64回目になりました。
今回は新潟県の高田城です。
高田城は、徳川家康が伊達氏や上杉氏らの東国大名に命じて築かせた平城です。
別称は鮫ケ(さめが)城、高陽(こうよう)城、螺(ら)城、関(せき)城です。
「続日本100名城」(第132番)と「日本さくら名所100選」にも選ばれていますよ。
高田城址は越後の桜の名所と謳われており、水濠に桜の花びらが散り漂う景観は見とれてしまうほど。
とはいえ、私は写真でしか知らないのですが…。
私が高田城へ登城したのは、2002年8月24日でした。
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慶長15年(1610)に徳川家康は自分の第6子、わずか19歳の松平忠輝(ただてる)を61万石の大大名にし、城を与えます。
しかし福島城はあまりにも海寄りで洪水、浸水が多かったため、新たに城を築くことを決定。
場所は菩提ケ原(ぼたいがはら)と呼ばれた高田平野の中西部、青田川と関川に挟まれた天然の地の利を活かしたところです。
家康は慶長19年(1614)に江戸幕府の北陸・東北支配の拠点として、息子・忠輝の義父である伊達政宗を普請総裁に任命、前田氏や上杉氏などの豊臣系大名13家に命じて築城のための大工事を開始します。
高田城は大坂の陣を目前に、わずか4カ月ほどの短い期間で築城されたため、石垣は築かれませんでした。
すべて土塁造りです。
縄張りは広い濠の中に本丸、二の丸、三の丸が輪郭式に配され、蛇行する関川の流れを変えて外濠としています。
二の丸と三の丸は不整形な形をしていて、城郭は瓢箪のような形の広大な水濠と高い土塁で防御。
城郭がほぼ完成したのは、半世紀後の松平光長(みつなが)の時代でした。
青田川と関川は直江津港に直結し、濠には水が満々とたたえられていますよ。
しかし、忠輝は大坂夏の陣(1615)へ遅参した他、数々の不行跡を理由にわずか2年で改易。
家康は実の子供でも厳しく処罰し、忠輝に「永対面禁止」を申し渡したまま亡くなります。
兄・秀忠は父・家康の遺命と称して、忠輝に「領国没収のうえ本人は伊勢に配流」の処分を伝えます。
忠輝は許されることなく92歳まで生きて信濃諏訪の地で亡くなりました。
この後日談が面白いですよ。
昭和59年7月3日付で、徳川家当主から忠輝に対して「永対面禁止を解く」との放免状が出されたことが、新聞で報道されたそうです。
実に370年ぶり、ようやく忠輝の勘当が解かれたことになりますね。
忠輝の改易後、城主は譜代大名が何人も入れ替わります。
寛永元年(1624)に入城した松平光長は、約60年城主を務めました。この時代に60年城主をするのはすごい…。
そして城の増築や城下の整備を進めます。
修築後の高田城は俗謡にも歌われるほどの立派なお城だったようです。
しかし、後継者争いで延宝9年(1681)に光長も改易。
その後また何人かの交代のあと、寛保元年(1741)榊原政永(まさなが)が姫路城から入城しました。
以後6代130年間、榊原氏の居城のまま明治を迎えます。
高田城は、高田地震、宝暦地震、善光寺地震などにより何度も被害に遭ったばかりか、享和2年(1802)と明治3年(1870)には城の建物が全焼してしまいます。
つくづく呪われた城だったのでしょうか…。
現在城跡は高田公園となっていますよ。
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高田城には初めから天守が築かれませんでした。
本丸南西部にある御三階櫓が天守の代わりをつとめています。
現在ある御三階櫓は、平成5年(1993)に木造で復興されたもの。
外観は江戸時代中期の藩主・松平光長の時代に再建されたものを模して、桃山風に復興されました。
しかし実在した御三階櫓の外観は不明だということです。
一重の入母屋造りの上に二重の櫓を載せた望楼型で、一重目と二重目に切妻の出窓が付けられ、白い漆喰部分と黒い板のコントラストが美しい姿を見せています。
本丸は広い内濠と全長約1㎞の土塁に囲まれています。
廃城後の明治8年(1875)頃から城地に桜が植えられ、現在は約4,000本の染井吉野の花がゴージャスに咲き乱れる光景が見れますよ。
夜になるとライトアップされた御三階櫓が浮かび上がり、幻想的な風景に。
また夏には、蓮の群れが外濠を埋めつくします。
四季折々楽しめるお城ですね。
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2002年8月23日から1泊2日で、新潟県の4城址巡りを楽しみました。
23日は村上城をまず探訪。
東日本では珍しい総石垣造りで、山頂にある高石垣の天守台は見事なものでした。
続いて新発田城の探訪です。
翌24日は午前中に上杉謙信の居城で五大山城の春日山城に行き、広大な山城に驚きました。
それから今回の高田城ですね。
濠に映える桜の花の姿は、時期が8月のためもちろん見ることはできませんでしたが、濠に映った御三階櫓と桜の木は美しいものでした。
*高田城詳細
・アクセス:トキ鉄・妙高はねうまライン「高田駅」より徒歩30分/頸城バス「高田城址公園入口」下車徒歩5分
・営業時間:9:00~17:00
・休業日:定休日 毎週月曜日/月曜日が休日のときは翌日、祝日の翌日、12月29日~1月3日まで/1月~2月末までの月曜日~木曜日(ただし、金曜日、土曜日、日曜日、祝日は開館)/ゴールデンウィーク、夏休み期間中は無休、その他臨時休館あり
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【参考文献】
平井 聖監修『3 甲信越・北陸 銀嶺を望む風雪の城』(毎日新聞社 平成9年3月10日発行)、公益財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行))、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、『城 其ノ二』及び『同 解説編』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編著『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)他
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