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かるーいお城の雑学(その6)安土城天主の謎

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安土城址   by:photo-ac

日本全国にあるお城。

見ていく中で「ん?」と感じたことを書いていく「かるーいお城の雑学」その6です!

今回は天守建築の始まりの謎について書いていきますね。

今までの記事1~5については最下部にリンクをのせますので、ぜひそちらも読んでいただければ嬉しいです。

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安土城大手道(筆者撮影)

近世城郭の天守建築の初めは、安土城天主(安土城での表記)だと言われています

安土城は、織田信長天正7年(1579)に近江安土山の山上に築いた5重6階地下1階建てのお城。

安土城天主は豪華絢爛で、信長の天下統一のシンボルとなりました。

戦国時代の終わりを告げるもので、新しい城郭建築の始まりを告げたのです。

今回はこの安土城天主の謎について紹介します。

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JR安土駅前の織田信長像(筆者撮影)

JR安土駅前にある安土町立城郭資料館に、安土城の模型が展示されています。

その模型では地下一階から三階までが吹抜けになっていて、中央に宝塔が設置されています。

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安土町立城郭資料館に展示されている模型の内部(筆者撮影)

この模型を監修された内藤昌氏は、資料館のパンフレットに

「宝塔は、法華経にいう宇宙の中枢=須弥山の表現で、この安土城天主を天下の中枢と考え、その天下統一のシンボルとしたわけである。」と書いています。

「かるーいお城の雑学(その4)―天守の謎―」で紹介した「天守の呼び名のルーツ B)仏教宇宙世界の中心説」ですね。

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復元された天主最上階   by:photo-ac

さらに内藤昌氏は、次のように述べています。

5階は、対辺間距離5間の正八角形の平面で、柱や天井はすべて朱で塗られ、ちょうど法隆寺の夢殿のような建築構成になっている。

そこには、昇り龍や降り龍を彫刻して、地獄から天国にいたる仏教的宇宙観を示している。外陣に面して地獄絵を描き、内陣には釈門十六弟子図、釈迦成道説法図があり、さらに天井には天人影向図を極彩色で飾っている。

これをうけての最上階(石垣上6階) は、3間四方のさらに豪壮華麗な意匠である。金閣のごとく金色でまばゆいばかりの室内に、中国創世記の帝王=三皇・五帝、それに老子孔子の像や商山四晧・七賢図など、道教儒教で説く治国平天下の思想を表した金碧障壁画が狩野永徳の豪筆よって描かれている。

以上の5・6階にみる建築意匠は、終局には日本の宗教・思想を統一した『天道思想』を表現したものである。

出典:安土城資料館パンフレット

また「安土城天主 信長の館」のパンフレットには、「天主5階は仏教の世界観による理想郷を象徴しています。」と書かれています。

これは同じく軽いお城雑学(4)で書いた、「天守の呼び名ルーツ C」儒教思想の天主説」と言えるでしょう。

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安土城天主 信長の館」パンフレットより

しかし、安土城築城に関しても諸説があり、内藤氏とは違う説を唱える学者もいるようです。

安土城の設計・施工を担当したのは、室町時代の御大工(筆頭建築家)尾張熱田社出身の岡部又右衛門です。

2009年に公開された山本兼一の小説『火天の城』(文春文庫2004年)が原作の映画では、信長の前で二人の城大工がプレゼンをします。

西田敏行が演じる岡部又右衛門は、もう一人の城大工がプレゼンした雛形に対して、

「この宝塔のある天守は中が空洞のため、火事の時には煙突の役割をしてあっと言う間に炎上する」

と言上し、実際に天守の雛型に火をつけます。

あっという間に燃え尽きた雛型を見て、信長は岡部又右衛門の普通の天守プランを採用したという内容でした。

安土城天主が建てられた天守台を発掘調査した結果、地面の中央に礎石はなかったと報告されているという記事を読んだ記憶があります。

もしそうであれば、安土町立城郭史料館に展示されている模型のように中に宝塔が置かれていたと考えるべきでしょう。

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天主台址   by:photo-ac

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安土城天主台跡説明板  by:photo-ac

いずれにしても安土城天主が、JR安土駅前にある資料館や「安土城天主 信長の館」に展示されているような建築物だった場合、それは空前絶後の特異な外観と、ある思想に基づいて内部が装飾された天守建築物だったと言えるでしょう。

秀吉も豪華絢爛に装飾された内部と外観を持つ天守をいくつも築城していますが、信長の安土城のほどの思想性はないと思います。

それほど安土城天主は、天守建築としても特異な、後世誰も真似をすることの出来なかった城であり天守だったのです。

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【参考文献】

安土町立城郭資料館パンフレット、「安土城天主 信長の館」パンフレット、三浦正幸監修『【決定版】図説・城造りのすべて』(学習研究社 2006年12月1日第1刷発行)、井上宗和『日本の城の基礎知識』(雄山閣 平成3年7月5日再版)、『日本城郭大事典』(新人物往来社 1997年6月27日発行)他

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