日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

気ままにぶらっと城跡へ⑬芥川山城

主郭跡に設置されているパネルより

今回は、大阪府の芥川城です。

前回の気ままにぶらっと城跡へで行った飯盛城址に関連する城址ですね。

芥川山城(あくたがわさんじょう)址は大阪府高槻市にあります。

2022年5月16日に行ってきました。

三好長慶(みよし ながよし)が飯盛城に移る前に居城していた、摂津国最大にして戦国時代の典型的な山城です。

「続日本100名城」(159番)に指定されています。

また2022年6月18日の毎日新聞によると、昨年の飯盛城に続いて国の史跡に指定される予定だそうです。

別称は芥川城、原城、三好山城(みよしやまじょう)。

前回の飯盛城と同じメンバーで攻城しました。

今年になって2城目の山城探訪です。

 

   三好山山頂の芥川山城址(「天下人三好長慶の城」(飯盛山城跡国史跡指定記念事業実行委員会)より

設置されている説明パネル

芥川山城は、戦国武将の三好長慶が、永禄3年(1560)に飯盛城に移るまで住んでいた山城です。

三好長慶は、織田信長に先んじた最初の「天下人」とも言われている武将ですね。

関西で大きな力をふるっていました。

病気によって40代で死亡しますが、この人が生きていれば織田信長が天下人になれたかどうか。日本の歴史は大きく変っていたのではという人です。

 

芥川城は渓谷の観光地・摂津峡の東側にある標高約182mの三好山山頂に、主郭を中心にいくつかの曲輪を配した連郭式の山城。

東西約500m、南北約400mの近畿では有数の規模を誇る城郭で、山裾の三方を芥川が廻り、急崖の上に造られた天然の要害です。

永正13年(1516)までに摂津の守護・細川高国が築城しました。

その高国との戦いに勝利した細川晴元が次の城主となりましたが、晴元の家臣だった三好長慶は、天文18年(1549)に晴元を追放します。

同22年長慶は、自らの居城とするべく芥川山城に入城。

細川の陪臣に過ぎなかった長慶は、将軍や天皇がいる京都を制し、室町幕府13代将軍の足利義輝をも京都から追放し、政治の実権を握ります。

いわゆる「天下取り」となりました。

この山城には、長慶だけでなく、重臣松永久秀をはじめ多くの家臣も暮らしていたことが発掘調査によって明らかになっています。

芥川山城には、公家や文化人、宣教師など多くの人々が訪れ、茶会や連歌の会なども開かれていたと伝わっています。

長慶は、首都の京を含め当時「天下」と呼ばれた畿内に加え、周辺の国々をも治めた戦国時代「最初の天下人」として黄金期を迎えます。

そういった意味においても芥川山城は、三好政権が所在する「首都」ともいえる政治の中心でした。

主郭跡に設置されているパネル

長慶は永禄3年に飯盛城に移り、息子の義興(よしおき)が城主となります。

長慶は飯盛城、芥川山城、高屋城を拠点に畿内で勢力の拡大を図っていましたが、永禄7年(1564)に病気のため、わずか43歳で飯盛城内で没します。

彼の死は3年間秘されていました。

永禄11年、足利義昭を将軍として擁した織田信長は三好氏を討ち、芥川山城に入城します。

その後、義昭の家臣・和田惟政(これまさ)が城主となりますが、城代として高山右近の父・高山飛騨守を任命し、城を預けています。

惟政が高槻城へ移るとともに、高山飛騨守親子は、元亀4年(1573)、和田氏を高槻城から追放し、自らが高槻城主となります。

芥川山城は徐々にその役割を終え廃城となったとおもわれます。

飯盛城説明版

主郭跡

芥川山城は、堀切や土塁などの遺構が良く残っています。

主郭の発掘調査では、城主の居住や執務場所の「御殿」に相当する大型の礎石建物跡を1棟発見。

部屋数は4部屋以上、その周りには縁が巡らされていたこともわかっています。

遺物も約200点以上も出土しました。

戦国時代の土師器(はじき)や縁に煤がついた灯明皿や硯、茶の湯に使う天目茶碗など歴史的な価値が高いものが発見されています。

また、主郭南側の一段下の曲輪でも調査が行われ、礎石建物に加え、櫓とみられる建物も確認されたそうです。

再建された祠

朝日新聞の記事によると、江戸時代中期に再建された三好長慶を祀る祠を、地元の有志が再建したとのことです。

さらに地元の郷土史家・古藤(ことう)幸雄さんたちが、実行委員会を結成。

芥川山城までの山道などの整備を始めました。

芥川山城は、それまではほとんど顧みられることのなかった城址でした。

住民たちのそういった努力もあり、平成17年に「続日本100名城」(No159)に選定されます。

ところが、2018年9月関西に甚大な被害をもたらした台風21号は、芥川山城にも大きく影響。

木が倒れ、山道をふさぎ、祠の土台が崩れ、屋根瓦も吹き飛んでしまったのです。

これを地元の人たちが倒木を取り除き、山道を整備し、祠の再建のため寄付を募り、ようやく祠を再建しました。

そのさいには、長慶だけでなく家臣で高槻出身とされる松永久秀も合祀しました。

古藤さんたちは、「祠を通じ、三好長慶松永久秀の功績を知ってもらえれば」と期待を込めているとの新聞報道でした。

主郭からの高槻市街を眺める

摂津峡側からの芥川山城址登山口

城址を探訪したあと、摂津峡側に下山して、途中白糸の滝を見学。

高槻市駅近くにある魚のおいしい居酒屋で、反省事項のない反省会を実施しました。

 

芥川山城へは、JR高槻駅北側から市営バスの〈脇塚〉(下の口)行きで、「脇

塚」で下車。

バス停から徒歩30分ほど坂道を上ります。

途中看板はありますが、迷わないようにしてください。

なお、芥川山城址は私有地のなかにあります

整備された史跡ではありません。

地元の方々のご迷惑とならないように登城をお願いいたします

 

(写真は筆者撮影)

 

*芥川城詳細

・住所:大阪府高槻市殿町8

・アクセス:JR東海道本線高槻駅から徒歩約13分

・営業時間:24時間

・休業日:無休

 

 

 

【参考文献】

財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第1刷発行)、「三好長慶生誕500周年記念プレイベント 第36回特別展 『天下の支配者』三好殿―考古学からみた天下人三好長慶の軌跡と飯盛城―」パンフレット」(四条畷市立歴史民俗資料館 令和3(2021)年10月5日発行)、「続日本100名城 戦国最初の天下人の城 芥川山城跡」(高槻しろあと歴史館発行)、「ウイキペデイア 芥川山城」他