東隅にあった三重隅櫓など3つの隅櫓を多聞櫓が結ぶという厳重な構えの城郭となりました。
さらに二条城は、文禄年間の秀吉の城郭遺構に家康や光秀が施した絵画・彫刻が一体となった、桃山時代様式の華麗な城郭でもありました。
しかし、徳川幕府が安定期に入った家光以後幕末まで、二条城は全く使われていません。
すごくもったいないことですよね。
しかも寛延3年(1750)の落雷により、二条城の天守は焼け落ちています。
さらに天明8年(1788)に本丸御殿も大火で類焼しますが、いずれも復興はされず荒廃するままに放置されました。
幕末の文久3年(1863)公武合体によって難局の打開を図る14代将軍家茂(いえもち)が上洛。
二条城に入り、すぐに整備をしています。
これは寛永11年(1634)の家光の上洛以来、実に229年ぶりの将軍の入城でした。
慶応2年(1866)に15代将軍・徳川慶喜(よしのぶ)が、二条城で将軍宣下を受けますが、翌年慶喜はその二条城大広間で大政奉還を宣言しましたね。
これが徳川幕府の終焉です。
慶喜が退去すると、二条城は朝廷に摂取されます。
明治17年から二条離宮として使われ、明治26年(1893)には旧桂宮家(かつらのみやけ)御殿が本丸跡に移築されます。
現在に至っています。
国宝の二の丸御殿以外の建物のほとんどは、重要文化財に指定済み。
なかでも移築された本丸御殿は弘化4年(1847)に建てられたもので、皇族の御殿で唯一の完全な遺構です。
東大手門は、二の丸の正門に当たる渡櫓門です。
間隔を開けて鉄板を張った筋金(すじがね)門で、扉にふんだんに取り付けられた金具は扉の強度を高めるとともに豪華な外観を作り出しています。
二条城は徳川家が天皇家を守護するという建前から、御所に向いた北と東に大手門が造られているのですね。
これらはいずれも重要文化財です。
雁行形に配された、二の丸御殿の車寄(くるまよせ)と言われる玄関部です。
正面に軒唐破風が付けられ、欄間には鶴や鳳凰などの彫刻で飾られた豪華絢爛な玄関ですよね。
桃山時代の美を今に伝えています。
後ろに見えるは遠侍(とおさぶらい)。
主屋から遠く離れた中門のわきなどに設けられた来殿者が控える場所や警護の武士の詰め所です。
車寄や遠侍の破風板に徳川家の葵の紋でなく十六弁菊花紋が飾られているのは、明治以降に取り換えられたから。
二条城が離宮として使われていた時代ですね。
左端の大広間は、将軍と大名の公式対面所として使われる二の丸御殿の中心です。
一の間は上段の間で、天井は二重折上格天井(にじゅう おりあげ ごうてんじょう)。
正面に床(とこ)と違い棚、左に付書院、右に将軍が出入りする帳台構(ちょうだいがまえ)があり、壁面いっぱいに狩野探幽の描いた松の絵が展開しています。
まさに武家書院の典型の最上級の部屋です。
式台(しきだい)と呼ばれる場所は老中と諸大名の対面所。
城内最大の建物は遠侍で、前述した通り諸大名や来客者の控えの間や警備の者の詰め所に充てられていました。
こちらに行くと、襖絵と天井画、見事な欄間彫刻に必ず圧倒されるはず。
廊下は鴬張りで、回りの障子の上には彫刻が施されています。
黒書院は、将軍と親藩大名の私的な対面所、白書院は将軍の居間並びに寝室です。
現存の二の丸御殿は、家光によって創築当時の建物が改修された御殿です。
建築、絵画、彫刻、庭園などが総合的に現存しているものとしては、なんと日本唯一なのですね。
また、武家風書院造りを代表する建築物であり、城郭内武家住宅、御殿建築としてとても貴重な遺構ですよ。
内濠に架かる橋を渡ると、本丸櫓門(重文)があります。
かつてこの橋は「橋廊下」と呼ばれる特異な構造の橋で、橋の上に二階があり、貴人用の畳敷きの廊下となっていました。
後水尾天皇と将軍家光だけが歩いたいわば空中廊下です。
二の丸御殿黒書院から本丸御殿や天守まで廊下を歩いていけるように建物が繋がっていたのですね。
一般の者は一階の橋を渡ります。
櫓門の正面上部に窓などがなく、漆喰で塗り潰されているのは、二階橋を撤去したためです。
西側から本丸に入る西橋です。
外濠に面している西櫓門の内桝形に続いて、本丸の西側の虎口は外桝形の厳重な守りの構造となっています。
上の写真は、大手門近く、堀川通りと押小路通りの交差点に面して建つ二重二階建ての東南隅櫓です。
元々は二条城の四隅に櫓がありましたが、現在は東南と西南だけに残っています。
いずれも重要文化財です。
白漆喰総塗籠の櫓で東南隅櫓は千鳥破風が、下の西南隅櫓には唐破風が置かれています。
二条城には、東大手門、北大手門のような壮大な櫓門をはじめとして、豪華な唐門や長屋門、高麗門、埋(うずみ)門など多様な門が遺構として残っています。
門の様式を学ぶには格好の城ですよ。
大正4年(1915)京都御所で大正天皇即位の儀式が行われ、その後二条城で饗宴が行われました。
その時に天皇の入城口として新たに南門が造られました。
徳川が建造した渡櫓門の東大手門、北大手門に比べると大変質素な高麗門です。
それまで二条城南側には入城口はありませんでした。
桃山門は、二の丸御殿の西側を仕切る門の一つ。
長屋の一部を門とした長屋門の代表例です。
鳴子門は、二の丸御殿の北側を仕切る門の一つで、四脚門。
城で用いられることが少ない珍しい門です。
内堀の北側にある北中仕切門と対になっていて、寛永3年(1626)頃に建築されました。
本丸西櫓門(焼失)への通路を防ぐ防衛上重要な門です。
背面の屋根だけが延びるという変わった構造の門で、門のうえに土塀と石垣に囲まれていることから「埋(うずみ)」門と呼ばれています。
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二の丸庭園は、家康時代に築かれた庭です。
家光は、後水尾天皇を迎えるために二条城の大改修を行った際、小堀遠州に命じて庭の改修もしています。
巨石を配した築山泉水(つきやませんすい)式庭園で、特別名勝に指定。
なお、小堀遠州は二条城の作庭だけでなく、城普請も担当しています。
二条城の公式サイトです。
修理の様子などが分かりますよ、ぜひのぞいてみてくださいね。
*二条城詳細
・営業時間:8:45 ~ 16:00(閉門17:00)夏季は時間延長あり
・休業日:年末年始(12/26~1/4) ※毎年12月・1月・7月・8月の毎週火曜日、1月1日~3日、12月26日~28日は二の丸御殿の観覧不可
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【参考文献】
平井聖監修『城 5 近畿 華と競う王者の城』(毎日新聞社 平成8年9月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中山良昭編著『もう一度学びたい日本の城』(西東社 2007年㋆15日発行)、中井均監修『超雑学 読んだら話したくなる日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日初版発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、石井進監修『文化財探訪クラブ6 城と城下町』(山川出版社1999年㋆25日1版1刷)、『城其ノ一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)他
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