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2021年6月25日、一人で高槻城跡を探訪してきました。
入江城(いりえじょう)とも呼ばれた大阪府高槻市にある城跡ですね。
現在は公園になっています。
城跡公園があるのは、阪急高槻市駅から南東へ約10分歩いたところ。
以前、一度行ったことがあるルートはやめ、今回は国道171号線を超えたあたりから大手道の道しるべに従って歩くことにしました。
ここは町名も大手町です。
途中に本行寺があります。
この寺門は説明版によると、高槻城の城内にあった高麗門を移築したものだそうです。
入口右側にある鐘楼の二重目、四隅に四天王が置かれていました。
私は初めて見ました。
公園の入り口に設置されていました。
石には名前が高槻城公園と変わったことが記されていましたよ。
この石柱は先程の反対側入り口にあります。
残念ながら、城跡には遺構といったものは何もありません。
1枚目の写真にあるように濠もどき(ため池?)と模擬石垣、その上に高山右近像があるだけです。
ベンチや東屋があり、市民憩いの公園です。
公園の入り口に高槻城の詳しい縄張図が設置されています。
本丸、二の丸などのそれぞれの郭を濠が囲み、三重の濠が取り囲んだ輪郭式と言える縄張りです。
かなり大きな城郭であったことが分かりますね。
高槻は、京都・大坂の中間に位置する要衝。
戦国時代末期以降は城主も頻繁に交替し、その度に城郭も改修されたと考えられています。
永禄12年(1569)に和田惟政が城郭の基礎を固め、天正元年(1573)に高山右近が町家を城内に取り込んで堅固な城郭を築き、城主となりました。
右近は約12年高槻城で過ごした後、天正13年(1585)に明石に移されます。
江戸時代には北摂唯一の城郭として重要な役割を果たしました。
元和元年(1615)の大坂夏の陣のあと、元和3年に江戸幕府による改修工事が行われましたが、これは西国大名への備えのためでしょう。
慶安2年(1649)譜代大名永井直清(なおきよ)が高槻藩初代藩主として3万6千石で入ってから、高槻城主は永井氏が代々受け継いで明治を迎えました。
ちなみに永井直清は高槻城に入城する前、勝龍寺城と淀城の城主でしたよ。
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200年以上高槻を治めた永井氏の話はあまり聞きません。
何故でしょうか。
不思議ですが、理由はわかっていません。
高槻城公園のすぐ近くに高槻市立しろあと歴史館がありますので、是非見学して 下さい。
しろあと歴史館の展示を見ると、右近像は高槻城公園のこの像の他に、カトリック高槻教会とカトリック金沢教会にあるようです。
所領を取り上げられて追放された右近を加賀藩主の前田利家が迎え入れ、晩年を金沢で過ごした縁でしょう。
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高槻市駅まで戻り、駅前のじゃんぼ酒場で軽く生ビールとハイボールを飲んで帰宅。
少しだけ、コロナ禍のストレスが解消されました。
*高槻城詳細
・アクセス:JR東海道本線・高槻駅から徒歩約15分/阪急電鉄京都線・高槻市駅から徒歩約10分
・営業時間:見学自由
・休業日:年中無休
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【参考文献】
高槻城チラシ、しろあと歴史館の展示、西ヶ谷恭弘編著『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京棠出版 2002年7月15日発行)他
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