141回目になりました!
今回は、愛知県の岩崎城です。
岩崎城は、尾張、三河を往来する街道の要衝、岩崎の標高40mの丘の上に建造された平山城です。
天正12年(1584)の徳川家康・織田信雄(信長の二男・のぶかつ)連合軍と羽柴秀吉との戦い、小牧・長久手の前哨戦の壮絶な戦いが行われた悲劇の舞台の城として有名ですね。
岩崎城へは2003年3月15日に登城しました。
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画像出典:日進市サイト「岩崎城歴史記念館」
岩崎城は、織田信秀(信長の父)が室町時代の終わりごろに築城した城のようです。
岩崎城は尾張国の東の端にあり、国境付近を守る信秀の支城で、家臣の荒川頼宗が城代でした。
享禄2年(1529)、三河の松平清康(徳川家康の祖父)に尾張攻略の足掛かりとして奪われました。
その後、天文7年(1538)にはこの地方の土豪丹羽氏清が本郷城から移り、城を修繕したといわれています。
天正12年の小牧・長久手の戦いのとき、城主であった丹羽氏次(うじつぐ)は、家康ともに小牧山の本陣に詰めていて、岩崎城は弟の氏重(うじしげ)が守っていました。
徳川・織田軍の後方攪乱を狙って、秀吉方の池田恒興軍が家康の本拠地・岡崎を攻めるために岩崎城の前を通ろうとします。
それに気づいた氏重は、わずか300名の城兵で阻止するために戦いました。
しかし、圧倒的な池田軍の前に、氏重など全員が討ち死にしてしまったそうです。
ところが、そのことが結果的に徳川・織田軍を勝利に導いたとして、後に徳川家康に認められることになります。
小牧・長久手の戦いでの徳川方の勝利は、家康がその後天下人となる大きな岐路となった重要な出来事でした。
岩崎城は丹羽氏4代が城主を務め、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いの戦功によって、三河伊保(現豊田市)に1万石で転封されるまで、丹羽氏の居城でした。
丹羽氏はこの転封によって、地方の土豪から(1万石とはいえ)大名に昇格しました。
丹羽氏の転封によって、岩崎城は廃城になっています。
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岩崎城は、本丸、二の丸、東西に曲輪を置いています。
本丸跡には6世紀頃の古墳の遺構もあり、土塁や空堀の遺構もよく残っています。
昭和62年に、地元住人の寄付により岩崎城模擬天守が造られました。
「展望塔・岩崎城」としてですね。
三重四階の望楼型天守で、一重の櫓門が複合式に付けられています。
一重目に比翼千鳥破風、二重目には大きな入母屋破風が四方に付けられ、最上階の展望室からは日進市が眼下に一望できますよ。
岩崎城址の発掘調査をしているときに、偶然に土塁の下から発見された古墳の横穴式石室です。
6世紀前半に造られた円墳であると推定されています。
遺存状態が良くないため、模擬的に復元された石室ですね。
本丸には模擬天守の他、岩崎城歴史記念館が造られていて、岩崎城の資料や日進市の歴史・文化資料が展示されています。
城跡は現在、城址公園として整備され、市民の憩いの場となっていますよ。
二の丸庭園には、水琴窟があります。
岩崎城の水琴窟は、ふたつの常滑焼きの甕を伏せて造られているので、二つの音色を楽しめます。
全国でも大変珍しいものだそうです。
▼岩崎城公式サイト
*岩崎城詳細
・住所:愛知県日進市岩崎町市場67
・アクセス:名古屋市営地下鉄鶴舞線/名鉄豊田線・赤池駅から日進市内巡回バスくるりんばすで約15分、「御岳口(おんたけぐち)」バス停下車、徒歩3分
・営業時間:9:00~17:00(最終入城時間は16:30)
・定休日:月曜日(祝日の場合は開館) / 12月28日〜1月4日
【参考文献】
小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、日進市「岩崎城ホームページ」、岩崎城「城の概要」説明板他
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