*知っておきたい城郭用語(その8)
ここで紹介するのは、お城を理解する助けとなる用語です。
パンフレットや本を読んだとき、つまりこれは何? と悩むことはありませんか?
お城を探訪する時や関連する本を読むときに、役立つ基本語その8を紹介していきましょう。
今回は、「櫓(やぐら)」についてです。
*櫓とは?

櫓は、矢倉、矢蔵(いずれも、やぐら と読む)とも書かれることがある、矢を貯蔵する武器庫、あるいは矢を射るための場所(楼台)のことです。
見張りを目的とした場所ともいわれています。
収蔵庫と物見、防御などの目的が合わさった城の重要な防御施設ですね。
*櫓の歴史
弥生時代の環濠集落「吉野ヶ里遺跡」(当ブログの番号:第101回)からも物見櫓の遺構とみられる柱穴が発見され、防御施設として古代から存在していたことが確認されています。
また、中世の合戦図などには物見台の上に立て板を据えた仮設的な櫓が描かれ、射撃台として使われていたことが分かります。
近世城郭においては、櫓は、厚い土壁を塗った防火・防弾の構造で、矢狭間や鉄砲狭間、石落としを設けてより防御力を高めた建造物でした。
防御の拠点として軍学的配慮がなされ、城門とともに城の基本的・中心的な建築物として、城内には必ず何棟かの櫓は建てられました。
天守は建造されなくても櫓は間違いなくあったのですね。
姫路城(第30回)には61基、広島城(第49回)には76基もの櫓が林立していました。
しかし、戦いのない平和な時代になると、櫓の多くは倉庫となっていきました。



*櫓の配置
櫓は、一般的には曲輪の隅部や屈曲した城壁の隅部に建造されることが多く、「隅(すみ)櫓」とも呼ばれています。
曲輪が四角形であれば、防御の要として曲輪の四隅に建てられることが多いようです。
隅部では、外に向かって二方向に視界が開け、攻城してくる敵に側面から射撃(横矢掛 よこやがかり=側面攻撃)ができるからですね。
金沢城(第31回)石川門の菱櫓と呼ばれる復元二重櫓や大阪城(第4回)二の丸の千貫櫓(重要文化財)などのように、城門の横や虎口や登城道に面した場所に建てることも防御面では大変有効です。
金沢城の石川門では城門の桝形に面して二重櫓が建造されています。
城門に攻撃してくる敵兵に対して、この櫓から攻撃できるだけでなく、一の門を破って桝形に侵入してきた櫓門の前の敵兵を攻撃することができるので、防御力が大変高い重要な櫓なわけです。




千貫櫓の格子窓から、隠れるところのない敵兵を、銃や弓矢で簡単に攻撃できます。
*櫓の名称
櫓の名称は煩雑で、なかなか分かりづらいですね。
形式、位置、用途、由緒などによって、それぞれの城、各時期によってさまざまな名称が付けられているためです。
ここでは、そのうち代表的なものを紹介しますね。
・位置による名づけ
まず、位置によるものです。
東西南北の他に、以下の方角を表す漢字が付けられていました。
- 艮(うしとら 丑寅とも書き、東北の意味)
- 巽(たつみ 辰巳 東南)
- 坤(ひつじさる 未申 西南)
- 乾(いぬい 戌亥 西北)
例えば本丸艮櫓は、本丸の東北隅にある櫓ということです。
・用途による名づけ
用途による名称としては、鉄砲櫓、弓櫓など、平時に収納していた物品名による櫓の名称があります。
また、他の言い方としては、天守に付属する付(つけ)櫓、他の櫓や城門に連続する続(つづき)櫓、二つの櫓を結ぶ渡(わたり)櫓などの付属的なものの言い方と、曲輪の隅部建てられた隅(すみ)櫓などです。
・特殊な使い方による名づけ
防御のための櫓ではなく、特殊な使い方をする櫓があります。
たとえば月を眺めた月見櫓、将兵の到着を調べた着到(ちゃくとう)櫓、時報の太鼓を打つための太鼓櫓などです。
太鼓櫓は、二重櫓の二階に太鼓を設置し、太鼓を合図に城門の開閉を行いました。
そのため江戸時代の城郭には必要なものであり、ほとんどの城に存在していたようです。
月見櫓で有名な櫓は、なんといっても松本城(第20回)の月見櫓でしょう。

寛永10年(1633)に松平直政によって、国宝松本城の大天守の辰巳付櫓に連結されて建造された月見櫓です。
三方吹き抜けに造られ,戦闘や防備とは無縁な風雅かつ開放的、月見の宴を開くための櫓ですね。
外縁の朱塗りの勾欄が美しく、石落としなどはもちろんありません。
・由緒による名づけ
由緒によるものとして代表的な櫓は、福山城(第59回)の伏見櫓ですね。

京都伏見城から移築された伏見櫓は、一階と二階を横長に同じ大きさに造り、小さな三階を載せています。
古式な望楼型三重櫓の遺構です。
その他、人名をつけたもの、動物の名前をつけたもの、単純に番号をつけたものなど、数え切れないほどの名前が櫓には付けられていました。
*櫓の外観
・平(ひら)櫓

単層(一重)の櫓です。
物見と攻撃の拠点としての櫓の機能目線からいうと、防御上重要度の低い場所に建造されていました。
最も簡略な櫓で、格式の低い切妻造りが多いようです。
伊勢亀山城(気ままにぶらっと城跡へ⑭)の平櫓は、三重県下で唯一残存している城郭建築物の遺構です。
Ⅼ字型の多聞櫓で、入母屋造りとなっています。
・二重櫓

櫓が、物見や攻撃の役割をもつ意味からも、二重櫓が近世城郭の標準です。
現存している遺構も多いですね。
・三重櫓

三重櫓は、内部が普通は三階なので三階櫓とも呼ばれています。
天守の代用とされることもありました。
特に大きな城では、本丸の隅櫓として建造されることが多いようです。
高松城(第60回)の艮櫓は、延宝5年(1677)に建造され、移築された三重三階層塔型の櫓です。
旧国宝で、現在は重要文化財の立派な三重隅櫓ですよ。
ちなみに、現存最大の三重櫓は熊本城(第25回)の宇土櫓です。
三重五階地下一階という、普通の城郭の天守を超える規模の三重櫓で、一説には宇土城天守を移築したものといわれています。

・多聞櫓

平櫓が横に細長くなった長屋状の櫓で、古くは「多門」や「長屋」とも呼ばれました。
戦国時代の武将松永久秀が築いた多聞城(奈良市)に初めて建てられたためとも、武神である多聞天(毘沙門天)を祀ったためともいわれています。
「聞」ではなく「門」、「多門櫓」とも表記されることもありますよ。
上の写真、大阪城の多門櫓をみてください。
土塀の代わりに城壁上に建てられ、単層と重曹があり、天守と櫓、城門と櫓、隅櫓同士を連結するもので、突破が極めて難しい防衛線をつくっています。
内部は小部屋に仕切られ、城外や桝形を望む壁側には攻撃するための格子窓や鉄砲狭間が作られていました。
防衛線上に建造された長い多聞櫓は、防御のための城兵の駐屯と兵器を多量に備蓄できます。

多聞櫓の中でも、姫路城や和歌山城、松山城のような連立式天守で天守群を連結する多聞櫓を「渡櫓」と呼びます。
天守と櫓、櫓と櫓をつないで戦闘時にどこにでも行動できる武者走りの渡り廊下の役割をもつ連続平面を構成する特別の多聞櫓です。


*天守代用の櫓
天守が建造されず、三重隅櫓が天守の代用として建造されることがありました。
江戸城天守が炎上し、その後江戸城において天守が建造されなくなると、他の城では新たに天守の建造が控えられるようになり、既存の三重櫓を改造して天守の代用としていたようです。
現存12天守のうち、弘前城(第6回)天守と丸亀城(第28回)の天守が「天守代用の三階櫓」で、いずれも重要文化財です。

朱塗りの下乗橋から見ると、一重目と二重目に石垣面から張り出した石落としのある切妻破風の出窓が装飾的に造られた立派な姿ですが、本丸側からみると破風がまったくなく、格子連子窓があるだけです。
外側から見る姿と本丸側から見る天守の姿がまったく異なっているのは、もともと南東隅にあった三重の辰巳櫓を改造して代用天守として、外側だけ見栄えを良くしたためです。

天守と隅櫓の違いは窓の設け方にあります。
天守や代用三階櫓では四方に窓が開けられているのですが、隅櫓は攻撃用に曲輪の外に向かってだけ格子窓が開けられており、本丸側には原則として窓はありません。
これは、曲輪内の御殿を見下ろすのを避けているためともいわれています。
*特殊な形状の櫓

大坂城乾櫓は一重目と二重目が同じ面積で、二の丸西北部の隅にⅬ字型に建造された二重櫓です。
濠側には出窓の石落としやたくさんの窓があり、攻撃できるようになっています。
徳川大坂城の遺構の現存櫓で、重要文化財に指定されている大変珍しい隅櫓です。


平成17年に、発掘調査の成果や古写真、指図などをもとにして再建された津山城の備中櫓です。
津山城内の最大の櫓だったようです。
一重の多聞櫓の中央に望楼部を載せた珍しい形ですね。
註:(by:photo-ac)の表記がないものは、筆者撮影です。
【参考文献】
財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、平井 聖監『城 3 甲信越・北陸 銀嶺を望む風雪の城』(毎日新聞社 平成9年3月10日発行)、三浦正幸監修『【決定版】図説・「城造り」のすべて』(学習研究社 2006年12月1日 第1刷発行)、三浦正幸監修『城を知る事典』(日本通信教育連盟)他
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