気ままにぶらっと城跡への第22回目は、筆者花ちゃんの大好きな、黒田官兵衛ゆかりの御着城(ごちゃくじょう)です。
JR姫路駅の二つ大阪寄りの御着駅から徒歩15分位のところにあります。
2023年3月17日に再攻城してきました。
御着城は、「日本100名城」にも「続日本100名城」にも選ばれてはいませんし、最近までは御着城の存在さえも知らない人がほとんどだったのではないでしょうか。
2014年に放映されたNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」で、やっと知られるようになったのだと思います。
御着城は、三木氏の居城・英賀(あが)城と別所氏が城主の三木城とともに播磨三大城と言われていました。
私は、2007年3月16日に英賀城と御着城を探訪しました。
別称は茶臼山(ちゃうすやま)城と、天川(てんかわ)城です。
▼▼関連記事 播磨三大城のひとつ、三木城の記事。
御着城は、播磨国の守護・赤松氏の家臣である小寺政隆が、永正16年(1519)に築城した小寺氏の居城で平城です。
赤松氏の守護所として機能していた城郭でした。
官兵衛は小寺氏の家臣でしたが、天下を取る武将は織田信長と思ったのですね。
そのため、天正3年(1575)7月に岐阜城の織田信長に拝謁。
信長は官兵衛が述べた戦略案に上機嫌となり、官兵衛に愛蔵の「圧切(へしきり)長谷部」という太刀を与えています。
官兵衛は、主君である小寺氏に織田方につくべきことを進言しましたが、小寺氏は反対。
官兵衛は御着城の支城である姫路城主でしたが小寺氏から離れ、羽柴秀吉の中国攻めに際して自分の居城・姫路城を秀吉に献上、それ以後秀吉の軍師として活躍します。
小寺氏は、天正7年(1579)に羽柴秀吉の播磨攻めで滅亡しました。
上の説明板によると、御着城は本丸と二の丸の二つの曲輪からなる城郭でした。
西と南側を天川を利用した二重の濠で、北と東側は四重の濠で囲まれた堅固な城だったようですね。
また、外郭部に武家屋敷や商人町が置かれていました。
御着城の遺構は、残念のことにまったく残っていません。
本丸跡には、二重の建物の上に望楼部を載せ、公園側だけ格子窓のある城郭風の建物が建てられています。
これは姫路市東出張所です。
前の広場(伝本丸跡)は御着城跡公園で、出張所の裏に石造りの大川橋が移築復元されています。
以下の記事も参照ください。
平成26年11月に、姫路グリーンライオンズクラブがCN33周年記念事業として二の丸跡に設置・寄贈した石碑です。
御着城跡グランド(伝二ノ丸)の隅にありました。
(写真は筆者撮影)
*御着城詳細
・営業時間:模擬天守(出張所)内の見学は8時35分~17時20分
・休業日:なし
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