*知っておきたい城郭用語(その10)
ここで紹介するのは、お城を理解する助けとなる用語です。
パンフレットや本を読んだとき、つまりこれは何? と悩むことはありませんか?
お城を探訪する時や関連する本を読む時に、役立つ基本語その10を順次紹介していきましょう。
今回は、お城の縄張りです。
*縄張りとは?

「縄張り(なわばり)」とは、城の設計のことです。
城郭は、その築城場所が決まった段階で、その地形に応じて、城内の区画となる曲輪(郭)の形や大きさ、出入り口(虎口)の位置や形、堀や土塁の形状などを軍事的に考えて組み合わせ、最終的な城の構造が決定されます。
このとき、縄を張って定めたことから、「縄張り」と呼ばれるようになりました。
縄張りの形式には、大きく以下3つに分類できます。
- 輪郭(りんかく)式
- 梯郭(ていかく)式
- 連郭(れんかく)式
ただしこの分類は後世の学者が作ったもので、築城当時にあったわけではありません。
つまり「既にあった城郭の曲輪などの配置を形式的に分類したもの」に過ぎないのです。
現実の多くの城は、立地条件や海、湖、川などの城地と周辺の地形に左右され、単純にこれら3種の縄張りのようにはいきません。
これら3種の変形、あるいは軍学的に有効となるように複合・連結され、より堅固で利用しやすい縄張りにしていることはいうまでもありませんね。
*縄張りの分類
それでは、種類の縄張りを順次見ていきましょう。
輪郭(りんかく)式縄張り
輪郭式縄張りとは、本丸を中心に置き、それを取り囲むように二の丸、三の丸が配置されたもので、高低差では本丸が一番高くなります。
大坂城(当ブログ記事第4回目)、駿府城(第57回目)や米沢城(第130回目)などが、わかりやすい輪郭式縄張りです。


駿府城は、本丸を中心に二の丸、三の丸が、水濠とともにそれぞれ周囲を取り囲むように置かれています。
三重の濠に囲まれた、典型的な輪郭式の平城ですね。

米沢城の正保城絵図です。
方形の本丸を水濠と二の丸で囲み、その外に広い三の丸(侍町)を置いて、水濠を巡らせています。濠のないところは堀立川(右から下を通って左上への細い線)の流れを変え、外濠の役目を果たしている輪郭式の縄張りです。
直江兼続による縄張りといわれている土塁と水濠に守られた堅固な平城です。
梯郭(ていかく)式縄張り
梯郭式縄張りとは、隅に本丸を置き、本丸を囲むように二の丸を、二の丸を囲むように、三の丸をそれぞれの外側に配置した形のものです。
城地に高低差があれば、本丸が一番高所に置かれます。
本丸の背後や二の丸に接続していない所が川や断崖などになっているところが選ばれ
ることが多く、大変防御に優れている後堅固(うしろけんご)な城です。
弘前城(第6回)、岡山城(第36回)、大分府内城(第120回)、白河小峰城(第39回)な
どがわかりやすいでしょう。


大分県の府内城は、別府湾から内陸部寄りに築城されています。
別府湾に最も近い北東の隅に本丸を置き、濠で囲んで二の丸、北西に山里丸(北の丸)を配し、広い三の丸を梯郭式に配した縄張りの平城です。
別府湾を背後にもつ後堅固な平城ですが、舟入や船番所を持つ海城でもあります。
東側は大分川が流れ、天然の外濠となり、各曲輪を濠が囲み、城下町も総構えの濠で囲んだ堅城ですね。
城下町は碁盤目に整然と区画されています。

福島県の白川小峰城は、阿武隈川と谷津田(やつた)川に挟まれた丘の上に階段状に造成して造られています。
一番高い所に本丸を置き、一段低い場所に帯曲輪を、そして二の丸、三の丸が雛壇状に配され、それぞれの曲輪を囲むように水濠が廻らされています。
東北随一の縄張りといわれていますよ。
連郭(れんかく)式縄張り
連郭式縄張りとは、本丸、二の丸、三の丸が、ほぼ直線状に並列する形で配される縄張りです。
水戸城(当ブログ記事第117回目)、盛岡城(第35回目)、備中松山城(第3回目)、中グスク(第2回目)などが代表的ですね。


水戸城は、北の那珂川(なかがわ 上の黒い部分)と南側の千波湖(せんばこ 下の黒い部分)の間の河岸段丘上に築かれ、堀切を設けて、東(右)から浄光寺曲輪(東二の丸、下の丸)、本丸、二の丸、三の丸を順次に配した典型的な連郭式の縄張りです。

盛岡城は、会津若松城(第15回目)、白河小峰城(第39回目)とともに東北三名城と謳われる、東北地方では珍しい総石垣の堅城です。
上の絵図で分かるように、北上古川と中津川を外濠として利用し、両川に挟まれた台地に築城されています。
高石垣で区切られた本丸、本丸腰曲輪、二(の)丸、三(の)丸、三(の)丸下曲輪が、ほぼ直線的に配された連郭式の平城です。
城郭を内濠が囲み、三丸の北側には大きな外郭を置き、それを総構えの濠が囲んでいます。


沖縄県の世界遺産中グスクは、中城湾を見下ろす石灰岩台地に建てられた山城です。
山上に、右側から左側に向かって一の郭(本丸)、二の郭、三の郭と美しい曲線を描く石垣に囲まれた郭が、雛壇状に築かれ連郭式になっていますね。
複合的な縄張り

長野県の松代城(当ブログ記事第76回目)は、本丸を囲んで二之丸が梯郭式に置かれ、その先に丸馬出を置き、連郭式に三之丸が配された複合的な縄張りです。
石垣で囲まれた本丸の背後は、千曲川が流れる後堅固の平城です。

赤穂城(第63回目)は、正保2年(1645)に、53,500石で常陸国笠間から入封してきた浅野長直(ながなお)が13年を費やして完成させた城です。
縄張は、甲州流軍学者近藤正純(まさずみ)が行い、後に山鹿流兵法の祖・山鹿素行によって二の丸虎口の改変を行ったと伝わっています。
本丸を輪郭式に二の丸が水濠とともに囲み、三の丸が梯郭式に配置された平城です。
築城当時は二の丸の半分と三の丸の西側が瀬戸内海に面していました。
二の丸には船着場や舟入をもつ海城でもありました。

浜松城(第65回目)は一番高い所に天守曲輪があり、その下に本丸、もう一段下がって二(の)丸が連郭式に配された縄張りの平山城です。
天守が本丸の中になく、もう一段高い天守曲輪を置いて建造されているのが珍しいですね。
*関連ワード説明:曲輪と「正保城絵図」(しょうほしろえず)とは?
今回「縄張り」の説明で出てきた「曲輪」、そして使った城絵図でたびたび出た「正保城絵図」について簡単に紹介しておきます。
曲輪とその名称
曲輪(くるわ)とは、城の内外を土塁や石垣、堀などで区画した区域を指します。
本丸、二の丸などの「丸(まる)」と「曲輪(くるわ)」、「郭(くるわ)」は、漢字や呼称は違っても内容は同じです。
近世の城郭では、本丸、二の丸、という呼称を使いますが、中世城郭では普通名詞として使う場合は「曲輪」が多いようですね。
また、「郭」という単語は、城郭研究上、主郭(本丸に該当)、副郭(二の丸、三の丸、その他)、単郭(ひとつの郭)、複郭(複数ある郭)などの用語に、ほぼ限定して用いられるようです。
築城当時に、主郭、単郭などの呼称が使われていたのでは、もちろんありません。
最近の城郭研究では、安芸の吉川氏にかかわる資料では「丸」が、そして関東の後北条氏にかかわる資料では「曲輪」という呼称が多く使われていたことが明らかになっているようです。
曲輪の名称でも地域差があったようですね。
大規模な城郭では、曲輪の名称が三種類だけでは足りなくなります。
したがって、曲輪にも西の丸などのように方角や、井戸丸、数寄屋丸、淡路丸、山里丸、竹の丸などといった様ざまな名前が付けられるようになってきます。
「正保城絵図」(しょうほしろえず)
「正保城絵図」とは、城郭を中心とした軍事施設が主題の絵図です。
徳川家康が大坂城を落城させて豊臣家を滅ぼすと、2代将軍徳川秀忠は、元和元年(1615)に「一国一城令」を発して藩主の居城以外の城の破却を命じ、「武家諸法度」で新たな築城や修理をきびしく制限しました。
そして、正保元年(1644)には、3代将軍徳川家光が、全国の大名に対して城絵図の作成を命じます。
これによって、それぞれの大名は、城を中心とした最も機密性の高い軍事上のすべてのことを徳川幕府に把握され、城は軍事的には丸裸にされることになりました。
現在、これらの絵図は国立公文書館内閣文庫に所蔵されていて、63城の絵図があり、そ
れらはすべて重要文化財の指定を受けているとのことです。
(参考「城郭用語その7」)
【参考文献】
財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、三浦正幸監修『【決定版】図説・「城造り」のすべて』(学習研究社 2006年12月1日 第1刷発行)、加糖理文編『城の見方・歩き方』(新人物往来社 2007年6月1日5刷)、三浦正幸監修『城を知る事典』(日本通信教育連盟)、他
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