日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第114回 吉田城

吉田城復興三重隅櫓(本丸側)   by:photo-ac

第114回目ですね。今回は、愛知県の吉田城です。

吉田城は、東三河の中心地、明治以前は吉田と呼ばれた現在の豊橋にあります。

築城当時から城をめぐって争奪戦が繰り広げられた要の平城ですよ。
吉田城は、「続日本100名城」(第151番)選定されており、別称は今橋(いまはし)城、豊橋
私は吉田城へ、1999年5月16日に登城しました。

 

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吉田城址石碑     by:photo-ac

吉田城は、永正2年(1505)に今川氏の将・牧野古白(こはく)が今橋城という名で築城しました。

場所は豊橋市の中心街を貫流する豊川に、朝倉川が合流する丘陵の上です。

その後、牧野信成(のぶしげ)が城主のとき、吉田城と名を改めたといわれています。

東三河をめぐる戦国時代には、たびたび戦場となった城です。

駿河三河一帯の支配を目指していた今川氏と新興勢力の松平氏などが激しい戦いを繰り広げ、田原城の戸田氏の攻撃を受けたのもこの城でのことでした。

吉田城は天文15年(1546)に今川義元のものとなり、城代が置かれます。

しかし、永禄3年(1560)の桶狭間の合戦で、義元は織田信長に討たれて死亡。

その後、西三河から東をうかがっていた松平(徳川)家康が、吉田城を攻略しました。

永禄8年(1565)に、家康は家臣の酒井忠次を入城させます。

吉田城は、家康の遠江(とおとうみ)進出の前線基地の城となります。

天正18年(1590)、家康の関東移封により、秀吉は配下の池田輝政を15万石余の城主として入封させます。

輝政は、それまで中世風出城のような城に過ぎなかった吉田城に新たな縄張りを施し、自らの居城にふさわしい本格的な城郭に改造・修築し始めました。

あわせて城下町の整備も行います。

千貫櫓跡の石垣     by:photo-ac

関ヶ原の戦いで功を挙げた池田輝政は、慶長6年(1601)に姫路城主として移封。

未完成の吉田城には竹谷松平家(いえきよ)が3万石で入城します。

その後、深溝松平氏、水野氏、小笠原氏など、江戸時代には小禄譜代大名の城主が頻繁に入れ替わりました。

歴代の藩主たちは、もはや戦いのない時代のうえ財政難だったためか、天守建造はおろか城郭の整備さえもしなかったようです。

吉田城は未完成のままにおかれました。

しかし、城下町は東海道の宿場町として、また三河湾や豊川の水運基地として目覚ましい発展を遂げました。

寛延2年(1749)に、大河内松平信復(のぶなお)が7万石で再度入城し、松平氏7代で明治を迎えます。

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「吉田城図」(『城 4 東海』より) 下部の蛇行しているのが豊川

豊川の岸を背にして方形の本丸を設置、川岸には腰曲輪を設けています。

東側に小さな金柑丸、南に二の丸、西の丸、三の丸を配し、その周囲に濠を巡らせた半輪郭式の城郭です。

さらに城下に総構えを巡らせていますね。

本丸に天守は建造されず、御殿と鉄(くろがね)、入道(にゅうどう)、辰巳(たつみ)、千貫(せんがん)の4基の櫓を、川岸には川手櫓、二の丸には雷(いかづち)、着到(ちゃくとう)、評定(ひょうじょう)の3基の櫓、三の丸には御殿と太鼓櫓を備えていました。

吉田城は本丸だけに石垣が築かれ、他はすべて土塁でした。

松平忠利の時代に名古屋城の残石を譲り受けて、土塁づくりだった塁壁を石垣に改修しています。

本丸御殿は宝永4年(1707)の大地震で倒壊してしまいました。

豊川側から見た復興鉄櫓      by:photo-ac

昭和29年(1954)に、入道櫓を模した模擬三重隅櫓が本丸石垣上の鉄櫓跡に復興しました。
豊川側の一重目に切妻の出格子窓が付けられています。

下は石落としです。

下3分の2が下見板張りの他は白漆喰総塗籠で、二重目の屋根に入母屋破風と千鳥破風があります。

シンプルですが、天守代用ともいえる美しい姿ですよね。

三の丸跡には豊橋市立美術博物館が開設されました。

野面積みの石垣 隅部が算木積みになっていない  by:photo-ac

鉄櫓の下の北側と西側の石垣は、吉田城では最古のもの。

後世の修理の跡がなく、慶長期初期の遺構といわれています。

豊川に沿った本丸背後の二段の高石垣が良く残っていますよ。

明治6年に吉田城は存続となりましたが、同年2月失火により建物の大部分は焼失。

残った太鼓櫓など20棟も同9年に払い下げられて取り壊されています。

一時、兵営が建設され、歩兵聯隊が城内に駐屯していましたが、戦後は豊橋公園となりました。

豊川    by:photo-ac

 

*吉田城詳細

・住所:愛知県豊橋市今橋町3-1

・アクセス:JR東海道本線豊橋駅前から市内電車に乗り、豊橋公園前駅もしくは市役所前駅で下車、徒歩約5分 / JR東海道本線豊橋駅から徒歩約20分

・営業時間:鉄櫓の内部公開は10:00~15:00

・定休日:鉄櫓は毎週月曜・火曜と年末年始が非公開 / 外観見学は自由

 

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【参考文献】
平井 聖監修『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、公益財団法人日本城郭協会『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日1刷発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)他

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