日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第87回 三重県 伊賀上野城

伊賀上野城

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87回目は、三重県伊賀上野城です。

松尾芭蕉の故郷で忍者の里・三重県伊賀上野市にあります。

筒井定次(つつい さだつぐ)が築いた城を、築城の名人・藤堂高虎が高石垣を築いて大改修した平山城です。

別称は上野城、白鳳(はくほう)

日本100名城」(第47番)に選定されています。

私は、1998年3月21日に初登城、2022年3月20日再訪しました。

 

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展示パネルより

天正13年(1585)に豊臣秀吉により大和郡山城から12万石で移封された筒井定次は、伊賀上野城を築城します。

伊賀上野は、京や奈良から東海道に通じる交通の要衝です。

伊賀上野城は三方を川に囲まれた要害の地にあり、伊賀盆地に突き出た台地の端に建てられています。

定次は標高178mの丘陵の上に本丸を置き、三重の天守を築きました。

本丸の西に二の丸、北側の山下に三の丸を設置。

ところが慶長13年(1608)に、徳川家康は定次を改易、領地を没収しました。

改易の理由は失政です。

家康は大坂の豊臣方との最終決戦に備え、伊賀上野を軍事上の重要拠点として重視していました。

そのため、信頼していた藤堂高虎に計22万石を与えて伊予国今治から移封、藤堂高虎を伊賀と伊勢の領主とします。

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万が一大坂城との戦いに敗れた時は、家康の密命により家康が伊賀上野城に、秀忠は彦根城に逃げ延びる手筈だったといわれています。

高虎は伊勢の津城に入城しましたが、「津は不堅固の平城なり、当座の休息所と思うべし。伊賀は秘蔵の国、上野は要害の地」と言い、慶長16年から支城であった上野城の大改修に取りかかったのです。

伊賀上野城展示パネルより

藤堂時代の縄張り図(展示パネルより)

築城の名手であった高虎は、必ず天下の三名城の一つに仕上げてみせると大変な熱の入れようであったといわれています。

高虎は、定次の城を取り込みながら三倍の広さの城郭に拡張。

大坂城に向かう西側に本丸を拡大して、大坂側からの攻撃に備え、幅の広い濠と約30mの高石垣を築きました。

本丸を内濠で囲み、その外側に二の丸、三の丸、総曲輪を設け、外濠でコ字型に囲みます。

二の丸の外周は高い土塁が築かれ、土塁上には二重櫓が二基、平櫓が八基築かれていました。

南側には多聞櫓を載せた巨大な東西の両大手門をつくっています。

定次の城が防衛の主眼を東側の徳川方に置いて大坂を守る形だったのと対照的に、高虎は大坂方の攻撃に備え、西側に防衛の重点を置いています。

ところが慶長17年(1612)に、なんと完成間近の天守が暴風に見舞われて倒壊!

とは言え、3年後の元和元年(1615)にあった大坂夏の陣大坂城が落城し、豊臣家は滅亡します。

一国一城令もあり、大坂の脅威もなくなったので、その後上野城天守が再建されることはありませんでした。

高虎は、津城を本拠地とし、伊賀上野城には城代家老を置きます。

もはや、戦いに備える必要がなくなったのですね。

明治になってわずかに武具櫓(上野高校構内に残存)ひとつを残して、城は破却、解体されました。

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現在、城址は上野公園となり市民に開放されています。

城址内には、高石垣や内濠などがほとんど完全な形で残っている貴重な城址です。

定次の造った本丸跡などの遺構もよく残っていますが、伊賀上野城の一番の見どころは高虎が築いた壮大な水濠と高石垣です。

また、伊賀上野城の城域内には芭蕉翁記念館や俳聖殿や伊賀流忍者博物館などがあり、観光客で賑わっていますよ。

天守一階に展示されている藤堂高虎

高虎が築こうとした天守と続櫓の想像図(展示パネルより)

展示パネルより

高虎が築こうとした天守は、今治城と同じ層塔型の、なんの飾りもない五重の天守だったようです。

五重天守の一重ずつを五人の大工頭に請け負わせ、腕を競わせるなどして築城していたことが、この説明パネルで分かりますね。

しかし、昭和になって再建された天守は違っています。

再建された大天守と小天守

高虎時代の本丸跡に、昭和10年(1935)に三重の大天守と二重の小天守が建てられました。

地元出身の代議士・川崎克(かつ)氏は全国の名城を調査し、古文献を調べ自ら設計したと説明文にはありました。

そうして私財を投じて純木造の復興天守を再建。

名称は「伊賀文化産業城」と言います。

二重二階の小天守を伴った連結式の形で復興された三重三階層塔型天守です。

切妻破風の出窓と唐破風、千鳥破風と軒唐破風を持ついかにも天守らしい美しい姿です。

観光を目的としているので、破風などの飾りのない層塔型天守では納得しなかったのでしょうね。

最上階の天井には、天守復興を祝う横山大観の「満月」など著名人の書画46枚が飾られています。代議士の力ですね。

現在は郷土資料館として、武具や甲冑や美術品などが 展示されていますよ。

格天井の大色紙

尾崎行雄書の築城記念碑

三重県から選出された「憲政の神様」「議会政治の父」といわれる、尾崎行雄が揮毫した立派な築城記念碑です。

天守入口の説明版

本丸跡から水濠を覗く

日本一の高石垣と地元が誇る城は、伊賀上野城以外にも大坂城、姫路城、熊本城、江戸城などがあります。

築城当時は大坂城を上回る日本一の高石垣といわれましたが、現在は大坂城、姫路城に次ぐ高さだといわれています。

高虎の得意な直線的な高石垣は見事というほかありません。

高石垣  by:photo-ac

天守からの眺望

 

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俳聖殿   by:photo-ac

いろんなからくりがある忍者屋敷。

手裏剣投げなどの体験もできます。

駅前にある松尾芭蕉

伊賀鉄道上野市駅

松本零士氏デザインの忍者列車(伊賀鉄道車両)

※〈by:photo-ac〉の注記がない写真は筆者撮影

 

伊賀上野城の公式サイトです。訪れる前に、イベント情報などをチェックしてみてくださいね。

igaueno-castle.jp

 

伊賀上野城詳細

・住所:三重県伊賀市上野丸之内106

・アクセス:伊賀鉄道伊賀線上野市駅から徒歩約8分

・営業時間:9:00〜17:00(最終入城は16:45)

・休業日:12月29日〜12月31日

 

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【参考文献】

平井聖監修『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)、石井進監修『文化財探訪クラブ6 城と城下町』(山川出版社1999年7月25日1版1刷発行)、全国城郭管理者協議会監修『復元イラストと古絵図で見る日本の名城』(碧水社 1995年4月18日第1刷発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日発行)『城 其の一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)他