日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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気ままにぶらっと城跡へ⑱松坂城へ行ってきた

松坂城

今回のぶらっとは三重県松坂城址です。

青春18きっぷ」を使って、8月9日(2022年)に、気ままにぶらっと行ってきました。

松坂城は、秀吉の家臣・蒲生氏郷(がもう うじさと)が、はじめて自分の城として心血注いで築城した平山城です。

野面積みの豪壮・豪快な高石垣が、一二三段(ひふみだん)に巡らされています。

堅城ですね。

初めて松坂城を攻城したのは1998年8月18日でした。

その日は伊勢亀山城を先ず探訪し、続いて津城、そして松坂城三重県の三城址を続けて探訪しました。

前回駆け足だったので、今回はゆっくりと松坂城を攻城しましたよ。

松坂城は「日本100名城」第48番に指定されています。

別称は四五百森(よいほのもり)城、鶴(つる)です。

 

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織田信雄(のぶかつ)によって小規模な松ケ島城が築かれたのは、天正8年(1580)のこと。

この城は、海岸に近い現在の松ヶ崎町にありました。

天正12年、築城の名手と謳われた蒲生氏郷は、秀吉の命により近江日野(ひの)城から12万3000石で松ケ島城に入城します。

氏郷は、松ケ島城が狭く、余りにも海岸に近いことを嫌いました。

そして天正16年から、四五百森の独立丘陵に新しく松坂城の築城を開始します。

松坂城跡碑

今日、本丸周辺に残っている野面積みの石垣は、氏郷が故郷の近江蒲生郡から連れてきた石工たちによって築かれたものと伝わっています。

「松坂」の名前は、吉祥の木である松と、秀吉の居城・大坂城から一字ずつ取って名づけられたそうですよ。

氏郷は、元々は東の海岸沿いを通っていた伊勢(参宮)街道のコースを変えるなど、城下町の整備もしました。

また信長に倣って楽市楽座の制を取り入れ、松ヶ島の住人を移し、出身地の近江日野からも商人を呼び寄せるなどして、商都松坂の基礎を築きます。

後の三井財閥の祖である三井家など、豪商となる松坂商人が数多く輩出しました。

また城下町の外側には防備を兼ねて寺社を並べるなどして、城下町の発展にも努めています。

しかし残念なことに、2年後の天正18年には42万石の大大名として会津に転封となりました。

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これは大出世です。

とはいえ、渾身の想いを込めて築城した松坂城を置いていくのは後ろ髪をひかれる思いがあったろうと思うのは、現在の世に生きている私だからでしょうか?

後任として服部一忠(かずただ)、そして文禄14年(1595)には古田重勝(しげかつ)が入封します。

重勝の時代には、城郭や城下の整備が行われました。

参宮街道にある松坂商人の館

元和5年(1619)に徳川家康の子・頼宜(よりのぶ)が御三家紀州徳川家を興すと、松坂は紀州藩領となりました。

松坂城は、田丸城、新宮城、田辺城とともに和歌山城の支城となります。

当初は代官が置かれていましたが、明暦3年(1657)以後からは城代が置かれてそのまま明治時代へ。

本丸の櫓、門などは放置されたために次第に荒廃し、正保元年(1644)の大風により天守は倒壊してしまいます。

寛政6年(1794)には二の丸に紀州御殿が建造されました。

明治天皇明治2年(1669)に伊勢神宮に参拝された時には、この御殿に宿泊されていますよ。

しかし、廃城後の明治10年に、浮浪者の失火によって焼失してしまいました。

とても残念なことですね。

現在、城址は松阪公園となり、本居宣長記念館、宣長の旧居を移築した鈴屋(すずのや)、歴史民俗資料館などがあります。

左の高石垣は本丸(下段)の石垣  正面は松阪市立歴史民俗資料館

 

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松坂城縄張図(松阪市立歴史民俗資料館展示より)

本丸、二の丸模型(資料館内展示)

「国指定史跡 松坂城跡」パンフレット

四五百森の丘陵を切り分けて東西の両丘に分け、東側を城域に、西側はそのままで八幡宮を勧請して鎮守の森としました。

両丘の周囲には一重の濠を廻らせています。

上段と下段の二段構えの本丸、後側に希代丸(きたいまる)、南側に隠居丸、本丸下段の下に二の丸を設置。

総高石垣で囲い、内濠までの平坦地を三の丸とした梯格式の縄張りです。

城の北側を流れる坂内(さかない)川を外濠とし、高石垣で守られた堅城となっています。

野面積みの壮大な石塁の規模は、全国でも五指に入る立派な石垣群です

本丸の三重の天守は、二重の敵見櫓を連結していました。

東に二重の金ノ間櫓、下段には遠見櫓、月見櫓、太鼓櫓を置き、周囲を多聞櫓で結んだ大変防御力の強い曲輪です。

二の丸には御殿が建てられ、麓の三の丸には家臣屋敷や蔵屋敷などが置かれていました。

「国指定史 松坂城址」パンフレットより 赤線は史跡範囲 薄い水色は濠

本丸(上段)への入口

本丸と奥が天守

天守

金ノ間櫓跡

敵見櫓跡

本丸(上段)の多聞櫓跡石垣が周囲に巡らされている

月見櫓跡と梶井基次郎文学碑

月見櫓跡に建てられている梶井基次郎文学碑

大正13年(1924)の夏、病気療養のため松阪の姉の家に滞在した小説家・梶井基次郎は、翌年作品「城のある町にて」を発表しました。

そのなかで松坂城について描いている一文が彫られ、昭和49年(1974)に建立されています。

隠居丸入口を太鼓櫓跡から見る 桜松閣・本居宣長旧宅への入口

二の丸高石垣

天守台からの景色

裏門

裏門の野面積みの石垣

二の丸の高石垣

二の丸から見た御城番屋敷

文久3年(1863)に、旧紀州田辺与力(よりき)20人に松坂城御城番を命じ、三の丸に御城番屋敷二棟20戸を建てました。

現在1軒だけが公開されています。

他の家は現在も子孫の方々が生活していますよ。

御城番屋敷

御城番屋敷 玄関

松阪市立歴史民俗資料館

松坂市立歴史民俗資料館です。

1階では蒲生氏郷松坂城などの展示。

2階は、原節子主演の「東京物語」や「晩春」で有名な日本を代表する映画監督小津安二郎松阪記念館となっています。

小津氏は、9歳から19歳までの青春時代を松阪で過ごしていました。

本居宣長旧宅(鈴屋)

隠居丸に移築された本居宣長旧宅。

この家で宣長は門人に国学を講じ、『古事記伝」を執筆しました。

阪神社鳥居と参道

                              蒲生氏郷か?
(写真は筆者撮影)

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松坂市が作ったPR動画です。ぜひご覧ください~。

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松坂城詳細

・住所:三重県松阪市殿町1539

・アクセス:JR紀勢本線近鉄松阪駅から徒歩15分

・営業時間:24時間

・休業日:なし

 

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【参考文献】

平井 聖監『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日第1刷発行)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、「松阪市立歴史民俗資料館」パンフレット、「国指定史跡 松坂城址」パンフレット(松阪市役所文化課)、「御城番屋敷」パンフレット他