日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第149回 福井県 佐柿国吉城

国吉城石碑

第149回は、福井県佐柿国吉(さがきくによし)城の紹介です。

 

*佐柿国吉城とは?

若狭と越前の国境に築かれ、越前の朝倉氏の攻撃を多年にわたって撃退した難攻不落の国境の城、「境目の城」として有名な佐柿国吉城です。

現地では国吉城と表記されています。

山麓に居館部、そして山頂に詰城(つめじろ)が置かれた中世の典型的な山城です。

居館と山城の両方の遺構が現在残っているのは、全国的には珍しいそうですよ。

ようやく念願がかなって、2025年4月19日に初攻城してきました。

別称は、佐柿城、国吉城です。

「続日本100名城」(第139番)に指定されています。

 

*佐柿国吉城の歴史(築城から廃城まで)

佐柿国吉城推定復元鳥観図(若狭国吉城歴史資料館展示パネルより)

佐柿国吉城は、若狭国守護の武田氏の重臣粟屋勝久(あわや かつひさ)が、弘治2年(1556)に築城したといわれています。

後瀬山(のちせやま)城の支城として、古城を修築したそうですよ。

築かれた場所は、若狭と越前の国境、軍事上の要衝にある標高197mの城山山頂です。

椿峠と丹後街道を眼下に見下ろせる場所でした。

典型的な中世の山城で、山頂に詰城を築いて戦闘時に備え、平時は山麓の居館で領国経営を行っていました。

永禄6年(1563)以降、越前の朝倉氏は、滅亡までのほぼ10年間にわたって毎年のように若狭侵攻を繰り返し、佐柿国吉城を攻撃します。

しかし、その攻撃をことごとく撃退した粟屋勝久は勇名をとどろかせ、佐柿国吉城は「難攻不落の城」として知られるようになりました。

粟屋家家紋

元亀元年(1570)の越前朝倉攻めの際に、出陣してきた織田信長徳川家康の連合軍を、粟屋氏は城に迎えています。

天正11年(1583)の賤ケ岳の戦いでは、粟屋勝久は秀吉方に与し、その後秀吉の直臣となりました。

城は粟屋氏の後、秀吉の家臣である木村定光が替わって城主となり、城と佐柿の城下町を整備します。

以後、城主はたびたび交代。

寛永11年(1634)に三代将軍家光の命により若狭に入封した徳川譜代の酒井忠勝は、築城中だった京極氏の未完の小浜城を完成させます。

そして、国吉城は後瀬山城とともに廃城となりました。

忠勝は、若狭国東部支配の拠点としてあらたに佐柿町奉行所と御茶屋御殿を造り、三方郡と佐柿の城下町を治めます。

江戸時代の佐柿は、丹後街道の宿場町として繁栄したそうですよ。

 

*佐柿国吉城|現存する遺構・見どころ

山麓の居館部への入口

城主居館跡地形測量図(若狭国吉城歴史資料館展示パネルより)

城山南麓の谷筋を開削した階段状の平地に、城主や家臣たちの居館跡がありました。

発掘調査により、居館正面には野面積みの石垣が発見されています。

 居館跡

途中に設置されている山頂までの距離標

伝二の丸 土塁

山麓の居館跡から九十九折の山道を登り始めて10分ほどで、西の尾根の先端部に約2m以上の高土塁に囲まれた(伝)二の丸にようやく到着します。

しかし、何故ここを二の丸というのかわかりません。

こういった曲輪は普通「出丸」と名付けると思いますが。

高土塁の中央部が喰い違い虎口となっています。佐柿国吉城で唯一のものだそうです。

伝二の丸 喰い違い虎口

本丸虎口の石垣

山頂の本丸跡に設置された国吉城址

整備された急な上り坂を息を切らしながら30分ほど登ると、ようやく本丸に到着します。

いかに攻城しにくい山城であったかということが、しみじみと実感できますね。

本丸では東と北西の2カ所に平虎口を設け、周囲の斜面には見えにくいですが、部分的に石垣が残っています。

本丸の南隅には櫓台がありました。

この石碑は大正時代に設置されたものだそうです。

本丸跡と北西に延びる連郭曲輪群の尾根を断ち切る堀切の石垣

堀切の端(向こう側)に、石仏や五輪塔など並べて置かれているのが見えますね。

あれらは転用石として石垣に使われたのではなく、籠城戦の際に防御のための投石として使うものだそうですよ。

近隣から集められたものと伝わっています。

Ⅱ郭から下方へ続く連郭群を望む

Ⅳ郭からⅤ郭に向かう虎口

本丸の北西虎口は、北西の屋根筋に連結し、5つの曲輪群が連郭的に連なっています。

この構造は若狭の山城の特徴らしいですよ。

各曲輪の斜面は急であり、高低差が大きいため、簡単に登れるものではありません。

Ⅵ郭の土塁

本丸からの若狭湾を望む

本丸からの若狭湾を望む

若狭国吉城歴史資料館

若狭国吉歴史資料館では、解説パネルや歴史資料で国吉城と佐柿の450年に及ぶ歴史が展示紹介されています。

 

(写真はすべて作者が撮影)

*佐柿国吉城詳細

・住所:福井県三方郡美浜町佐柿25-2

・アクセス:JR小浜線美浜駅から徒歩25分

・営業時間:若狭国吉城歴史資料館の開館時 9:00〜17:00(12月~3月は10:00~16:30)

・休業日:若狭国吉城歴史資料館の休館日 毎週月曜日(月曜日が休日の時はその翌日)・祝日の翌日・年末年始

 

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【参考文献】

公益財団法人日本城郭協会監修『続日本100名城公式ガイドブック』(学研プラス 2018年5月7日第6刷発行)、小和田哲男監修『ビジュアル・ワイド 日本の城』(小学館 2005年3月20日第1版第1刷発行)、西ヶ谷恭弘編『国別 城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版 2002年7月15日初版発行)、「国吉城址と佐柿の町並み」(福井県美浜町教育委員会 平成21年3月3刷)、「続日本100名城 若狭国三方郡佐柿 国吉城址の石垣」(福井県美浜町教育委員会)、「佐柿国吉城(国吉城)(町指定史跡、続百名城)(三方郡美浜町佐柿)」(若狭国吉城歴史資料館)、「続日本100名城 国吉城址散策絵図」(若狭国吉城歴史資料館)、他