日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第99回 鹿児島城

鹿児島城(御楼門が復元される前の姿) by:photo-ac

99回目になりました。

今回は鹿児島県の鹿児島城です。

鹿児島城は、大大名島津氏77万石の居城。

しかし、天守や重層の櫓などが全くない大変質素な城でした。

中世の城館のような城ですね。

戦国時代から明治に至るまで、ずっと代わることのない島津氏の本城です。

日本100名城」(第97番)に選定されている平城で、別称は鶴丸(つるまる)城、御館(おやかた)。

私は、2000年5月24日に登城しました。

復元された御楼門    by:photo-ac

鹿児島城は、標高107mの城山(しろやま)東麓に築かれています。

島津氏の祖は島津忠久(ただひさ)です。

源頼朝(みなもと よりとも)に、薩摩・大隅おおすみ)・日向(ひゅうが)の三国の守護に任じられた武将ですね。

忠久ははじめ出水郡山門院に木牟礼(きむれ)城を築き、南九州統治の拠点としました。

その後、島津氏は、本城をいくつか変えています。

ちなみに島津氏が天文4年(1535)に落城させた上山(うえやま)城が、鹿児島城の「山城」の部分です。

戦国大名島津義弘(よしひろ)は関ヶ原の戦いで西軍として参戦していましたが、戦後、徳川家康によって改易されることもなく、薩摩・大隅の領地はそのままでした。

伊集院駅前の島津義弘像      by:photo-ac

義弘の嫡男・家久(いえひさ)は、新たに近世城郭としての「平城」である鹿児島城の築城をはじめます。

慶長6年(1601)のことで、場所は錦江湾を望む城山の東麓の現在地です。

屋形の形が鶴が翼を広げたように見えていたことから、鶴丸城と通称されていました。

約10年の歳月をかけて完成した鹿児島城は、中世の館造り。

詰めの城として城山を背にしていました。

有事の要害としては、城山にある上山城を利用したようです。

鹿児島城は、元禄9年(1696)に大火に見舞われ多くの建物が焼失。

やがて再建されましたが、明治6年(1873)に再び焼失してしまいます。

 

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詰めの城・鹿児島城の縄張りは単純で、本丸と二の丸が連郭式並ぶだけ。

立派な櫓門以外には天守も重層の隅櫓もないし、高石垣もない小規模な城郭でした。

濠もわずかに一重だけで、それも本丸をⅬ字形で囲んだだけです。

本丸には政庁と藩主の居館、表書院などを設置。

それらは一部瓦葺きの檜皮葺きで平屋建てです。

正面のほぼ中央に内桝形の大手門が設けられ、御楼門(表御門)と呼ばれていました。

北側には北御門があり、石垣の上には単層の隅櫓や兵具所多聞櫓、長屋が建てられていたようです。

御楼門と兵具所多聞櫓の古写真(『城 8 九州 沖縄』より)

復元された御楼門  by:photo-ac

左から隅櫓、塀、御楼門、兵具所多聞櫓の古写真(『城 8 九州 沖縄』より)

島津氏は77万石の国主の大大名です。

しかし、その立場にふさわしい天守をもつ大城郭をあえて造りませんでした。

徳川幕府に不要な警戒心を持たれないようにということがあったようですね。

とは言え、それだけではありません。

島津義久は、「鹿児島は城をもって城とせず、人をもって城となす」と常々言っていたといわれています。

これは武田信玄が「人は城」と言っていたのと同じですね。

島津氏は、戦国時代から居城の鹿児島城を「御内」と呼ばれた内城とし、都城、出水城、知覧城をはじめ多くの「外城(とじょう)」、後には「麓(ふもと)」と呼ばれる軍事拠点を領内に100ヶ所以上温存していました

それらの外城は、地域の軍事上の拠点であったと同時に、その地域の統治、行政の拠点でした。

それぞれの外城が、外敵と戦って領内への侵入を防ぐ役割を担っていたのです。

島津藩は平時にも、半農の武士を常駐させる薩摩藩独特の兵制「外城制」という郷士制度を取っていました。

島津氏は、この外城制によって国全体を武装化

そのため、本城である鹿児島城は、城としての防御力を高める必要がなかったのですね。

銃痕の跡の残る石垣    by:photo-ac

銃痕の跡の残る石垣    by:photo-ac

鹿児島城が本格的な戦闘の場となったのは、下野した西郷隆盛たちが明治政府軍と戦った明治10年(1877)の西南戦争のときでした。

戦いに敗れた西郷軍は鹿児島城の城山に拠って政府軍と最後の戦いをしますが、城は陥落。

西郷らは自刃し、戦いは終わりました。

石垣に残る無数の弾痕が、そのときの激戦を物語っていますね。

鹿児島城二の丸跡に立つ西郷隆盛像  by:photo-ac

写真は、鹿児島県出身の彫刻家・安藤照が昭和12年(1937)に造った西郷隆盛像です。

東京上野公園の愛犬を連れた着流し姿の西郷像と違って、陸軍大将の正装で直立不動の姿ですね。

これは、明治新政府と戦った西郷隆盛の名誉回復を願う鹿児島県人の願いの現れではないかな、そう私は思っています。

御楼門  by:photo-ac

古写真などをもとにして復元され、令和2年(2020)4月11日に一般公開が始まった復元御楼門です。

かつての大手門ですね。

門の内部は桝形を形作っています。

隅が削られた鬼門除けの石垣  by:photo-ac

本丸をⅬ字形に廻る石垣は、切込接ぎの美しい石垣です。

写真は本丸北東の隅石。

こちらは鬼門除けとして、窪ませた形(隅欠け技法)となっています。

是非見ておきたいところですね。

また、石垣には排水用の樋門が設けられていますよ。

水濠に植えられた蓮   by:photo-ac

 

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明治4年に鹿児島城は廃城となりますが、本丸跡には熊本鎮台第二分営が置かれました。

明治6年に本丸の建物が焼失。

西郷隆盛の下野に不満をもつ兵士の放火と言われています。

この火災を契機に鹿児島城内の第二分営は廃止されました。

出丸跡に西郷隆盛が造った私立学校址  by:photo-ac

七高生久遠の像   by:photo-ac

明治34年(1901)には、後の鹿児島大学となる第七高等学校造士館が本丸跡に建設されました。

鹿児島大学は昭和49年(1974)に城外に移転しています。

現在は、鹿児島県歴史資料センター黎明(れいめい)館、二の丸跡には県立図書館、市立美術館、県立博物館があります。

仙厳園からみた桜島    by:photo-ac

島津家の別邸「仙厳園」は、島津氏19代の光久によって建設されました。

日本を代表する大名庭園世界文化遺産です。

錦江湾を隔てて桜島を借景とした庭園で、国の名勝にも指定されています。

別名は磯庭園。

鹿児島を代表する観光地です。

 

【1泊2日の鹿児島と宮崎県4城址巡り

2000年5月24日のことです。

もう20年以上も前の話になるのですね~!

私は鹿児島市出張のついでに、1泊2日で鹿児島と宮崎県の4城址巡りを楽しみました。

24日は飛行機で鹿児島に入り、夕方の仕事の開始時間より数時間早く鹿児島市内に到着。

以前にも登城はしていたのですが、ゆっくりと鹿児島城を探訪しました。

翌日はうっかり寝過ごして(前の晩の飲みすぎのため)、予定していた宮崎行の特急に乗り遅れてしまいました。←飲みすぎダメ

やむを得ず、鹿児島駅前からタクシーで向かうことにして、まず行ったのは綾城(あやじょう)です。

三重三階の木造で、戦国時代初期の城楼建築物として昭和60年(1985)に建造されました。

綾城  by:photo-ac

二階建ての上に小さな望楼部を載せただけの、破風などの飾りのない古式の天守の姿です。

続いて飫肥城を攻城。

飫肥城は「日本100名城」第96番に選定されている城跡ですね。

再建された大手櫓門や松尾の丸石垣が残っている良い城址でした。

飫肥城大手櫓門   by:photo-ac

飫肥城を探訪後、タクシーで宮崎空港に向かっている途中で、偶然山上に天守が見えました。

そんなところに天守のある城郭はないはずだと思ったのですが、せっかく来たことだしと運転手さんに寄り道してもらいました。

行ってみると、三重の立派な天守がありました。

正体は、「天ケ城(あまがじょう)歴史民俗資料館」でした。

周辺は天ケ城公園で、桜の名所です。

中世の山城があった所に歴史民俗資料館を天守風に建造したもので、いわゆる模擬天守ですね。

1600年に島津義弘が天ケ城と命名したそうです。

1615年に一国一城令により廃城となっています。

鹿児島駅前から宮崎空港までのタクシーは少し贅沢でしたが、タクシーで行ったからこそ綾城飫肥城、そして偶然見つけた天ケ城と3つの城を攻城できたので、納得して宮崎空港から帰阪しました。(昔から金を湯水のごとく使う父でした)

天ケ城   by:photo-ac

 

*鹿児島城詳細

・住所:鹿児島県鹿児島市城山町7-2

・アクセス:JR日豊本線・鹿児島駅から徒歩約12分

・営業時間:24時間

・休業日:なし

 

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【参考文献】

平井 聖監修『城 8 九州 沖縄 火燃ゆる強者どもの城』(毎日新聞社 平成8年10月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、『城と城下町 西の旅』 (日本通信教育連盟)、『城 其ノ三』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日第1刷発行)、中山良昭編著『もう一度学びたい日本の城』(西東社 2007年7月15日発行)他

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