日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第33回 伊予大洲城

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愛媛県 伊予大洲城 by:photo-ac

33回目、愛媛県伊予大洲城です!

平山城で、別称は大津城、地蔵獄(じぞうがたけ)城、比志(ひじ)城、亀の城など。

2006年に「日本100名城」(第82番)に選定されています。

別称が、とても面白いですよね。亀の城???

 

大洲城があるのは肱川のほとりです。

もともと大津と呼ばれたこの地に初めて城が築かれたのは、南北朝時代の宇都宮豊房(とよふさ)によるものとか。

宇都宮氏は8代で滅び、豊臣秀吉の四国平定後は戸田勝隆(かつたか)、藤堂高虎脇坂安治(やすはる)と次々と城主が変わり近世城郭に整備され、天守は脇坂氏が建造したのではないかと推測されます。

その後元和3年(1617)の加藤貞泰(さだやす)が伯耆米子より6万石で入封。

そのときに地名を大津から大洲に改めたようです。

貞泰により城と城下町が経営され、加藤氏の世襲が続き13代250年の居城として明治維新を迎えます。

遺構としては本丸にある高欄櫓と台所櫓、肱川に面した二の丸東側に位置した苧綿(おわた)櫓と三の丸(現在は大洲高校のキャンパス)にある南隅櫓の四基です。

いずれも国の重要文化財に指定されていますよ。

 

私の、大洲城への初めての登城は1996年7月15日のこと。

勤続20年で与えられた特別休暇で、徳島市から瀬戸内周りで四国を一周しての城巡りでした。

13日徳島城址、14日は丸亀城川之江城模擬天守、15日は大洲城址。

16日に宇和島城、17日高知県の中村城模擬天守、18日徳島県の日和佐城模擬天守と6日間に7城を探訪しました。

楽しい初めての城巡りの旅の途中でした。

そのときはまだ天守が復元されておらず、雑草の多い、どちらかと言えばほったらかしにされた城址でしたね。昔は整備されていない城址が多かったですよねー。

そして2006年12月1日に、復元された大洲城に改めて登城です。

新しい天守が遺構の二つの櫓と連結され立派になり、周辺も整備されていました✨

良かった良かった!!

比志城という別称と肱川という川の名前にまつわる、築城の際の人柱の悲しい話が伝えられていますが、ここでは省きます。

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肱川大洲城   by:photo-ac

 

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大洲城は、肱川沿いの地蔵ケ獄と呼ばれる高さ20m程の丘の上に築かれています。

山上を削平して本丸を置き、主に西と南に二の丸、三の丸を配した梯郭式の平山城です。

二の丸と三の丸の間に濠を巡らせ、外濠に肱川を利用しています。

平成16年(2004)、大洲市市制50周年記念に古写真や天守雛型などを基に、天守が木造再建されました。

本格的な完全木造による天守の再建で、現在もっとも新しい木造の天守建築です。

本丸に残っていた小天守の二重二階の台所櫓と、高欄櫓を渡櫓で連結した四重四階の層塔型連結式天守ですね。

普通、天守は三重とか五重なので、四重の天守、それも層塔型天守は結構珍しいものです。

外壁は白漆喰塗籠で下見板張りを施し、比翼千鳥破風と千鳥破風を交互に置き、三重目には唐破風をおいています。

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伊予大洲城連結天守     by:photo-ac

天守や二つの櫓の本丸側は白漆喰塗籠。

そして下見板張りは天守と台所櫓のサイドの一重目の下の部分、さらに高欄櫓の隅の石落としの部分のみです。

高欄櫓は名前の由来となる高欄が外側部分に巡らせています。

天守から左側は重厚な姿をみせ、右側は白く、こじんまりした高欄櫓の二重目の軒唐破風と高欄によって優美な姿になっていますよね。

これは外からの見栄えを考えた意匠でしょう。外見大事!!

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打込接の石垣上の天守と高欄櫓(右)by:photo-ac

水に恵まれた大洲ですが、肱川は時に洪水を起こし、城下の人々の生活を脅かしていました。

元禄元年(1688)から170年余の間に、100回以上の被害が藩主「加藤家年譜」には記録されているとのことです。

江戸時代、大洲城とその城下町の歴史は、一面では洪水の歴史であったともいえます。

数年前も大雨で肱川が氾濫して、大洲の街に多くの被害が出たことは記憶に新しいですね。

ちなみにこの天守文化財指定を受けていないため、宿泊可能です。

大阪市のバリューマネジメント社が大洲城伊予銀行など複数の協力を経て、年間で30日までお城での宿泊を受け付けていますよ。

いつもと違う旅行経験がしたいという方は、お城に泊まってみると面白いかもしれませんね。

 

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大洲の城下町には、NHKの朝のドラマ「おはなはん」の舞台となった、明治時代に戻ったような建物が続く「おはなはん通り」があります。

そして肱川流域随一の景勝地臥龍淵に明治の貿易商・河内寅次郎氏が京都や神戸の名工を呼び寄せ、十余年の歳月をかけて建てた「臥龍山荘」。

肱川を借景とした庭と茶室をもち、日本建築の伝統美が集約されています。

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臥龍山荘 by:photo-ac

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臥龍山荘前庭と肱川

大洲城探訪のあと松山に帰るのならば、是非JR予讃線の「愛ある伊予灘線」の普通列車に乗車してください。

今や日本一有名な海の見える「下灘(しもなだ)」駅があります。

ここは青春18きっぷのポスターになったり、「フーテンの寅さん」のロケ地となったり、数々の映画やドラマのロケに使われていますよね。

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JR予讃線「愛ある伊予灘線」下灘駅 夕景 by:photo-ac

夕焼けの美しく見える、海のすぐ前の無人駅です。

この「愛ある伊予灘線」は海沿いを走り景色が大変良いため、鉄道ファンには有名な線ですよ。

ただ、便数が少ないのが難点。

午後に伊予大洲駅発松山行きは12時18分、15時35分と17時07分発の3本しかありません。

その間の松山行きは内子経由となります。

途中下車するのは難しいのですが(かなりの覚悟が必要)、きっと楽しめると思いますよ。

 

こちらも、公式サイトを発見しましたので載せておきますね。ぜひご覧ください。

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伊予大洲城詳細

・住所:愛媛県大洲市大洲900

・アクセス:伊予大洲駅から車で5分・徒歩20分

・営業時間:9:00~17:00

・休業日:12月29日〜31日

 

 

【参考文献】

平井 聖監修『7 四国 黒潮寄せる南海の城』(毎日新聞社 平成9年1月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中井均監修『超雑学 読んだら話したくなる 日本の城』(日本実業出版社 2010年6月20日発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)『城 解説編』(日本通信教育連盟)他