日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書いていきます

お城大好き雑記 第57回 駿府城

f:id:sekimeitiko:20210806175550p:plain

駿府城   by:photo-ac

57回目は、静岡県駿府城です。

駿府城は、徳川家康が若い頃に人質として過ごした地に、居城として新しく建てたお城。そして将軍職を息子の秀忠に譲ったあとふたたび住み、ここで75歳の人生を終えた隠居城でもあります。

別称は府内(ふちゅう)城静岡城。「日本100名城」(第41番)に選定されています。

 

建てられた当時は参勤交代で江戸に向かう西国の外様大名にその力を誇示するかのように、五重七階の大天守がそびえ建っていたとか。

富士山を背景にした駿府城の姿に、諸国の大名は驚くほかはなかったのでしょうね。

一度見てみたかったなあ。

駿府城へは、2005年5月12日に登城しています。

 

一休高級ホテル・旅館が最大60%OFF!

【じゃらん】国内25,000軒の宿をネットで予約OK!2%ポイント還元!  

f:id:sekimeitiko:20210806175627p:plain

鷹狩り姿の徳川家康像   by:photo-ac

徳川家康は、生涯に3度、駿府に住みました。

8歳から11年間今川義元(よしもと)の居館に人質として暮らしたのが1回目。

永禄11年(1568)に今川氏が滅び、天正10年(1582)に武田信玄が滅びると、駿河遠江三河を治めていた家康は武田の領地だった甲斐や信濃も攻め取ります。

浜松城にいた家康は、5カ国の大大名にふさわしい新城を駿府に築くことにし、天正13年(1585)に駿府城の築城を開始します。

翌年家康は浜松から駿府に入り、新城は17年に完成、家康2度目の駿府居住です。

しかし翌18年に小田原城の北条氏が滅びると、豊臣秀吉に江戸への転封を命じられました。

駿府城へは、家康の抑えとして秀吉の重臣中村一氏(かずうじ)が14万石で入城、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いで一氏の長男中村一忠は加増され、伯耆(ほうき)米子に17万5000石で移封となりました。

あとの駿府城には、家康の家臣・内藤信成(のぶなり)が4万石で入城します。

慶長10年に将軍職を秀忠に譲ると、家康は再び駿府城に戻ることにしました。

内藤氏を近江長浜に移し、同12年から駿府城の大拡張工事に着手します。

工事には畿内などの10カ国の大名の助役普請により進められました。

この時の大工棟梁(大棟梁)は有名な中井大和守正清ですね。

家康像は「大御所」として駿府に戻って来た頃の家康の姿を表した銅像

晩年の65歳から亡くなる75歳までの約10年間を駿府で過ごします。

f:id:sekimeitiko:20210806180622p:plain

駿府城縄張り図(『日本の城 名城探訪ガイド』より)

完成した城は、三重の濠を巡らした輪郭式縄張りの大規模な平城です。ほぼ正方形の本丸と二の丸に対して、三の丸にはゆがみをもたせています。

本丸西隅には五重七階の天守が築かれました。

天守をはじめ御殿や櫓などが完成するのは慶長15年になってからでした。

 

駿府城は、名古屋城とともに東海道でも有数の幕府の拠点の城となります。

家康が亡くなると、同居していた10男頼宜(よりのぶ)がそのまましばらく在城、将軍家光のときには弟の忠長(ただなが)が短期間城主となっていましたが、以後幕末までの約236年間は幕府直轄で駿府城代が置かれることになりました。

幕末期の城主は、最後の将軍となった徳川慶喜(よしのぶ)の後を継いだ家達(いえさと)が江戸を追われて入城しました。

慶応4年(1868)のことであり、幕府直属の城の誇りを最後まで保ち続けていました。

しかし、わずか4年で廃藩置県となり、駿府城は民間に払い下げられ取り壊されてしまいました。

 

********************************

 

閑話休題】3回焼けた天守

駿府城天守は三度建立されています。

最初は天正13年に家康が築城した天守です(天正天守)。

2度目は慶長10年、秀忠に将軍職を譲り隠居城として大拡張工事をした時に建立された天守です(慶長1期天守)。

しかし、その天守は完成間もなくの慶長12年12月22日夜半に失火により焼失、慶長15年に再建します。

これが3度目の天守ですね(慶長2期天守)。

しかし、その天守も御殿などとともに寛永12年11月被災炎上してしまい、その後は天守は再建されませんでした。

3回建てて焼けたあと、天守が再建されなかった江戸城と全く同じですね。

 

*****************************

 

f:id:sekimeitiko:20210806180648p:plain

二の丸東御門と巽櫓(左) by:photo-ac

二の丸の南東隅にある巽(たつみ)櫓の奥に、東御門と東御門橋が続いています。

巽櫓は二重三階で駿府城において最も高い櫓であったと言われています。白漆喰総塗籠で破風などの飾りが全くないシンプルな外観。望楼、武器庫などの役割を果たしていました。

濠に面する土塀には鉄砲狭間,矢間狭間を設けています。

江戸時代後期の安政地震(1855)によって全壊したようです。

平面がⅬ字型に折れ曲がった、全国でも珍しい折曲櫓ですよ。

寛永年間に再建されたものを、当時の絵図や古文書をもとに伝統的な木造建築工法で復元しています。

これは平成元年(1989)に、静岡市の市制100周年記念事業として行っています。

同じような折曲櫓では、江戸幕府が築城した大坂城の乾(いぬい)櫓もそうですね。

東御門、巽櫓では駿府城内より発掘された資料が展示されています。

 

f:id:sekimeitiko:20210806181109p:plain

二の丸東御門   by:photo-ac

本丸は明治時代に破壊されましたが、二の丸、三の丸が保存されています。

高麗門を入って右側が東御門(櫓門)、左側は続多聞櫓で内桝形となっています。

防御力の最も高い形式の門ですね。

平成8年(1996)に伝統的な木造建築工法で復元されています。寛永の火災のあと再建された門の姿が採用されました。

 

f:id:sekimeitiko:20210806181313p:plain

高麗門  by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20210806181338p:plain

東御門櫓門    by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20210806181420p:plain

坤(ひつじさる)櫓   by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20210806181448p:plain

坤櫓  by:photo-ac

坤(ひつじさる)櫓は二の丸の南西の方角にある櫓です。

切妻破風の出窓が付けられた二重三階の隅櫓で、「駿府御城惣指図」などの資料を参考に、伝統的な木造建築工法を用いて可能な限り忠実に平成26年に復元されました。

1階部分だけが一般公開されています。

巽櫓とはずいぶん雰囲気の違う美しい櫓ですね。

 

f:id:sekimeitiko:20210806181543p:plain

本丸内濠跡  by:photo-ac

 明治29年に埋められてしまいました。

しかし発掘調査により南東部分と水路付近が確認されたので、当時の姿が再現できています。

 

f:id:sekimeitiko:20210806181716p:plain

二の丸水路   by:photo-ac

 本丸の内濠と二の丸の濠をつなぐ水路で、底にも石を敷いている大変珍しい構造です。

本丸の濠の水位を保つ役割も果たしています。

 

f:id:sekimeitiko:20210806181803p:plain

紅葉山庭園  by:photo-ac

歴史的背景を活かした大名庭園を思わせるような紅葉山庭園。

四季を通じて様々な表情を味わうことが出来ます。

庭園内の茶室では本格的な点前をはじめ、生け花や句会など多目的に利用されています。

f:id:sekimeitiko:20210806181839p:plain

敷地内にある弥次喜多道中像   by:photo-ac

f:id:sekimeitiko:20210806181917p:plain

駿府城公園石碑  by:photo-ac

明治になり、本丸は歩兵連隊を置くために濠ともども整地されてしまいました。

現在は城址の本丸と二の丸は駿府城公園として、市民の憩いの場になっています。

 

駿府城公園の公式サイトです。訪問前にチェックしてみてくださいね。

 

駿府城詳細

・住所:静岡市葵区駿府城公園1-1

・アクセス:JR静岡駅から徒歩約15分/静岡鉄道新静岡駅から徒歩約12分

・営業時間:午前9時~午後4時30分

・休業日:月曜日(祝日、休日にあたる場合は休館振替なしで営業)
年末年始(12月29日~1月3日)

 

 

【参考文献】

平井 聖監修『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中山良昭編著『もう一度学びたい日本の城』(西東社 2007年㋆15日発行)、南條範夫監修『日本の城 名城探訪ガイド』(日本通信教育連盟)、『城と城下町 東の旅』(日本通信教育連盟)『城 解説編』(日本通信教育連盟)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京棠出版 2002年㋆15日発行)他