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90回目になりました!
人吉城は、日本三大急流のひとつの球磨(くま)川と支流・胸(むね)川との合流点に位置する標高52mの丘の上に築かれている平山城です。
人吉城は、「日本100名城」(第93番)に選定、さらに国の史跡にも指定されています。
別称は球磨城、三日月城、繊月(せんげつ)城、相良(さがら)城です。
私は、2002年7月27日に登城しました。
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人吉城は、平安末期、平家から代官として派遣された八瀬氏によって築かれたと伝えられています。
鎌倉時代初期の建久9年(1198)、相良長頼(さがら ながより)は、源頼朝(みなもとの よりとも)の命により、遠江(とおとうみ)から人吉荘の地頭として移住。
平氏一門の八瀬主馬助(やぜ しゅめのすけ)を追い出し、翌年人吉城を修築します。
その築城工事のときに三日月型の紋の入った奇石が出土したため、繊月城とも呼ばれたそうです。
天正17年(1589)頃から、相良長毎(ながつね)が人吉城を近世の城郭として整備しはじめました。
関ヶ原の戦いでは西軍に属するも、大垣城で徳川方に寝返ったため、家康に22,000石の領地を与えられます。
慶長12年からは、全体に及ぶ大々的な城普請をスタート。
球磨川岸の埋め立て、胸川、山田川の水量調整などの大工事も併せておこなう工事が寛永16年(1639)まで続きました。
本丸、二の丸、三の丸、総曲輪からなる近世城郭としての整備・拡張がようやく完成します。
しかし天守は建造しませんでした。
以来、たびたびの御家騒動、度重なる洪水に悩まされるなど、さまざまな危機にみまわれますが、相良氏は幕藩体制下を生き抜き、なんと35代670年にわたり領主として人吉を治め、明治を迎えました。
人吉城は明治5年(1872)と8年に城内の建物、立木を払下げ、建物を取り壊します。
これで、人吉城は城としての役割が終わったかにみえました。
しかし同10年6月西南戦争で、西郷軍が人吉城を陣地として入り政府軍と対戦、これは残念ながら西郷軍が敗れています。
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人吉城は北側の球磨川と西側の胸川を自然の濠とし、東と南は深い谷に隔てられている天然の要害です。
最高所に円形の小さな本丸(高御城 たかおしろ)、その西方に二の丸(御本城)、三の丸を設け、西側の平地に城主の居館(御館 みたち)を置いています。
さらに西、北側に総曲輪を築いていました。
天守は建造せず、本丸には城内安穏の祈禱所として二階建ての護摩堂を建造します。
西側の胸川の右岸に大手門を、北側の球磨川に水の手門を設置。
過去に起きた文久2年(1862)の寅助火事により、城下の大半が焼失、球磨川を越えた飛び火により城内の御殿をはじめ武家屋敷などの建物は全焼してしまいます。
その後建物の一部が再建されただけで廃藩となりました。
水の手門から正門にあたる堀合(ほりあい)門につづく石垣には、「跳出(はねだし)石垣」といわれる石垣があります。
前年の火災を契機に、文久3年(1863)に築かれた石垣です。
最上部の天端石(てんぱいし)の一部を外側に跳ね出させて敵の侵入を防ぐ、西洋式石垣です。
地元の人たちは「武者返し(むしゃがえし)石垣と呼んでいます。
北海道函館の五稜郭の石垣にもありましたね。
幕末期の築城技法のひとつです。
天正年間(1573~92)から数十年かけて改築された人吉城は、現在も累々とした高石垣が残っています。
二の丸は、人吉城で唯一石垣をめぐらせた曲輪。
本丸と三の丸は自然の断崖を利用して、要所だけに石垣を積んでいます。
2万石ちょっとの小藩ながら規模の大きな城郭となったのは、薩摩の島津氏の北上を阻止するための役割が期待されてのことだそうです。
明治13年(1880)、御館跡に歴代城主を祀る相良護国神社(旧人吉神社)が建立されました。
昭和36年(1961)に城跡は国の史跡に指定され、以後人吉市により城跡の発掘調査や整備が行われ、平成5年大手門脇の代物櫓(しろものやぐら 多聞櫓)、漆蔵(角櫓)と続きの土塀が復元されています。
外曲輪の石垣の上に、発掘調査の成果から古写真に基づいて復元された漆蔵・長塀・代物櫓です。
代物櫓と漆蔵は下見板張りですが、全長151mに及ぶ長塀は下部が海鼠壁になっています。
鍵型の代物櫓には川に面して10面の突き上げ窓が設けられ、続きの長塀には二か所の石落としが設けられています。
この写真では分かりづらいですね。
球磨川に面する石垣には、船着き場である石段と船を係留する台座が所々に設けられていました。
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駅前に小型ながら、天守の形をしたからくり時計があります。
決まった時間になるとお殿様や太鼓踊りの人形が躍り出しますよ。
人吉は、なんと言っても温泉と球磨焼酎が有名ですね。
別名「美人の湯」と謳われる湯はお肌に効果があります。
球磨川沿いに点在していますので、温泉巡りをしてみてはいかがでしょうか。
また清流球磨川の水と肥沃な土地から取れる良質のお米を使った球磨焼酎は、伝統の醸造技術に支えられた美味しい焼酎です。
蔵元によっては見学の他、もちろん試飲もできますよ。
2万石余の石高でしたが、実質12万石ともいわれた人吉の城下町には、由緒ある古寺社が立ち並び、「九州の小京都」らしい落ち着いた雰囲気の町です。
そして駅から徒歩5分のところには、熊本県初の国宝に指定された青井阿蘇神社があります。
茅葺の社寺建築物では、全国で初めての国宝指定です。
桃山様式を随所に取り入れた多彩な装飾や色彩などが特徴的な社殿や人吉様式と呼ばれている楼門などがあります。
その他幽霊の掛け軸で有名な永国寺、そして西南戦争時に西郷隆盛の宿舎となった武家屋敷など、歴史を感じさせる建物が多く残っていますよ。
温泉に一泊してゆっくり過ごし、日本三大車窓、スイッチバック、ループ線のある鉄道ファン垂涎の肥薩線や、くまがわ鉄道の旅を是非楽しんでくださいね。
人吉は、悲しいことに2020年7月の九州を襲った豪雨により甚大な被害が出て、現在復興中です。
肥薩線は八代~吉松間は2022年8月20日現在不通となっており、くまがわ鉄道も一部の区間が運転を見合わせ代行輸送をしております。
お出かけの時は充分お調べのうえで訪問してくださいね。
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*人吉城詳細
・営業時間:城址は24時間/人吉城歴史館は9:00〜17:00(最終入館は16:30)
・休業日:城址は年中無休/人吉城歴史館:毎月第2月曜日(月曜日が祝日の場合はその翌日)/年末年始(12月29日~1月3日)
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【参考文献】
平井 聖監修『城 8 九州 沖縄 火燃ゆる強者どもの城』(毎日新聞社 平成8年10月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、『城と城下町 西の旅』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ参』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、森山英一編著『古写真大図鑑 日本の名城』(講談社+α文庫 1998年11月20日第1刷発行)他
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