第144回は、福岡県秋月城の紹介です。
秋月藩は、初代福岡藩主・黒田長政の三男である長興(ながおき)が、長政の遺言により元和9年(1623)に5万石が分封されて出来た福岡藩の支藩です。
城主格の大名ですが、秋月城は天守建築のない陣屋造りの城でした。
別称は、杉本城です。
2001年2月10日に登城しました。
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秋月城は、建仁3年(1203)に鎌倉幕府から秋月荘を与えられた原田種雄(たねかつ)が、古処(こしょ)山上に築いた「杉本城」が始まりといわれています。
それ以後、城主は秋月氏を名乗り、17代約400年の間杉本城を本拠として、この地方を治めました。
薩摩の島津方の秋月氏は、天正15年(1587)に九州平定を目指す豊臣秀吉軍に敗れ、日向財部(たからべ 現・高鍋)に移されます。
このとき、秋月種実(たねざね)は、秀吉に天下の名茶器「楢柴(ならしば)の肩衝(かたつき)」を献上し、命が助かったと伝わっています。
2代藩主の忠之(ただゆき)のとき、父・長政の遺言により、弟の長興が秋月に5万石で入封。
福岡城黒田藩の支藩ではありましたが、徳川幕府から直接朱印状を与えられる独立支藩でした。
以後黒田氏12代で明治を迎えています。
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しかし本藩の福岡城は天守がない城郭であったためか、天守建築物のない陣屋造りの城館を築きます。
筑紫山地の連峰に囲まれた、盆地の秋月を城地に選びました。
中世に秋月氏の城があった古処山麓に、野鳥川を天然の外濠として取り込み、藩主の居館を建て、周囲に武家屋敷と町家を置いた総郭型の城下町を作っています。
館の前面には石垣と堀が設けられ、二段になった石垣の隅には二重櫓が五基設けられていて、陣屋といいながら威容を誇る城館だったようです。
正面の瓦坂から入り、右折すると表門である黒門があったようなので、おそらく桝形が造られていた防御力のあると門だったと考えられます。
秋月城の奥御殿の門として嘉永3年(1850)に造られた秋月城長屋門が、遺構として石垣、堀などとともに残っています。
陣屋内にある八幡社に、秋月藩祖黒田長興を祀る垂裕(すいゆう)神社(祖霊廟)を合祀しています。
城館の表門が、現在垂裕神社の神門として移築されています。
この城門は、秋月氏の居城である杉本城の搦手門(からめてもん)を移築したものと伝わっています。
切妻造りの薬医門ですね。
秋月城跡は、現在秋月中学校と垂裕神社になっています。
秋月は、こじんまりとしていますが、「筑前の小京都」といわれ、情緒ある町並みが残っています。
国の重要伝統的建造物群保存地区にも指定されていますよ。
堀前の桜の馬場や秋月城下町入口にある眼鏡橋など、見どころの多い観光地としても有名ですので、是非一度訪れてみてください。
*秋月城詳細
・住所:福岡県朝倉市秋月野鳥
・アクセス:甘木鉄道・甘木駅または西鉄甘木線甘木駅で下車、西鉄甘木駅バス停から甘木観光バスの秋月方面「野鳥」または「だんごあん」行きに乗車「博物館前」で下車、徒歩6分
・営業時間:24時間
・休業日:無休
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【参考文献】
平井 聖監修『城 8 九州 沖縄 火燃ゆる強者どもの城』(毎日新聞社 平成8年10月25日発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ三』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)他
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