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今回は滋賀県です。
8月29日(2022年)、琵琶湖のほとりの観光地近江八幡にある八幡山(はちまんやま)城に、気ままにぶらっと行ってきました。
八幡山城は「続日本100名城」(第157番)に選ばれている山城です。
別称は近江八幡城、鶴翼山城(かくよくざん)城、比牟礼(ひむれ)城、八幡城。
私が初めて八幡山城を攻城したのは1999年7月20日でした。
八幡山城は、海抜283mの八幡山(鶴翼山、比牟礼山)に築城されていました。
天正13年(1585)、清洲会議のあと天下の覇者となった羽柴秀吉は、甥である18歳の秀次に八幡山城の築城に取り掛からせました。
本能寺の変のあと安土城は廃城となっていたので、残された建物の資材で八幡山城を築くとともに城下町なども近江八幡に移したのですね。
しかし、八幡山はあまりにも険しい山。
そのため秀次は中腹に居館を置きます。
屋根は金箔瓦で葺かれ、燦然と輝いていたといいます。
八幡山城の築城は、安土城や大坂城と同じく、天下に新政権の力を示すためのものでした。
わずか5年程の在城でした。
しかし文禄2年(1593)に秀吉待望の男子秀頼が生まれると、秀次は高野山へ追放されてしまいました。
文禄4年に無念のまま秀次が自刃すると八幡山城は破却。
城主だった京極高次は大津城に移っていきました。
八幡山城は山上の本丸を中心に、二の丸・北の丸・西の丸・出丸などの曲輪を置いています。
各曲輪は野面積みの総石垣で囲われていました。
おそらく天守は建造されたと思いますが、その姿は伝わっていません。
山腹の秀次の居館は直線の大手道の正面最上段にあり、桝形虎口のある防御力を備えた安土桃山風の壮麗な館だったようです。
その下に、安土城のように段上に曲輪があり家臣の館が置かれていました。
八幡山城の三方が琵琶湖の内湖や湿地帯に囲まれ、南側の八幡堀の外側に城下町が作られます。
本丸跡に村雲御所瑞龍寺(むらくもごしょ ずいりゅうじ)という門跡寺院(※)があります。
秀吉の姉であり秀次の生母・日秀尼公が、文禄5年(1596)に後陽成天皇から瑞龍寺の寺号と京都の村雲の地を賜り、秀次の菩提を弔うために創建しました。
※門跡寺院(もんぜきじいん)とは、皇族や公家が住職を務める特定の位の高い寺院のこと
町を縦12筋、横4~6筋の碁盤目状に整備し、商人、職人に無償で屋敷地を貸したそうです。
また、安土城下と同じように楽市楽座を実施して自由な商業都市として発展するようにします。
近江八幡は、近江商人発祥の地として有名ですが、その基をつくったのは秀次でした。
秀次はまた日本最古の下水道ともいわれる生活排水のための下水溝を造り、さらに飲料水に困っている地域のために、親井戸から管を使って水を供給する上水道のようなものも整備したといわれています。
商人だけではなく、庶民の生活ためにも心を配った城主だったんですね。
地元の人しか行かないような八幡山麓の八幡公園には秀次の銅像が建立されています。
秀次はわずか5年という短い期間の城主でしたが、今日でも近江八幡の開祖として市民に愛され続けていますよ。
当時「殺生関白」といわれていたようですが、作り話であることが分かりますね。
観光客で賑わう八幡堀は、八幡山城の南側に外濠として巡らされているだけでなく、琵琶湖から城下町に直接船で入ってこられる寄港地として利用されました。
琵琶湖を通る船は必ず近江八幡を経由しなければいけないこととし、税金も取ったということです。
当時の琵琶湖は物流の要でしたので、ずいぶんと賑わったことだと思います。
そのため、八幡山城が廃城となったあとも近江を代表する商業都市として発展していきます。
八幡堀は、時代劇のロケ地としても有名なところですね。
八幡堀に沿って商家の蔵が立ち並び、新町通りには商家の家並が続いています。
江戸時代末期から明治にかけて建築されたものですね。
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八幡山城とは関係ありませんが、近江八幡はウィリアム・メレル・ヴォーリズが半生を過ごした街でもあります。
ヴォーリズは、兵庫県にある神戸女学院や関西学院大学の西宮上ヶ原キャンパスデザインと、スパニッシュ・ミッションスタイルで統一した校舎を設計したことでも有名です。
写真はヴォーリズが作った近江兄弟社のメンターム資料館の前に設置されている、ウィリアム・メレリ・ヴォーリズ像。
ヴォーリズはキリスト教の布教だけでなく、メンソレータム(現メンターム)を造り広く日本に広めた実業家でもありました。
学校を造ったりしましたが、何よりも彼の名を広めたのは建築です。
教会や学校、個人の住宅などを設計し、その建物が今も各地にたくさん残っています。
近江八幡にも彼の設計した旧八幡郵便局など建造物がたくさん残っていて、観光の名所になっていますよ。
国の登録有形文化財の白雲館は、明治10年に近江商人たちが子供たちの教育の充実を図るために建てた八幡東学校でした。
その費用のほとんどが寄付で賄われたといいます。
現在は、観光案内所が併設された市民ギャラリーとして使われています。
(「by:photo-ac」のクレジットが付いていない写真は筆者撮影)
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*八幡山城詳細
・アクセス:JR琵琶湖線・近江八幡から近江バス「長命寺線」に乗り「大杉町」バス停下車、徒歩5分
・営業時間:ロープウェイの営業時間は9:00~17:00(上り最終16:30)
・休業日:なし
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【参考文献】
平井 聖監『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第1刷発行)、『城 其ノ一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、他
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