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「青春18きっぷ」を使って、最終日の4月10日(2022年)、気ままにぶらっと伊勢亀山城に行ってきました。
初登城は1998年8月18日のお盆の後でした。
伊勢亀山城は、「日本100名城」、「続日本100名城」にも選定されていませんが、石垣や多聞櫓が遺構として残っています。
別称は粉蝶(こちょう)城です。
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伊勢亀山城は、文永2年(1265)に関実忠(せき さねただ)が、亀山城跡のすぐ北東にある亀山古城跡に若山城を築城したのが始まりとされています。
中世の亀山に勢力を誇っていた関氏の居城で、16世紀の中頃までには現在の場所に移っていたと考えられています。
鈴鹿川北岸の台地上に城と城下町が築かれました。
天正18年(1590)、亀山城主・関一政(せき かずまさ)は主君の蒲生氏郷に従って奥州白河に転封。
そのあと22,000石で入封した岡本宗憲(むねのり)によって、新に亀山城が築かれました。
宗憲は丘陵を切り開いて濠を造ります。
天然の地形を活かして内濠、外濠を巡らせ、本丸とその外側に二の丸、東に三の丸を、西側に西の丸と連郭式に配置。
要所に櫓や多聞櫓を設け、三重の天守を築きます。
さらに、矢狭間や鉄砲狭間をうがった土塀で城郭を囲み、堅固な城郭としました。
宗憲は、関ヶ原の戦いで西軍に属していたため改易されました。
その後、伊勢亀山は東海道の要衝だったため、城主が頻繁に交代しています。
その多くは譜代大名でした。
また亀山は東海道46番目の宿場町でもあることから、江戸時代初期の亀山城は幕府の宿所としての役割がありました。
上洛する徳川家康、秀忠、家光などが本丸御殿を休泊に利用していたのですね。
このように本丸御殿は幕府によって利用されていたため、城主は二の丸に居館を造っていました。
「気ままにぶらっと城跡へ⑨」で紹介した水口城と同じですね。
延享元年(1744)に備中松山から石川総慶(ふさよし)が6万石で入城、そのあとの130年あまりを石川氏が城主を務め明治を迎えます。
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多聞櫓が見学できるとは知らないで来たのが日曜日でした。
ラッキーなことに、内部を見学してきました。
内部には亀山城の歴史などの展示パネルがあります。
それは、三宅康誠が城主だった寛永9年(1632)に、幕府の命により天守が解体されたことです。
(丹波)亀山城(京都府亀岡市)の修築を幕府から命じられた堀尾忠晴(ほりお ただはる)が、間違えて(伊勢)亀山城の天守を壊してしまった、という伝承ですね。
しかし、間違って取り壊されてしまった天守は、武家諸法度が発布された直後のため再築は許されませんでした。
これは、12,000石の小藩に三重の天守は不相応という幕府の処分であったという見方もあります。
寛永13年に5万石で入城した本田俊次(としつぐ)は、5万石にふさわしく城の大改修を行い、本丸北側に三重櫓を建て、「御三階櫓」と名づけて天守の代用とします。
このときの改修で完成した2545mにもおよぶ白壁、櫓、城門の連なりが、蝶が舞うように見えるということで、「粉蝶城」と呼ばれるようになったそうです。
野面積みの石垣上に築かれた多聞櫓は、Ⅼ字型の平櫓です。
明治6年(1873)の廃条令により城内の建物のほとんどが取り壊され、濠も大部分が埋め立てられて城郭の形を失ってしまいました。
しかし、多聞櫓は失業武士の救援のための木綿段通製作の工場として使用。
そのため、幸運にも取り壊されずに残ったのです。
平成23年からの多聞櫓復元修理において破損個所の修理のほか、江戸末期の姿に戻すために板壁にされていた側壁を元の漆喰壁に直されました。
良いことをしますね。
最近、修理の時に元の姿に戻すことが多くなっています。
この多聞櫓は、三重県下で唯一残っている城郭建築物の大切な遺構です。
本丸跡は、始祖源義家以下歴代藩主を祀る亀山神社が建てられ、その他の部分は
ますみ公園となっています。
二の丸跡には亀山市役所や亀山西小学校、西の丸跡は亀山中学校になっています。
(写真は筆者撮影)
▼亀山市の公式YouTube動画です。美しい風景が見られますよ。
*伊勢亀山城詳細
・アクセス:JR亀山駅下車徒歩11分
・営業時間:24時間
・休業日:年中無休
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【参考文献】
平井 聖監『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日第1刷発行)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)『城 其ノ一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、「東海道五十三次の内 亀山宿 イラスト案内図」(亀山市生活文化部)他
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