日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

お城大好き雑記 第97回 臼杵城

臼杵城   by:photo-ac

いよいよ97回目になりました!

100までもう少しですね~。

 

さて、今回は大分県臼杵(うすき)城とまいりましょう。

現在埋め立てられて完全に陸地となっていますが、元は臼杵川河口から臼杵湾内に細長く突き出た島・丹生島(にうじま)に築かれていた城です。

島を天然の要塞とした平城(海城)で、大友義鎮(よししげ)によって築かれました。

大友義鎮(よししげ)は、豊前・豊後・筑後筑前・日向の5カ国以上を支配していたキリシタン大名です。

大友宗麟という名前の方が有名かもしれませんね。

ここからは宗麟の名で書きます。

臼杵城は、「続日本100名城」(第193番)に選定されています。

別称は丹生島城、亀(き)

私は、1999年9月4日に初登城しました。

鎧坂の土塀と二の丸大門(左)と畳櫓(右)  by:photo-ac

大友宗麟(入道して後 そうりん)は、大分の府内(現在の大分市)にある西山大友館を本拠としていました。

しかし、豊後水道の制海権飫肥にかけての日向平野を制圧するため、臼杵の海岸に突出する丹生島に臼杵城を築きます。

永禄5年(1562)のことでした。

宗麟は、築城と同時に港湾整備にも着手。

明やポルトガルなどと貿易を行います。

城下に教会やセミナリオ(教練所)も建て、臼杵は異国情緒漂う城下町となっていました。

宗麟自身も洗礼を受けていますし、宣教師の受け入れにも熱心でしたよ。

臼杵は一時南蛮貿易港として繁栄し、東九州における政治・経済・文化の中心地だったのです。

しかし、天正6年(1578)の日向耳川合戦で島津氏に大敗。

以来、大友氏は急速に弱体化していきます。

天正14年に大挙して臼杵の城下町を攻めた島津軍は町を焼き払い、臼杵城を包囲。

しかしこの時、南蛮貿易により輸入したポルトガル製の「国崩し(くにくずし)」と呼ばれる大砲二門で島津軍を撃破します。

臼杵城は落城こそ免れましたが、城下の大半を失ってしまった宗麟は、翌年失意のうちに病死してしまいました。

文禄2年(1593)に嫡男・義統(よしむね)が、朝鮮出兵での働きを秀吉に咎められ取り潰されてしまいます。

臼杵城には福原直高(なおたか)が6万石で入りますが、次いで慶長2年(1597)には太田一吉(かずよし)が入封。

太田氏は臼杵川河口にあった祇園洲に三の丸を築き、防御を強化して平山城の景観となりました。

しかし、太田氏は関ヶ原の戦いで西軍に属したため改易されます。

代わって稲葉貞通(さだみち)が5万石で入封し、以後臼杵は稲葉氏の城下として栄え、15代で明治を迎えます。

 

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「豊後之内臼杵之城」(『城 九州 沖縄 火燃ゆる強者どもの城』より)

臼杵城は亀城とも呼ばれています。

その理由は、丹生島が東西に長いうえ、海に浮かぶ姿が亀に似ていたからですね。

島の周囲は断崖絶壁で、陸地側に石垣を築き、現存する石橋の古橋を渡って鎧(よろい)坂を経て、二の丸大門をはいります。

広い二の丸の先、島の先端部分に空堀と石垣で防御された本丸がおかれました。

稲葉貞通は二代・典通(のりみち)とともに、荒廃した城と城下町の修築を行います。

三の丸に石垣を築き、二の丸の大手口を古橋口として、三の丸の東南隅に新たに桝形門を築いて大手門としました。

また、本丸の西北隅に三重の天守を建造し、櫓門を含めて31基もの櫓を建て、近世城郭として面目を一新します。

畳櫓(現存遺構)   by:photo-ac

遺構として残っている畳(たたみ)櫓は、重箱造りの二重櫓です。

重箱造りは一重目と二重目が全く同じ平面の造りのこと。

同じく遺構である卯寅口門脇(うとのぐちもんわき)櫓は、珍しい切妻屋根の二重櫓です。

この門は臼杵城が島だった時に、海からの入口の門でした。

二の丸の石垣と大門櫓     by:photo-ac

平成13年(2001)に再建された二の丸大門櫓   by:photo-ac

臼杵護国神社鳥居(鎧坂入口)   by:photo-ac

二の丸跡    by:photo-ac

明治維新後に、藩祖・稲葉一鉄以下歴代の藩主を祀る稲葉神社と臼杵護国神社

二の丸跡に建てられています。

島の周囲は戦後埋め立てられてすっかり市街地となり、海城の面影は全くなくなってしまいました。

本丸と二の丸の城跡は、現在臼杵公園および神社の境内となっています。

島津の攻撃を打ち破った大砲「国崩し」のレプリカが、城址に復元展示されていますよ。

 

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臼杵城址から見た城下町  by:photo-ac

稲葉家下屋敷と錦鯉    by:photo-ac

城下町には白壁造りの土塀や武家屋敷、商家なども残っています。

稲葉家下屋敷は、廃藩置県後に稲葉氏が東京から里帰りするために地元の有志が建てたもの。

稲葉家ゆかりの資料を展示していますよ。

武家屋敷・平井家も隣接しています。

臼杵の城下町   by:photo-ac

臼杵の摩崖仏     by:photo-ac

臼杵と言えば「摩崖仏」ですね。

有名な観光地です。

また臼杵は隠れたフグ料理でも有名な町ですよ。

 

【1泊2日の大分県4城址巡り】

1999年9月3日から、1泊2日で大分県の4城址巡りをしました。

3日は日本最大の山城の岡城をまず探訪しました。

岡城は滝廉太郎作曲の「荒城の月」で有名ですよね。

山頂にある高石垣は圧巻です。

それとここで、カマボコ塀と言われる塀を初めて見ました。

続いて大分府内城(日本100名城」第94番)を探訪。

キリシタン大名大友宗麟の胸像があり、宗門平櫓(しゅうもんひらやぐら)と人質(ひとじち)西櫓という珍しい名前の二つの櫓が、遺構として残っています。

翌4日は佐伯城(「続日本100名城」第194番)を探訪。

関ヶ原の戦いのあと、毛利氏によって築かれた総石垣の山城です。

八幡山の麓に渡り櫓門形式の三の丸櫓門が残っていますよ。

         佐伯城三の丸櫓門   by:photo-ac


それから最後に臼杵城を訪れました。

もうかなり昔の話ですが、楽しかった記憶があります。

 

臼杵城詳細

・住所:大分県臼杵市臼杵丹生島91

・アクセス:JR日豊本線臼杵駅から徒歩10分

・営業時間:24時間

・休業日:なし

 

 

 

【参考文献】

平井 聖監修『城 8 九州 沖縄 火燃ゆる強者どもの城』(毎日新聞社 平成8年10月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第7刷発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ三』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日第1刷発行)、中山良昭編著『もう一度学びたい日本の城』(西東社 2007年7月15日発行)他

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