日本のお城が大好きだと叫びたい人の雑記

とにかくお城が好き!日本のお城のアレコレを好き勝手に書きます。※当ブログはアフィリエイト活動を行っています。

お城大好き雑記 第37回 岡崎城

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 岡崎城天守  by:photo-ac

37回目、愛知県の岡崎城です。

岡崎城は言わずと知れた、徳川家康誕生の城。

そのため江戸時代には聖地とされていました。

別称は(りゅう)城、龍ヶ城です。

2006年に「日本100名城」(第45番)に選定されています。

私は岡崎城には1995年11月19日が初登城、そして1999年5月16日に再度探訪しました。

 

岡崎城矢作川と管生(すごう)川の合流点の丘状に築城されています。

ここに初めて築城したのは三河守護二木氏の守護代を務める西郷稠頼(つぐより)で、康正元年(1455)のことです。

当時は龍頭山(りゅうとうざん)城と呼ばれていたらしいですね。

松平一族を束ねて三河の有力国人領主となった家康の祖父・松平清康(きよやす)が大永4年(1524)岡崎城に入城し、改築します。

その城で天文11年(1542)、松平竹千代が、つまりのちの徳川家康が誕生しました。

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徳川家康像   by:photo-ac

しかし、まもなく城には今川義元の城代が入り、竹千代は幼少の頃から織田信長の父・信秀、続いて今川義元(よしもと)の人質に。

子供時代はひたすら人質にされた人ですね。

永禄3年(1560)桶狭間の戦い今川義元が敗死すると、19歳の竹千代は岡崎城に戻ります。

永禄9年(1566)に新田系徳川系図により、徳川(姓は源 みなもと)の名乗りを朝廷から勅許され、徳川家康と改名しました。そうだったのか!知らなかった。

家康は、岡崎城を拠点に三河を統一していきます。

その後、元亀元年(1570)に遠江を攻めて浜松城に本拠を移し、岡崎城には長男の信康(のぶやす)を置きました。

しかし、天正7年(1579)に信康は、信長から武田勝頼に内通したとの嫌疑を被せられ切腹

その後家康は重臣石川数正(かずまさ)や本多重次(しげつぐ)を城代として置きます。

天正18年家康は豊臣秀吉によって関東に移封され、慶長5年(1600)の関ヶ原の戦いまでは、豊臣系大名の田中吉政(よしまさ)が城主でした。

この田中氏が近世城郭として本格的に拡張整備し、総構えの濠「田中堀」を築いたといわれています。

関ヶ原の戦いの後徳川氏の手に戻り、本多康重(やすしげ)が移封され、正保2年(1645)まで三代にわたり修築。

岡崎城神君・徳川家康公出生の城として重視され、家格の高い譜代大名親藩が城主となります。

 

寛永年間(1624~44)に徳川家康を祀る東照宮を本丸に建立、その後明和3年(1766)藩祖・本田忠勝を祀る映世神社を本丸に建立し、東照宮は三の丸に移建します。

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本多忠勝像   by:photo-ac

この2つは明治9年(1876)合祀され、本丸に徳川家康本多忠勝を祀る龍城(たつき)神社を建立しました。

 

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「三州岡崎城図」(『復元イラストと古絵図で見る日本の名城』より)

城郭は、本丸、二の丸、三の丸の他多くの曲輪が縄張りされ、龍頭山と呼ばれた丘陵を利用しています。

その名の通り、河岸段丘が龍が渦巻いているような複雑な地形をつくり、それを利用した連続型の縄張です。

城内の入り組んだ濠によって分けられた曲輪は、形も大きさもまちまちで段差もあり、本丸に行き着くには、迷路のような道を探さないと行けなかったようです。

元和3年(1617)に本多氏2代目の本多康紀(やすのり)は天守を修築し、三重三階地下一階、南に付櫓と東に井戸櫓をもつ層塔型の複合式天守を築きます。

この形は当時の主流でした。

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岡崎城天守  by:photo-ac

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岡崎城天守  by:photo-ac

明治の廃城令によって城郭の大部分は取り壊されましたが、昭和34年(1959)に市民の手で復元。

高欄は本来はなかったものですが、再建時に付けられました。

巽櫓を模した巽閣も建てられ、旧観を偲ぶことが出来ます。

往時の古写真をもとにしたほぼ昔どおりの外観で、三重五階鉄筋コンクリート天守です。

 

城内は各階ごとにテーマを分けた歴史資料館となっており、展示やジオラマシアターなどで岡崎城の歴史を紹介しています。

五階の展望室からは岡崎市内を一望できますよ。

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岡崎市内 by:photo-ac

再建された大手櫓門は本来あったところではなく、城跡の岡崎公園の入口として平成11年(1999)に模擬大手門として建てられました。

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模擬大手門      by:photo-ac

石垣は地元産の御影石、瓦は江戸瓦が使われています。

園内に残るのは、家康の産湯の井戸と伝わる古井戸です。

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家康公産湯の井戸  by:photo-ac

下の写真は、いわゆる家康の「しかみ像」(「徳川家康三方ヶ原戦役画像」)です。

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家康のしかみ像  by:photo-ac

浜松の三方ヶ原で武田の大軍に無理な戦いを挑み、負け戦となり多くの家臣を失いました。

家康はそのとき自戒の念を忘れることのないように、自分の肖像画を描かせたと言われています。

顔をしかめて苦渋の表情をした珍しい肖像画を基にして制作された石像です。

 

二の丸には三河武士のやかた家康館があり、徳川家康徳川四天王のひとりである本多忠勝三河武士ゆかりの品々が展示されています。

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濠と桜  by:photo-ac

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龍城濠に架かる神橋(しんきょう)  by:photo-ac

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天守の形をした電話BOX 面白い   by:photo-ac

 

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岡崎城址がある公園は、桜の名所としても有名ですね。

季節が良いときには、ブラブラと散歩をしている人も多いですよ。

日本さくら名所100選」に選ばれています。

 

愛知県3城を楽しむ

私が岡崎城を探訪した5月16日には、他にも池田輝政が15万石で移封された吉田城址を探訪しました。

吉田城復元鉄櫓   by:photo-ac

三重鉄櫓とも言われる三重の模擬隅櫓が本丸石垣上に建てられています。

そして天正3年(1575)の長篠の戦いで有名な長篠城址史跡保存館がある長篠城も探訪してきました。

岡崎城の公式サイトです。↓↓歴史や写真館などがあり面白いので、1度ご覧くださいね。

 

岡崎城詳細

・住所:愛知県岡崎市康生町561番地岡崎公園

・アクセス:東岡崎駅から徒歩で10分

・営業時間:9:00~17:00 入場は16:30

・休業日:12月29日~12月31日

 

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【参考文献】

平井 聖監修『城 4 東海 天下人への夢馳せる群雄の城』(毎日新聞社 平成8年12月25日発行)、財団法人日本城郭協会監修『日本100名城公式ガイドブック』(学習研究社 2007年7月3日第1刷発行)、中山良昭編著『もう一度学びたい日本の城』(西東社 2007年㋆15日発行)、『復元イラストと古絵図で見る日本の名城』(碧水社 1995年4月18日第1刷発行)、『城 其ノ一』及び『城 解説編』(日本通信教育連盟)他

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