日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第58回 郡上八幡城

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58回目になりました。

今回は岐阜県郡上八幡城ですね。

この城は丹波竹田城と同じように「天空の城」と言われています。

城下町から眺めた郡上八幡城の姿は美しいです。

山城で、別称は積翠(せきすい)

「続日本100名城」(第141番)に選定されています。

▶関連記事:天空の城と呼ばれる兵庫県竹田城

町の北東に聳える標高350mの八幡山上に築かれた、郡上八幡城。

南を吉田川、西を小駄良(こだら)川に挟まれた天然の要害です。

実は、郡上八幡城は日本最古の木造による再建城なのです。

昭和8年(1933)に天守、隅櫓、土塀が再建されました。

私が郡上八幡城に登城したのは2000年4月29日です。

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八幡山上の郡上八幡城   by:photo-ac

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郡上八幡城  by:photo-ac

長良川の上流奥美濃の山間にひっそりたたずむ郡上八幡は、古くから美濃と飛騨を結ぶ要衝の地でした。

郡上に初めて城が築かれたのは鎌倉時代のことです。

下総(しもふさ)を地盤とする千葉氏の一族、東胤頼(とうの たねより)が郡山山田庄の地頭となり、阿千葉(あちば)城を築いたのが始まりと言われています。

永禄2年(1559)に遠藤盛数(もりかず)が東殿山(ひがしとのやま)城を奪い、340年間郡山を治めていた東氏を攻め滅ぼします。

盛数は新たに八幡山に築城しますが、その子・慶隆(よしたか)は天正16年(1588)に豊臣秀吉によって城を取り上げられます。

代わって秀吉の家臣・稲葉貞通(さだみち)が入城。

城の大改築をして、いわゆる平山城として縄張りを一新しました。

関ヶ原の戦いで西軍に属した貞通は、敗戦のあと豊後臼杵(ぶんごうすき)へ移されます。

一方、遊軍として東軍に参加した前城主の遠藤慶隆は、27,000石をもらい再び八幡城に帰りました。

3代目城主・常友(つねとも)は、幕府の許可を受けて寛文7年(1667)に八幡城の大修築を実施。

近郷の寺院を集めて城下を拡張・整備し、「城主格」から城を持つことを認められる「城主」の称を正式に許されたのです。

以後、城主は井上氏、金森氏に代わり、宝暦9年(1759)に青山幸道(よしみち)が48,000石で入部、7代続いて幕末を迎えました。

 

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郡上八幡城は当初山頂に天守丸を置き、麓の二の丸に居館がありました。

典型的な中世の山城です。

稲葉氏の修築後、麓の二の丸を本丸とし、そこに御殿、政庁などの建物を設置しました。

山上の天守丸は詰めの城となり、近世の平山城の城郭と変化を遂げたのですね。

昭和8年(1933)に野面積みの天守台に再建された天守は、四重五階層塔型複合式模擬天守です。

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模擬天守    by:photo-ac

大垣城を模して観光用に建てられたそうです。

一重目に比翼千鳥破風、二重目に大きな千鳥破風のある白漆喰総塗籠のいかにも天守らしい天守です。

内部は資料館で、関ヶ原の戦いなどのご褒美として家康からもらったもの、青山家の家宝である「金の弩標(どひょう)※」など青山家伝来のものを展示していますよ。

※弩標:馬の首に付ける弓具(弩標)を飾り物に仕立てたもので、行列の先頭に用いられた馬印。

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石垣   by:photo-ac

山頂部の松の丸西側にある野面積みの古い高石垣です。

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山内一豊と妻千代の像    by:photo-ac

内助の功」で有名な山内一豊の妻・千代は、弘治2年(1556)に初代の郡上八幡城主である遠藤盛数の長女として生まれたという説があります。

そのため、郡上八幡城本丸跡に一豊と千代の像が建立されているのですね。

内助の功

千代は6歳の時に父が病死、母はその後再婚、義父の敗北そして流浪と波乱の人生を送りますが、やがて尾張山内一豊と結婚します。

山内一豊にはお金がなく「馬揃え」の馬を買えなくて困っていました。

そのとき、千代が夫に10両を渡します。

つつましい暮らしをしていたため、一豊はどこからそんなお金をと驚きますが、一大事のときに使うようにと父母から渡されていた、今がそのときですと千代は返答。

一豊はその10両で駿馬を購入し、それが信長の目に止まって出世の糸口となりました。

そして関ヶ原の戦いが始まる少し前、大坂にいた千代は、大坂方の情報を2回にわたり夫一豊を通じて家康に送ります。

一回目は使者の傘の紐に密書を編み込んで一豊に渡した話も有名ですね。

高知城にも千代と駿馬の像があるのですが、一豊は何故かいません…。

高知城の回はこちら

 

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天守から城下町を望む  by:photo-ac

天守最上階に上れば、重なり合うような奥美濃の山々のうねり、狭い盆地にびっしりと軒を連ねる城下の家並が見事な眺めです。

春は桜、夏は涼しい風を受けながら東殿山の連峰を仰ぎ、秋には紅葉が美しい。

また雪の八幡城も格別ですよ。

 

郡上八幡城のサイトを発見しました。ぜひ訪問してみてください。

castle.gujohachiman.com

 

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やなか水のこみち   by:photo-ac

江戸時代の町並みが当時を彷彿とさせる姿のまま残る、旧城下町郡上八幡

奥美濃の小京都と呼ばれる城下町には水路が張り巡らされ、柳町や職人町、鍛治屋町などが国の重要伝統的建造物保存地区に指定されています。

郡上八幡と言えば夏の郡上踊りが有名ですね。

関ケ原の戦いの後に復帰した慶隆が、奨励したと一般には言われています(諸説あり)。

時代を超えて踊り伝えられ、国の無形民俗文化財に選ばれています。

大正9年(1920)に建てられた旧税務署を利用した、レトロな雰囲気の郡上八幡博物館で郡上踊りの実演が見られます。

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「宗祇水」   by:photo-ac

また、水がきれいな町としても有名です。

日本名水百選」第1号に指定された「宗祇水」と呼ばれる泉や「やなか水のこみち」など観光名所も多くあります。

ぜひ一泊して訪れたい観光地ですね。

 

郡上八幡城詳細

・住所:岐阜県郡上市八幡町柳町 一の平 659

・アクセス:長良川鉄道郡上八幡駅」下車、タクシーで約15分

・営業時間:3~5月、9~10月 9:00~17:00/6~8月 8:00~18:00/11~2月 9:00~16:30

休業日:12月20日~1月10日

 

【参考文献】

平井 聖監修『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、全国城郭管理者協議会監修『復元イラストと古地図で見る日本の名城』(碧水社 1995年4月18日発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、『城 其の一]』及び『同 解説編』(日本通信教育連盟)、「郡上八幡城」パンフレット他

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