日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

気ままにぶらっと城跡へ⑨水口城へ行ってきた

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水口城   by:photo-ac

第9回の「気ままにぶらっと城跡へ」は、滋賀県にある水口城(みなくちじょう)です。

水口城は戦いに備えた城としてではなく、徳川家将軍の宿泊施設として建てられた大変特異な城郭です。

平城で、別称は碧水(へきすい)城、岡山城

私が初めて登城したのは1999年8月5日でした。

コロナ感染も少し落ち着いた2021年10月24日に、ステイホームでうつうつとしていたので、久し振りにぶらっと出かけてきました。 

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近江鉄道 水口城南駅

水口城へは、大阪からJR京都線草津へ行き、そこで草津線に乗り換え、さらに貴生川駅近江鉄道に乗り換えます。

米原行きに乗って一駅目です。

駅からは5分くらい歩けば、すぐに水口城に到着します。

水口は、東海道五十三次の宿場町ですね。

 

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水口城案内板

説明版にも書かれているように、水口城は徳川三代将軍・家光の宿泊所として築かれた城です。

上洛のさいに利用したもので、通称「御茶屋」とよばれる将軍専用の宿ですね。

水口は、京都から伊勢に通じる街道の要衝の地。

水口には、かつて秀吉の家臣・中村一氏(かずうじ)が天正13年(1585)に築城した岡山城がありました。

関ヶ原の戦い当時は長束正家(ながつか まさいえ)が城主でしたが、西軍で戦い落城しています。

その後、この水口は徳川幕府の直轄地となり代官が置かれていました。

ちなみに徳川家康や二代将軍秀忠も、上洛にあたっては水口宿に宿泊しています。

幕府は、寛永9年(1634)から、二条城御殿の作事奉行を務めた小堀政一(まさかず 遠州)と島光安(しま みつやす)を作事奉行に任じ、同11年の家光の上洛に備えて、水口城の築城を始めます。

城は、東海道の南にあり、南側を野洲川が流れる場所です。

近くにあって落城した岡山城の石材を利用し、水口城の石垣が築かれました。

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水口城説明パネルより

上の図で分かるように、水口城は石垣と水濠で囲まれた四角形の本丸に、後に二の丸と呼ばれる小さな出丸が付けられています。

本丸の四隅には平櫓を築き、本丸の御殿は二条城の御殿をその規模を縮小した形で造られました。

華麗な御殿は小さな二条城とも呼ばれていました。

天守は築かれていません。

本丸内の御殿の構造は、徳川幕府の大工頭・中井家文書に詳細に記されているとのことです。

数寄を凝らした御座之間(ござのま)に接して建てられた御亭は二階建ての風雅な望楼風の建物だったと言われています。

二の丸には警固番詰所がありました。

築城に際して、東海道を迂回させ、水口宿を城下に取り込む形としています。

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水口城資料館の隅櫓

寛永11年、三代将軍家光は、京都から江戸に帰る時水口城に宿泊しました。

1泊だけです。

それ以後、将軍が宿泊することはありませんでした。

名古屋城の御殿と同じですね。

徳川幕府が圧倒的な力を持った後は、徳川家が上洛するのではなく、朝廷の勅使が江戸に出向く時代となったからです。

その後、幕府直轄の水口城には城代がおかれ、おおむね1年交代で2万石から5万石の大名・旗本が城代を務めました。

天和2年(1682)に、石見国吉永から賤ケ岳七本槍で有名な加藤嘉明(よしあきら)の孫である加藤明友(あきとも)が2万石で入ります。

これによって水口藩が成立。

明友は城地の大幅な改造を行い、東海道の一部を再び迂回させ、家臣団の屋敷を城の三方に整えました。

明友は、堀の水がいつも青々としているのを見て、碧水城と名づけたそうです。

加藤氏は本丸を使用せず、本丸西方に館と藩庁を置いて藩政を行ったと言われています。

水口城が藩の居城となったあとも、城主は本丸御殿を使うことなく、それまでと同じように本丸御殿の管理を引き継いでいたようですよ。

将軍家の御宿泊所として築かれた御殿を、大名ごときが使うわけにはいかなかったのでしょうね。

しかし、維持管理が大変なことから本丸御殿はやがて撤去され、本丸は明治になるまで空き地のまま捨て置かれていました。

水口には城下町がつくられず、水口宿を城下町として位置づけていました。

藩主は途中鳥居氏に代わりますが、再び加藤家になり明治を迎えます。

本丸の石垣は近江鉄道建設の用材に転用されており、今は二の丸以外は土塁となっています。

本丸部分は水口高校のグランドに。

私が行ったときには野球の試合が行われていました。

出丸には、二重の乾櫓を平成3年に再度移築復元。

民家に移築されていたものですが、水口城資料館として復元し、水口城関係の遺物、絵画、資料などが展示されていますよ。

また同じく復元、復興されているのは御成門、土塀、御成橋です。

しかし、今回登城した時は、御成橋が壊れていて入城することが出来ませんでした。

普通ならすぐに修理するのでしょうが、コロナ禍でもあったので、修理しないで入城禁止にしたのだと思います。

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水濠と出丸の石垣と本丸の土塁

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本丸の土塁と水濠  by:photo-ac

湧水を利用した水濠は、変わらず水をたたえています。

 

ローカル番組のユーチューブ動画です。

資料館の中と歴史を紹介していました。


www.youtube.com

 

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今回水口城を訪問するついでに、関西の鉄道でまだ乗ったことがなかった信楽高原鉄道に乗り、信楽の観光も併せてしてきました。

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信楽高原鉄道   by:photo-ac

信楽高原鉄道の車両は、伊賀の里に因んで忍者と、信楽の狸がラッピングされています。

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信楽高原鉄道 信楽駅   by:photo-ac

信楽が狸の焼物で有名とはいえ、こんなにもホームに置かなくても良いでしょう、と思うほどの狸の置物です。

本当にすごい狸の数ですよね。

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信楽高原鉄道 信楽駅  by:photo-ac

駅前でも大きな狸が迎えてくれています。

信楽焼で有名な町中には、狸の焼物がたくさん置いてありました。

この駅前のお店で食べた10割蕎麦はとても美味しかったですよ。

 

(註:by:photo-acの表記のない写真は筆者撮影)

 

*水口城詳細

・住所:滋賀県甲賀市水口町本丸4-80

・アクセス:近江鉄道本線水口城南駅から徒歩5分

・営業時間:10:00~17:00

・休業日:木・金・年末年始(12月29日~1月3日)

 

 

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【参考文献】

平井聖監修『城 5 近畿 華と競う王者の城』(毎日新聞社 平成8年9月25日発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、『城 其ノ一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)他