日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

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お城大好き雑記 第101回 佐賀県 吉野ヶ里

吉野ヶ里歴史公園入口    by:photo-ac

記念すべき第101回目の城の紹介は、佐賀県にある吉野ヶ里です。

「え、なんで?」と思われる方が多いと思います。

吉野ヶ里遺跡は城じゃあないでしょう、という声が聞こえてきそうですね。

というわけで、吉野ヶ里遺跡の紹介の前に、ちょこっとだけ「城」について勉強をしましょう。

以下は『日本の城の基礎知識』の著者・井上宗和氏が書かれているものです。

日本にはかつて城の定義がなかったとはじめに書いたが、それはあくまでも専門学の分野に立っての城定義であって、説明的な意味で城の字義や解釈は多くの辞典や辞書や百科事典などに記載されている(p3)

そして、

城を発生論的に観察し、発達、推移の状態を広く世界に迫った結果を城の定義として成文すると次のとおりである。

定義Ⅰ

『城とは人によって住居・軍事・政治的目的をもって選ばれた一区画の土地と、そこに設けられた防御的構築物をいう』」(p7)

と述べられています。これは広義の城の定義と言えます。

さらにこうも述べていますよ。

なお純軍事的構築物である城に対しては次のような解説ができる。

『狭義の城とは軍事的目的をもって選ばれた土地とそこに設けられた防御構築物をいう』」(p9)

この井上氏の考えは、現在はほぼ常識となってきています。

したがって、弥生時代の環濠集落が日本の城の原初の形であったと言えるわけですね。

以上のような考え方で、財団法人日本城郭協会は「日本100名城」を2006年に選定しています。

その結果、吉野ヶ里遺跡は「日本100名城」(第88番)に選定されました。

100名城の中では、もちろん最も古い弥生時代の城です。

私は2005年12月8日に行きました。

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では、吉野ヶ里についてみていきましょう。

土塁と木柵   by:photo-ac

郭の入口の両側に建てられている物見櫓    by:photo-ac

吉野ヶ里は、佐賀県背振山(せふりやま)南麓から平野部へ伸びた帯状の段丘にあります。

遺跡の発掘調査が進むにつれ、『魏志倭人伝』に記載されている邪馬台国の遺跡ではないかといわれました。

邪馬台国といえば卑弥呼ですね。

小学校でも習う古代の有名人……。

かなり大規模な遺跡で、土器や石器、青銅器をはじめ、銅剣、銅鏡、織物、布製品などの装飾品や祭祀に用いられるものなどが発見されています。

また、怪我をしたり矢じりが刺さったままの人骨や、首から上の部分がない多数の遺体が発見されました。

大きな戦いが行われたことが推測されますよ。

吉野ヶ里は、弥生時代前半から後期にかけて存続した佐賀平野の「王」のいた拠点的集落「クニ」といえると思います。

吉野ヶ里は、国の特別史跡に指定された日本の城のルーツです。

空堀と城柵   by:photo-ac

Ⅴ字型に深く掘られた総延長2.5kmにもおよぶ外堀が周囲を囲んでいます。

さらに堀の内外には木柵や土塁を築き、集落の防御力をアップ。

大きな外堀のなかに、ふたつの郭(北内郭・南内郭)があり、その中に祭祀が行われたと考えられる主祭殿や竪穴住居や高床式建物が建てられていました。

 空堀と乱杭     by:photo-ac

敵の侵入を防ぐために、外堀には土塁の上に木柵が造られ、空堀の前には先の尖った乱杭(逆茂木)がたくさんあります。

見張りや攻撃のためと思われる物見櫓も建てられています。

戦いに備えた防御施設ですね。

物見櫓   by:photo-ac

北内郭主祭殿     by:photo-ac

北内郭は吉野ヶ里の「クニ」の中心部とされ、両脇に物見櫓を置き、中央に祭祀を行う主祭殿が建っています。

南内郭竪穴式住居   by:photo-ac

南内郭は王や支配層の人々が暮らしていた場所と考えられ、竪穴式住居が多く造られていました。

北内郭高床式倉庫   by:photo-ac

以上見てきたように、吉野ヶ里はまさしく日本の城のルーツです。

環濠集落から水濠や土塁に囲まれた領主の館となり、水濠や石垣そして櫓を備えた平城へと推移、発達してきたことが分かりますね。

 

佐賀県・福岡県7城址探訪】

2005年12月7日から、1泊2日で佐賀県と福岡県の古代の城跡・陣屋跡を探訪しました。

7日は石碑が建てられ、展望台が造られている千葉城、羊羹で有名な小城の小城(おぎ)城跡を訪問。

小城城は陣屋です。

現在は公園になっていて陣屋跡を思わせる遺構は何もありませんが、説明板は設置されていました。

翌8日は、現在蓮池神社と公園になっている蓮池城跡、それから吉野ヶ里に足を運びました。

このときの城探訪の主目的は、飛鳥時代に造られたと考えられている朝鮮式古代山城の探訪です。

というわけで、基肄城址(きしじょうし 続日本100名城)に行きました。

基肄城址大宰府を守る城です。

北九州から瀬戸内、近畿にかけて、中国・朝鮮からの侵略に備えて奈良王朝によって造られた古代山城のひとつですね。

初めてみる古代山城で、胸が躍ったのを覚えています。

山頂を守るように周辺に築かれている石垣群や水門跡なども見ました。

基肄城址    by:photo-ac

その後、大宰府を守る大堤の城址(みずきあと 続日本100名城)、それから岩屋城跡大野城日本100名城)を探訪。

大野城は基肄城址と同じく朝鮮式古代山城で、基肄城の反対側の山の上から大宰府を守っています。

初めての探訪で朝鮮式古代山城を充分に堪能した二日間でした。

水城土塁断面広場     by:photo-ac

総延長1.2km、高さ10mの直線的な土塁が築かれ、博多湾から攻めてくる敵から大宰府を守っているのですね。

土塁の両側には水濠が造られていました。

全長180m、高さ8mの大野城百間石垣   by:photo-ac

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こちら吉野ヶ里歴史公園の公式サイトです。

 

吉野ヶ里詳細

・住所:佐賀県神埼郡吉野ヶ里町田手

・アクセス:JR九州長崎本線吉野ヶ里公園駅より東口(メインゲート)まで約700m/JR九州長崎本線神埼駅より西口まで約600m

・営業時間:開城時間:9:00~17:00(6月〜8月:18:00)

・休業日:12月31日/1月の第3月曜日とその翌日

 

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【参考文献】

財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、井上宗和『日本の城の基礎知識』(雄山閣出版 平成3年7月5日再版)

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