今回「気ままにぶらっと城跡へ」は、筆者・花ちゃんの自宅から約15分も歩けば着く大阪府池田市にある池田城です。
池田城跡公園が完成してしばらくは、この天守が我が家のリビングから見えていました。
城好きな私は「天守」を見ながら酒を飲んで楽しんでいましたが、今は真正面にマンションが2棟建設され、全く見えなくなってしまいました。
残念で仕方がありません。←仕方ないよ…それも人生。
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池田城は鎌倉時代に築かれ、室町時代の初め頃に城としての形が整ったと考えられています。
もちろん近世のような城郭ではなく、堀と土塁で囲まれた陣屋のようなものだったとは思いますが。
池田氏は、旧豊島(現在の池田市、豊中市、箕面市周辺)を支配していた北摂の有力国人(※)として、摂津の守護細川勝元(かつもと)の家臣となるまでに勢力を拡大します。
※国人(こくじん)とは、守護の家来として市町村位の範囲を支配する武士のこと。
やがて細川氏に代わって近畿で勢力を伸ばしてきた三好三人衆に、池田氏をはじめ摂津の国人の多くがその支配下に入ります。
三好三人衆が支配する摂津の制圧に取り掛かった織田信長に、池田城主・池田勝正(かつまさ)も攻められます。
しかし池田城はなかなか落城しませんでした。
業を煮やした信長は池田の城下町を焼き払い、長期戦に備える構えを見せました。
勝正はこの期に及び、自分に利がないと信長に降伏します。
信長は勝正に今まで通りの池田の支配を認め、「摂津の三守護」のひとりに任命します。
元亀元年(1570)池田氏の家臣だった荒木村重(むらしげ)は主君の池田氏を追放、池田城を奪い、続いて茨木城と高槻城を攻め手中に治めます。
その後村重は織田信長に謁見して忠誠を誓い、「摂津守」として摂津一国の支配を認められます。
村重はこうして戦国大名に成り上がりました。
村重は、天正2年(1574)伊丹親興(ちかおき)の伊丹城を攻略し、有岡城と改名して有岡城を居城とします。
この段階で池田城は廃城となったようです。
しかし、池田城はもう一度歴史に登場します。
天正6年(1578)に荒木村重が信長に謀反を起こし、信長と戦うことになりました。←村重さん謀反好きよね…
信長は村重を討伐するために有岡城の包囲網を敷き、自ら「古池田」(池田城)に陣を敷いたと『信長公記』にあります。
発掘調査の結果それを裏付ける堀跡などが見つかっています。
池田城は、五月山(さつきやま)山麓の台地に築かれ、南と西側が崖と谷を利用した要害です。
東側は空堀。
この空堀底の散策路を歩くと、公園化された城内では見ることのできない、池田城の昔の姿を思い浮かべることが出来ます。
主郭には城主の館や蔵などがあり、それ以外のところには見張り用の建物や簡単な小屋があったようです。
復元図の上部には分かりづらいですが、猪名川が描かれ、右上の五月山の裾野には伊居太(いけだ)神社が描かれています。
池田城は主郭部分を城跡公園とし、約63億円かけて平成12年(2000)に整備開園しました。
虎口、土塁、排水溝、井戸、枯山水の庭などが、発掘調査の結果に基づいて復元されています。
また、二重二階模擬天守(櫓)が新たに建築。
この天守風建築物の建築に当たっては、池田市の計画では平屋建ての休憩所を建設するつもりでした。
ところが池田に住んでおられた桂三枝さん(当時)が中心になって、平屋建ての休憩所ではなく天守風の建物に変更する運動を起こし、その結果現在のような模擬天守や東屋、茶室などが建てられたのですね。
市民憩いの城跡公園になっていますよ。
当時私も署名運動に協力しました。
なお、この天守風建造物は市の公園パンフレットでは「櫓風展望休憩舎」と書かれています。
「天守」の表記はもちろんされておりませんが、このブログでは他の城郭の説明と同じように「模擬天守」と書きます。
この芝生の広場はそんなに広くはありませんが、日曜日など小さい子供連れの家族で賑わいます。
中学生などが野球やサッカーをして遊ぶような場所でないので、小さな子供も危険もなく遊べ、大人ものんびりと寛げます。
北門を入ったところにきれいなトイレのある「武家屋敷風の造り」の管理棟があり、大きな自動販売機も設置。
アイスクリームも販売されていますよ。
池には錦鯉がたくさんいて、餌も販売していてとても人気です。
隣町に住んでいる孫が小さい頃は良く連れて来ました。
大きな鯉が口を開けて餌を欲しがるのが面白く、何回も餌を買っていました。
芝生にある石は建物の礎石です。
模擬天守に付いているテラスや広場を使って春と秋にはジャズコンサートや薪能などいろんなイベントが開催されます。
上の写真は、作家・作詞家のなかにし礼さんの妻とその家族(結婚前に池田市在住)がモデルの、NHK連続テレビ小説「てるてる家族」の放送を記念した石碑です。
2003年9月23日から放映していました。
原作はなかにし礼『てるてる坊主の照子さん』です。
表門を入った正面にありますよ。
池田城跡公園は、市民憩いの公園としてはとても良い公園です。
しかし城郭の遺構はなく、公園内に設置されている城郭の説明用の石柱などは随分と誤解を招くもので、城好きの私としてはない方が良いなと思っていいます。
阪急宝塚線池田駅から五月山に向かって徒歩約20分で池田城跡公園に到着。
途中、阪急電鉄の創始者である小林一三の記念館や、逸翁美術館(旧住居)があり、そんなに大きなものではありませんが、是非見学してほしい所です。
(註:写真でクレジットがないものは筆者撮影です)
*池田城詳細
・営業時間:午前9時~午後7時まで/11~3月は午前9時~午後5時まで
・休業日:火曜日(祝日の場合は直後の平日)/12月29日~1月1日
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【参考文献】
池田市教育委員会『池田学講座―新たに知る池田 改めて出会う池田』(池田市教育委員会 平成21年7月1日 3刷発行)、「池田城跡公園」パンフレット(池田市)、「池田市報」他
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