日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第92回 鳥取県 米子城

本丸の石垣  by:photo-ac

92回目になりました。

今回は、鳥取県米子城です。

鳥取城と同じく、山陰の名城と並び称される豪壮雄大米子城は、伯耆(ほうき)の府城(※)。

五重の大天守と四重の小天守が聳え立っていた、二つの天守がある城として知られています。

米子城は、「続日本100名城」(第169番)に選定されている平山城です。

国の史跡にも指定されていますよ。

別称は、湊山城(みなとやまじょう)、久米(くめ)城、飯山(いいのやま)です。

米子城へは、2000年6月4日に登城しました。

※:府城・・・国府に置かれた城郭のこと。米子城伯耆国国府のあった米子にある城、鳥取城は因幡(いなば)国の国府鳥取の城

 

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by:photo-ac

米子城の歴史は、室町時代応仁の乱(1467~77)の頃から始まります。

伯耆(ほうき)の支配者・山名宗之(やまな むねゆき)が、飯山(いいのやま)城と呼ばれた砦を築いたことがスタート。

米子は、出雲(いずも)と伯耆の境に位置する昔からの交通の要衝です。

そのため、山名(やまな)氏は出雲の京極(きょうごく)氏に備えて城を築いたといわれています。

その後の山陰を支配した安芸(あき)の毛利元就は、一族の吉川元春(きっかわ もとはる)にこの地を治めさせました。

天正19年(1591 天正10年、同16年説もある)に出雲の東半分と伯耆の西半分を領した元春の三男・広家(ひろいえ 毛利元就の孫)は、中海(なかうみ)を望む標高90mの湊山(みなとやま 飯山の隣りにある)に新たに米子城を築き始めます。

彼は本来の居城である山城の月山富田城を嫌ったそうですね。

朝鮮出兵などで工事はたびたび中断しましたが、四重の天守(のちに小天守あるいは四重櫓と呼ばれる)が築かれました。

関ヶ原の戦いの後、広家は岩国に転封されています。

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伯耆18万石の新たな領主として、駿河からわずか11歳の中村一忠(かずただ or 忠一)が入封します。

家康が後見人としてつけた横田内膳村詮(よこた ないぜん むらあき)家老のもと、中断していた築城工事を継続しました。

2年後には要害堅固な近世城郭としての米子城が完成。

五重(四重説もある)の望楼型独立式の大天守を中心に、18もの櫓と13の門を持ち、深浦から引き込んだ海水で内・外濠を巡らせ、荘大な石垣を麓まで築いた城でした。

築城時期が違う石垣がみられる   by:photo-ac

しかし慶長14年、一忠急死により中村家は断絶してしまいます。

その後加藤貞泰(さだやす)、池田光政(みつまさ)を経て、寛永9年(1632)に池田光仲(みつなか)が因幡伯耆32万石を領して鳥取城に入城します。

主席家老の荒尾成利(なりとしor しげとし)が15,000石の城代となって米子城を預かり、以後11代230年間荒尾氏の城代支配が続き明治を迎えました。

これは、藩主の居城以外の城の破却を命じた「一国一城令」の例外措置として認められたからでしょう。

すなわち、鳥取城は因幡国の府城、米子城伯耆国の府城ということでしょうか。

明治8年(1875)に城の建物は競売され、古物商山本新助が37円というとんでもない安値で買い叩き、風呂屋の薪(たきぎ)代わりに売って燃やしてしまったそうです。

たいそう燃やし甲斐があったことでしょうね。

明治維新後に、全国で単なる薪となってしまった城郭建築物のなんと多いことか。

残念でなりません。

城跡の主要部は湊山公園となり、天守台、本丸、内膳丸、二の丸と表門桝形の石垣などが残っています。

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石垣    by:photo-ac

野面積みの大天守台    by:photo-ac

幕末に補修された切込接ぎの小天守台    by:photo-ac

by:photo-ac

山頂に本丸を置き、北西峰続きの丸山に内膳丸、東の飯山に采女(うねめ)丸

という出城を築きます。

本丸は、高石垣で囲まれた天守郭、遠見郭、番所郭などから構成されていま

した。

天守郭には、五重の大天守と四重の小天守

本丸には、多聞櫓7基、二重櫓4基、櫓門が2棟、高麗門4棟が建てられていたそうです。

北側の山裾に二の丸を築いて城主の居所とし、その下に北・東を広く囲むように三の丸が配置されていました。

三の丸には重臣たちの屋敷が建てられたようですよ。

深浦から引かれた海水は内濠、外濠をめぐり中海に注いでいました。

中海に面した東側には深浦御殿という名の曲輪を築き、舟手(水軍)の施設を設置。

さらに米子城は、地形をいかした様々な防御施設もつくっていました。

北東の大きな「竪堀(たてぼり)」、北西に「登り石垣」などで、御殿のある二の丸や本丸を防御しています。

鉄門跡    by:photo-ac

水手御門跡    by:photo-ac

水手御門は、本丸のなかで中海側に張り出した郭から深浦側に下りる道に造られた門です。

城址から中海を望む  by:photo-ac

米子城天守などの建物はなくなってしまいましたが、大・小天守跡から360度のパノラマを楽しめます。

眼下に中海や米子市街、北には日本海の水平線が続き、そして東には伯耆富士大山が美しく裾を広げていますよ。

見事な絶景です。

とりわけ日本海に沈む夕日は素晴らしいと評判なので、ぜひ見に行ってください。

米子市作成の「米子城跡ガイドマップ」には「海に臨む天空の城」と書かれていました。

知らなかった!

「天空の城」が新たに発見されました。

地元ではそう言っているんですね。

天守跡から海側を見る(手前が内膳丸)     by:photo-ac

城址から米子市街を望む     by:photo-ac

城址から望む伯耆富士・大山   by:photo-ac

 

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米子市が製作した動画で、米子城を楽しめるアプリが出ています。動画の中で一部CG再現した米子城が見れますよ。

youtu.be

 

米子城詳細

・住所:鳥取県米子市西町

・アクセス:JR山陰本線米子駅から徒歩15分/登山口から山頂まで約20分

・営業時間:24時間

・休業日:年中無休

 

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【参考文献】

平井 聖監修『城 6 中国 甍きらめく西国の城塞』(毎日新聞社 平成8年11月25日発行)、日本城郭協会監修『続日本100名城 公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其の三』及び『同 解説編』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日大刷発行)、「米子城跡ガイドマップ」(米子市文化振興課)他

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