日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第77回 八王子城

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八王子城址の曳橋(ひきはし)     by:photo-ac

第77回目になりました。

今回は東京都の八王子城と参りましょう。

八王子城は、小田原の北条氏の城です。

関東進出の拠点とするべく、北条氏照(うじてる)が築いた小田原城の支城の一つで、最大規模の山城です。

八王子城が大変珍しい点は、城が完成する前に落城したためわずかの期間しか存在しなかったこと。

そのため長い間忘れられていました。

しかし近年発掘整備事業が進み、石垣で築かれた城の姿が次々と解明されつつあります。

八王子城は「日本100名城」(第22番)に選定されています。

私は2005年7月17日に登城しました。

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八王子城址要害部入り口  by:photo-ac

八王子城は、天正6年(1578)頃から北条氏照が築きつつあった山城。

場所は関東山地の東の端にある、標高470mの深沢山(ふかさわやま 城山)です。

この頃には豊臣秀吉が天下統一を目指して、従わない小田原城の北条氏を攻めようとしていました。

それまで滝山城を居城としていた氏照は、秀吉の攻撃に備え北条方の要塞として八王子城の築城を急ぎます。

しかし、城が完成する前の天正18年(1590)に、秀吉は徳川家康など20万人の大軍を率いて小田原城を包囲。

さらに、関東各地に点在する小田原城の支城をひとつずつ撃破する戦法を取り、小田原城包囲網を強力にしていきました。

こうして前田利家(としいえ)、上杉景勝(かげかつ)らの率いる北国勢2万の軍勢が八王子城に迫ります。

城主の氏照はこのとき小田原城に参陣していて留守。城には数千の城兵しかおらず、奮戦むなしく一日で落城してしまったのです。

重鎮である北条氏照が築いた八王子城が落城したことが、小田原城の開城を促す一因となったのではないかと言われています。

籠城中の北条方に動揺を招いたのですね。

秀吉から主戦派と思われていた氏照は、兄・氏政とともに切腹を命じられ、小田原城下で自刃しています。

小田原城開城後は、秀吉の国替えにより徳川家康の領有となり、八王子城は廃城、八王子周辺は家康の直轄地となりました。

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八王子城御主殿虎口    by:photo-ac

八王子城は未完成のままで落城、そして廃城となったので、縄張りなどわからないことが多い城郭です。

城域は、南北1キロ、東西1.5キロにもおよぶ戦国時代最後の大規模な山城だったと考えられています。

多くの曲輪や堀切、石積などの痕跡が残っていますよ。

八王子城は、以下3つのパートから成り立っています。

・急峻な地形を利用した山頂の本丸と何段もの曲輪が配置された要害地区

・山腹の御主殿を中心とする居館地区

・麓の外郭の防御施設

また、近くに家臣団の屋敷を設けていました。

氏照は通常、本丸のある山頂ではなく、麓の谷川の左岸に土塁で囲んだ居館(御主殿)を建てて生活していました。

↓↓の図は、八王子城跡オフィシャルガイドの会様のHPよりお借りした鳥瞰図です。

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出典:八王子城跡公式ガイド:オフィシャルガイドの会HP八王子城跡トピックス

 

八王子城を東南方面の上空から見たと想定したときの図で、全体像が国土地理院の赤色立体地図に一致していること、堀切は描かれていないことなどが記述されていました。

この鳥瞰図はこれからさらにブラッシュアップしていく予定とのことですので、あくまでも参考としてご覧ください。

 

平成元年から3年にかけて、城主の居館跡への通路形態の再現を目指して発掘調査を実施。

発掘調査の結果を踏まえ、幅約5mのみごとな石敷の通路や虎口の階段や石垣を、当時の技術を使って復元しています。

また、古道から御主殿へ渡るために城山川に架かる曳橋(ひきはし)が推定復元されています。

曳橋は、資料がほとんどないため、築城当時の構造については諸説があります。

敵の侵入時に板を外せる構造だったのではないかとか、橋桁ごとスライドする構造だったのではないかとかです。

位置も築城当時とは異なっているようです。

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城山川に架かる曳橋  by:photo-ac

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 虎口の冠木門    by:photo-ac

山麓の御主殿への入り口にある冠木門と板塀も復元されています。

平成3年からは御主殿内部の全面調査が実施されました。

その結果、大型の礎石建物跡や通路、水路、庭園跡などがみつかっています。

主殿と会所と推定される建物跡からは瓦が一点も発見されていないので、板葺き屋根だった考えられています。

出土品では陶磁器類がほとんどですが、わが国では初めてのベネチア産のガラスが出土され、北条氏照の生活ぶりや経済力が偲ばれます。

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山頂本丸跡     by:photo-ac

山頂部にある本丸跡に、八王子神社と「八王子城本丸址」と刻まれた石碑が建てられています。

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八王子城址からの眺め  by:photo-ac

 

【1泊2日の神奈川県・東京都5城址巡り】

2005年7月16日から、1泊で神奈川県と東京都の城址巡りをしました。

16日は石垣山城址をまず探訪。

ここは小田原城攻めのために秀吉が築城した「太閤の一夜城」と呼ばれるものです。

ここで秀吉は小田原城を見ながら家康と連れしょんべんをし、家康に関東移封の話をしたことは有名ですね。

次に津久井城址(神奈川県)へ。

山頂の本丸址に行くのに大変苦労して、途中で止めようと思った城址です。

この時は午後の3時過ぎに上りはじめ、なかなか城址が見つからないし、暗くなってきて心細くなりました。

ようやく石垣を見つけた時はほっとした記憶があります。

この経験から、山城には出来るだけ午前中に行くこと、麓でタクシーの運転手さんに、3時間経っても帰ってこないときは警察に連絡してもらうようにお願いをしてから探訪するようになりました。

低い山城と思って侮ってはいけないことを思い知った次第です。

17日は城址公園となっている片倉城(東京都)を訪れ、その後八王子城(東京都)を探訪しました。

ハイキングする人たちと一緒に山頂の本丸跡に上りました。

最後に滝山城へ。

都立滝山自然公園となっていて、石碑と説明版が設置されていました。

ほとんど遺構らしいものがない城址探訪の2日間でしたが、神奈川県の山城と東京都の城址を興味深く尋ね歩きました。

良い思い出です。

 

八王子城詳細

・住所:東京都八王子市元八王子町3

・アクセス:JR中央線高尾駅、北口1番バス停より、西東京バス「高尾の森わくわくビレッジ」「宝生寺団地」「恩方車庫」「大久保」「陣馬高原下」「グリーンタウン高尾」「美山町」行きで、バス停「霊園前」下車、徒歩約15分

・営業時間:24時間

・休業日:年中無休

 

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【参考文献】

平井 聖監修『城 2 関東 もののふ集う東国の城』(毎日新聞社 平成9年2月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、『城 其ノ二』および『城 解説編』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)他

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