
「気ままにぶらっと城跡へ」の第36回目は、青森県の弘前城です。
*今回の青森旅の目的
以下4つの目的を持って、2025年9月2日から2泊3日で青森に行ってきました。
津軽鉄道は最北端の私鉄です。
弘前城は当ブログの「お城大好き雑記 第6回」で紹介済みですので、今回は櫓門と三重隅櫓を中心に紹介いたします。
江戸時代に建造された建造物がこんなにも残っている城は珍しいことですよ。
そしてそれらはもちろん、すべて重要文化財に指定されています。
弘前城は2003年8月2日に初攻城、2010年4月27日に再攻城、今回は3度目です。
3度目にして、小雨のなかゆっくりと城門や櫓を中心に天守などの城址探訪を楽しんできました。
*弘前城の追手門

弘前城の追手(大手)門は、右側に見える土橋を行くと土塁で造られた桝形虎
口になっていて、右側に立派な追手櫓門があります。
第1回で紹介した高知城と同じ形です。
下の大阪城大手門桝形の説明パネル図 に描かれているように、通常の城郭の桝形では、手前に高麗門などの一の門を 置き、二の門として奥に櫓門を置いて桝形を形成しますが、弘前城の現存する 5つの城門は、いずれも外側に門は造られず櫓門だけでした。
また、弘前城は、高知城と同じく「大手門」といわず「追手門」と表記してい
ます。
三の丸南側は、今は水濠となっていますが、築城当時は空堀だったようです。


*いざ! 弘前城探訪

それでは、案内図に沿って、三の丸追手門から隅櫓、城門を中心に、弘前城を探訪しましょう。

三の丸への追手(大手)門です。
出格子窓の上に庇が置かれていますが、珍しいと思います。
これは、採光のためと冬季に出格子と内窓の二重で雪を防ぐ工夫だそうです。
出格子窓の左右に四角形と三角形の鉄砲狭間があります。
櫓門の一階に見張り番が置かれ、普段使うくぐり戸の脇に出窓を開いて、出入りをチェックしています。
下の写真は、三の丸側からのものですが、当然のことながら格子窓も狭間もありません。
他の城門もほぼ同じでした。


現存する三基の隅櫓は、かつては栩葺(くぬぎぶき)でしたが、今はその上を銅板で覆っているとのことです。

この門を通り、三の丸へ通じている杉の大橋が工事中のため、残念ながら門を通れませんでした。


東門は、追手門や亀甲(北)門など、他の櫓門と違って、一階番所と出窓が右側についています。


それでは、いよいよ本丸へ行きましょう。
桜の季節に弘前城にいくと、下乗橋から天守を眺める下の風景は絶景ですね。
残念ながら、令和9年春まで待たないと、この景色は見えません。


公園案内図ではわかりにくいですが、下乗橋を渡ったところは角馬出となっています。
土橋を渡って本丸への入口には、復元図では高麗門らしい門が描かれています。
右折れの内桝形の虎口で、写真の手前右の大きな角の石は「亀の石」と説明柱がありました。
その隣や、正面の低い石垣には「鏡(かがみ)石」といわれる巨石が数個使われています。




現在、天守が置かれていた所の石垣修繕工事が行われています。
その場所は、大正4年(1915)にも石垣修理が行われていて、現在100年ぶりの石垣修理だそうです。
天守は、2015年に曳家で、約70m本丸の内側に移動しました。
この耐震補強工事は令和8年8月25日までかかるようですが、工事が終れば、また市民参加型の天守曳家で元の位置に戻すのでしょうか。



説明パネルによると、弘前城築城当時にはこの場所に五重天守があったそうですが、寛永4年(1627)に落雷で焼失、後に未申櫓が建造されました、とのことです。
現在の天守は、文化7年(1810)に、九代藩主・津軽寧親(やすちか)が幕府の許可を得て改築したもの。
本丸の辰巳(たつみ)櫓を、天守代用で「御三階(ごさんかい)」とよばれるものに改築しました。
しかし、内部は「畳寄せ(畳を敷くための区画をつくる敷居材)も天井も、入側(いりがわ=武者走りの外周部との区画)もありません。
一室づくりで、とても天守建築とは言えないものです。
つまり単なる櫓建築のままで、下乗橋から見える部分だけ天守風に切妻出窓を追加しただけなのですね。
それでも、江戸時代に建造された現存天守としては、東北地方唯一のものです。

早期退職をして、妻と東北の桜を鑑賞するために旅行をしました。
その2010年4月27日に弘前城に来たのですが、桜はまだ三分咲にもなっていませんでした。
本丸跡に貸茣蓙を敷いて、正面の岩木山を眺めながらお弁当を食べたことを思い出します。
今日は雨で、美しい岩木山の姿は残念ながら見えなかったのですが。


弘前城は本丸、二の丸、三の丸をそれぞれ水濠が囲んだ梯郭式の縄張りです。
三の丸、二の丸は高い土塁で囲まれ、本丸には高石垣が築かれています。






説明板に書かれていましたが、北門は弘前城築城時には大手(正面)の門として建設された櫓門でした。
しかし現在は搦手門となっており、亀甲(かめのこ)門とも呼ばれています。
現存の他の城門に比べて最も規模が大きく、なぜか桝形側にも狭間がありません。
大光寺城の城門を移築したと伝えられているとのことです。



(「by:photo-ac」表記以外の写真は、筆者撮影)
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【参考文献】
『名城を歩く6 弘前城』(PHP研究所 平成15年5月1日発行)、「史跡 弘
前城」パンフレット他
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