日本全国にあるお城。
見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」その8です!
今回は、美しい石垣や立派な石垣を持つお城について書いてみますね。
ただし、ここで紹介するのはあくまでも私個人の意見です。
そのため人によって違うお城の方が素晴らしい! と思う場合もあるでしょう。
お城が好きな人同士で話し合ってみるのも楽しいと思います。
機会があればやってみてくださいね。
ちなみに今までの記事1~7については最下部にリンクを載せますので、そちらも読んでいただければ嬉しいです!
では、私が考える美しい石垣や立派な石垣を持つお城12選をみていきましょう。
(1)首里城
日本の城の石垣で、私が一番美しいと思うのは首里城(日本100名城)の石垣です。
きれいに加工された「切込接ぎの布積み」と言われる石垣で、横方向の目地がほぼ真っ直ぐ通っています。
美しいですよね。
私が思うに、おそらくこの石垣に匹敵するのは江戸城天守台の石垣でしょう。
隅部が緩やかな曲線を描くのが沖縄のグスク(城)の特徴です。
それと、首里城の石垣は隅部の上部先端が角のように上方に緩やかに突出しているのがユニークですね。
これは、城壁飾りの一種だそうです。
首里城はとても残念なことに、令和元年(2019)10月31日未明の火災で、正殿・北殿・南殿が全焼、他合わせて7棟の建屋が焼失してしまいました。
わずか一夜のできごとでした。
首里城5度目の焼失です。
しかし、世界遺産の登録は石垣や城内の御嶽が対象ですので、世界遺産の登録取り消しにはなりません。
ふたたび正殿などが、これまでのように蘇る日も近いでしょう。
楽しみです。
比較のため、江戸城の石垣を載せておきますね。
(2)今帰仁グスク
この写真はすごいですよね。
野面積みで乱積みの高石垣が迫ってきます。
これは「大曲」といわれる長大な石垣。
今帰仁(なきじん)グスク(日本100名城)はこれが有名なのですね。
沖縄でも屈指の高石垣です。
1300年頃に築かれたと伝わっていますよ。
歴史に驚きです。
織田信長が安土城で高石垣を築いたのが1576年のことですから、それよりも250年も前のことになります!
ちなみに、石垣は近年積み直されたものもありますよ。
全部で1.5kmにも達する壮大な石垣は、万里の長城のようで圧巻です。
(3)熊本城
天守台の石垣がこんなに立派でこんなにも高石垣である城は、日本では熊本城(日本100名城)だけだろうと思います。
他の天守では見られない、堂々とした切込接ぎ乱積みの高石垣ですよね。
これが加藤清正の、いわゆる「清正流」といわれる石垣です。
小天守の左端の石垣は、上に行くにしたがって反りが見られ、上部はほぼ垂直になっています。
天守自体は昭和35年(1960)に再建された、望楼型連結式の復元天守。
天守は修理が終わっていますが、まだまだ崩れたままの石垣もあります。
完全復旧までは相当な時間がかかりそうですね。
沖縄の首里城と同じく、すべてのものが復元される日を楽しみに待っていましょう。
(4)岡城
標高325mの天神山山頂に築かれたのが岡城(日本100名城)。
断崖絶壁を巧みに生かした高石垣で囲まれた城郭です。
険しい山頂にもかかわらず、本丸を中心に二の丸、三の丸、西の丸が置かれ、広い城郭を高石垣が巡っています。
最も高く、岩盤の上から直接そそり立つように築かれている写真の石垣は迫力がありますよね。
岡城の大手門へ至る登り道の断崖側には石塀が築かれていますが、その頂部には「かまぼこ石」という扇形の石が置かれていますよ。
珍しいものです。
(5)島原城
島原城は、九州外様大名の押さえの城として築城されました(日本100名城)。
しかし、松倉重政が島原城を築城するにときに領民に課した過酷な年貢などが要因となり、天草・島原の乱が起こってしまいます。
その責任を取らされて松倉氏は断絶。
たかだか4万石の大名なのに、余りにも気負いこんで立派な城を造ったためでしょう。
領民にとって、悲劇以外の何物でもありませんでした。
五重五階の層塔型独立式天守は、昭和39年(1964)に復元されています。
幅広い濠に囲まれた本丸と二の丸の二つの郭しかない単純な連郭式の城郭ですが、何回も屏風折れに築かれた雁行の野面積み高石垣に守られた島原城は、難攻不落の城です。
実に見事な高石垣ですよね。
(6)津山城
雛壇のように3段、4段と重ねて曲輪を置いた「一二三(ひふみ)段」といわれる石垣群が、累々と築かれています。
数多く築かれていた櫓台や天守台は、良好な姿で遺構として残存していますよ。
本丸高石垣は壮観な眺めです。
2005年に再建されたのは備中櫓。
60を超える津山城の櫓のなかでも最大級の規模を誇ります。
写真は冬景色ですが、津山城は日本さくら名所100選にも選ばれていて、桜の季節に是非登城してほしい城です。
(7)竹田城
竹田城は標高354mの古城山の山頂に築かれた山城で、「天空の城」としてあまりにも有名な城郭です(日本100名城)。
山頂に巡らされているいくつもの曲輪には、すべてに見事な打込接の石垣が築かれています。
一部の石垣は改修済みです。
しかし、その多くは築城当時のままの威容を私たちに見せてくれていますよ。
圧巻の一言です。
桜の季節も美しいですが、雲海に浮かぶ壮観な姿は何にも代えがたい美しい城郭。
ぜひ一度は訪れてほしいところです。
(8)姫路城
国宝で世界遺産の姫路城ですね。
白鷺(はくろ)城と呼ばれています。
高石垣のさらに上に築かれた高い天守台の上に、白い天守(現存)が聳えていますね。
姫路城の見どころは五重六階地下一階建て望楼型連立式の美しい天守だけではありません。
実は、高い石垣と複雑な縄張りも見どころなんですよ。
黒田官兵衛が築いた野面積みの古い石垣も残っていますが、打込接の石垣はじつに立派。
徳川家康の娘婿となった池田輝政が、秀吉の姫路城を大改修した姫路城が現在の姿です。
豊臣大坂城の包囲網の一環として、家康の命により改修されました。
非常に防御力の高い、難攻不落の城です。
(9)丸亀城
高石垣の立派な城といえば、丸亀城(日本100名城)の右に出る城郭はないでしょう。
JR丸亀駅近くになると、予讃線の列車の車内から丸亀城が見えてきます。
何段も積み上げられた高石垣のうえに、可哀そうなぐらいの小さな現存天守が載っています。
三重三階の層塔型独立式天守は、現存天守のなかではもっとも小さな天守ですよ。
立派な高石垣がデーンと構えているので余計に小さく見えます。
すみません、これを見ると毎回ちょっと笑ってしまう…。
(10)伊賀上野
伊賀上野城(日本100名城)の高石垣は、大坂城の石垣よりも高いと地元では言っております。
どっちの石垣が高いのかは、実際のところ、測り方によるのですね。
というわけで、この決着は先送りとなっています(;'∀')
伊賀上野城は、大坂城の豊臣秀頼対策として、家康の命により名築城家藤堂高虎が大改修しました。
本丸西側(大坂側)のこの高石垣は約30mもあります。
隅部は算木積みの高虎得意の直線の積み方となっていてとても美しいですよね。
ところが、実は高虎が建造しようとした天守は完成直前に暴風雨のため倒壊してしまいました。
そのため現在の天守は、昭和10年(1935)地元出身の政治家が私財を投じて再建した模擬天守です。
二重二階建ての小天守を伴った、三重三階建て層塔型連結式白漆喰総塗籠の天守ですね。
(11)岩村城
しかし岩村城が有名なのは、美人の女城主だったからだけではありません。
なんと築かれたのは標高717mの日本一高いところ!
岩村城は、近世山城を代表する城郭です。
奈良県の高取城、岡山県の備中松山城とともに三大山城と呼ばれています。
何と言っても圧巻なのは、本丸北東面にある、雛壇状に6段も積み上げられた上の写真の石垣です。
岩村城は山頂一帯に曲輪が配され、各郭に巡らされた石垣が最大の見どころとなっていますよ。
(12)甲府城
甲府城は、東日本最大級の高石垣が築かれた城です(日本100名城)。
徳川一門が歴代城主であった甲府城に、徳川綱吉の側用人として権勢を誇った柳沢吉保が入城しました。
徳川一門以外では初の城主となったのですね。
城主となった柳沢は、城の拡張と修築を行いました。
甲府城は、野面積みの豪壮な天守台(右上)をはじめ、本丸、二の丸、人質丸、稲荷曲輪など多くの曲輪を高石垣で築いています。
近づくと、そのどっしりとした石垣群に圧倒されますよ。
江戸城の西の守りの要の城として重要視されていたことが分かりますね。
近年稲荷櫓や櫓門などが復元されて、城の整備も進んでいます。
はい、個人的12選を紹介しました。
お好きな高石垣を持つお城はありましたでしょうか?
気になったところがあれば、ぜひ実際に行って自分の目で確かめてみましょう。
歴史や時間の経過、いろいろな「重み」を感じ取れると思います。
▼PR
▼PR さあ、心の洗濯へ
▶【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!
*こちらもどうぞ
【参考文献】
日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害台場事典』(東京棠出版 2002年7月15日初版発行)